* 1-5-7 *

 ところで、機構とセルフェイス財団の間で繰り広げられた一連の事件において、欠かすことが出来ない小話がある。

 ラーニーの妹であるシャーロット・セルフェイスとイベリスの関係性についてだ。

 これは(私にとって)実に面白い享楽であった。


 マークתがイングランドの地を訪れてからというもの、ラーニーはイベリスにご執心だった。

 というのも、マークתがこの地に来ると決まった時、事前に私がラーニーにイベリスのことを伝えていたからだ。

 もちろん、出身や異能の話というような特別な内容を話したわけではない。ただ彼女と言う人物は【人々にとって道標になるような素質を持った女性である】いうことを伝えたに過ぎない。

 ただそれだけで、ラーニーはイベリスという少女に対して強い興味を惹いたようであった。そして、このことを面白く思わなかったのが他でもない。彼女の妹であるシャーロットである。


 妹とはいえ、シャーロットはラーニーにとっては義妹。過去に児童養護施設からラーニーの父エドワードが引き取った血の繋がりがない養子だ。

 聞いた話では確か、シャーロットの家庭は2020年に世界中で猛威を振るった新型コロナウィルスの影響を直接的に受けた煽りで一家離散に追い込まれ、そのことで彼女自身は最終的に児童養護施設に預けられる身となったということだったと思う。


 シャーロットが児童養護施設に預けられていた当時、彼女は誰にも心を開かず、警戒心を張り巡らせ、近付く者には例外なく牙を剥く狼のような少女であったらしい。

 一家離散前、両親の間に起きた出来事が心を閉ざすきっかけだったのかは分からないが、とにかく彼女は他の児童と関わることもなく、職員とも必要最低限以外の関りをもつこともなく、日々ずっと部屋の片隅で“他人の日常をひたすら観察している”ような素振りだけを見せ続けたという。


 そんなシャーロットに転機が訪れたのは幼少のラーニーが施設を訪れた時のことであった。

 ラーニーの父エドワード・セルフェイスは慈善事業の為に、まだ幼かった彼を連れて偶然彼女の所属していた養護施設を訪れたのだ。

 その時、当のラーニーはシャーロットを一目見るなり彼女のことを強く気に入ったという。

 理由など私の知る所ではないが、以後ラーニーはとにかくシャーロットに会うために施設に行きたいとエドワードにせがみ、足繁く通い詰めては彼女に接し続けたらしい。

 何度も何度も訪れてはしつこく構って来るラーニーのことを、最初はシャーロットも面倒くさそうにあしらっていたというが、ある時を境として彼にだけは心を開くようになったと聞く。

 父エドワードも、ラーニーとシャーロットの様子をずっと見続けた上で、最終的には彼女を養子として引き取ることを決めたのである。

 こうしてシャーロットはセルフェイス家に引き取られることとなり、実の娘のように大切に育てられ色々な意味で立派に成長したというお話だ。


 関連するこぼれ話を聞いた限り、成人を控えた彼女はエドワードから自らの意思による学業選択や職業選択の自由を与えられていたという。にも関わらず、彼女が選んだ道行きは非常に意外なものであった。

 勧められた大学や就職先への関心を見せることもなく、それ以外に自分の希望を語ることもなく、ただひとつだけ彼女が望んだことは“セルフェイス家の使用人として働くこと”であったというのだ。


 常識では考えられない。

 血の繋がりが無くとも、正式なセルフェイス家の令嬢という立場ともなれば、ありとあらゆる選択肢の中から自由に人生を謳歌する為の道筋を選ぶことが出来たはずである。

 それこそ、学業も就職も嫌だというなら、しばらくの間は世界旅行でも悠々自適に楽しむなどという道楽の極みという道すら選べたかもしれない。

 しかし、彼女はそのような道は何一つ望みもしなかった。

 これはグリーンゴッドの明確な効能がまだ財団に露呈していなかった頃、私とラーニーの間にある信頼関係が破たんしていなかった時分に聞いた話だが、彼女がセルフェイス家で働くことに拘ったのは【昔、引き取って育ててもらった恩を返したい】などという意思に基づいたものであったらしい。


 私はそれを聞いた時に確信した。

 あぁ、なるほどね。と。


 愛など知らない身であっても、それがいわゆる女としての情熱から生じていることは理解出来た。女の勘というものである。

 要はシャーロットはラーニーのことが好きで好きでしょうがないのだ。家族であるという一線を越えてしまいたいほどに激しく。

 使用人として働く……というが、例えばラーニー専属の使用人となれば、それは一日を通じ“意味と理由を以って彼に付きまとう権利を得る”に等しいことだと言い換えることもできよう。

 セルフェイス家の令嬢である彼女の意思とあらば、ラーニー専属の使用人になりたいなどという些細なわがままは通ったに違いない。

 結局、彼女が使用人という立場を選んだのは、実の所それが一番〈いついかなる時でもラーニーの傍にいられるから〉ではないかという意味だ。


 秘書でも良いのでは?そう思わなくもない。

 だが妹としてではだめなのだ。


 いずれにせよ、私にとっては背筋が寒くなるだけの理由だが、まぁ考えは人それぞれである。

 後に、そう時間を空けることなく私のこの直感がシャーロットにとっての図星であることも知ったのだが……



 まったく、そんなことに何の意味があるのだろうか。


 私は愛など知らない。

 教えられたことがないからだ。


 私は愛など知らない。

 与えられたことがないからだ。


 私は愛など知らない、知らない、知らない。

 私にとっての愛とは〈罪を犯した人を裁くこと〉。それだけだ。



 だから一般大衆の言う〈愛〉の定義は意味として理解は出来ても、なぜシャーロットが大衆の定義する〈愛〉などというものの為に、そのような立場に甘んじることを自ら選んだのかについては正直理解に苦しんだ。


 愛ゆえにずっと一緒にいたいと言うのなら、あっさり殺しちゃえば良いのに。

 そうしたら、彼は他の誰のものでもなくなるし、墓前に寄り添えば24時間366日ずっと一緒、なんだよ?


 とは言いつつ他人の人生、他人の家系に口を挟むつもりもない。

 知って余興や享楽の肴になったならまだしも、一連の話が私に与えた影響とは、表情をスナギツネのように変化させられ、背筋を寒くさせられたということだけのことである。

 妹に付いて熱を込めて語っていたラーニーもラーニーで、人の過去を堂々と赤の他人に話すなどというデリカシーの無さは何とかした方が良い。間違いなく。

 そういう彼も彼でまた、それだけ妹のことが好きで好きで仕方なかったのであろう。

 やはり背筋が寒い。


 ……とまぁ、この後に起きるだろう事象に絡めて面白そうなネタにするだけのことくらいはできるかもしれないと思い、溜め息ひとつをつきつつ、当時はこの話を頭の片隅へと追いやった。


 事件に絡めた余興のひとつくらいには出来るだろう。

 余興として楽しむなら準備くらいはしなくちゃ、ね。

 享楽という花を咲かせる為の種蒔きはしておくべきである。


 ようやく話は先に進むが、だからこそ私はラーニーに〈イベリス〉という絶世の美女の存在を伝え、さらにはアルビジアという、これまた絶世の美女の存在をほのめかしもした。

 人が自らの感情によって醜態を晒す様などは見ていて飽きることがないという理由で。


 ラーニーが美女2人を目の前にして自らの情欲に溺れるのが先か、或いはシャーロットが女の情念によって狂うのが先か。

 面白い見世物くらいにはなるはずだと思ったのだ。

 ここまでの長い長い話が、私がラーニーにイベリスの存在を伝えた理由についてである。


 話を戻そう。実際にラーニーがイベリスと初めて会ったのはマークתが財団支部へ招かれ訪ねた日のことであった。

 彼はやはりイベリスという少女に特別なものを感じたのだろう。明らかな興味を隠し切れずにいた。それを間近で見せつけられたシャーロットは当然快く思わなかったはずだ。

 その日、シャーロットは使用人という立場でありながら、客人であるイベリスに意図的に無礼を働いた。

 お茶を出す際に肘打ちを当てたのだ。随分と大胆な報復をするものだと感心したものである。私には無縁の争いであるから、女の戦いとは実に熾烈極まるものなのだとこの時初めて知った。

 ただ、肘打ちをされた当のイベリスは彼女に怒りを抱くなどということも無く、どちらかというと自分が先に何か粗相をしてしまったのではないかということを気にしていたように思う。


 えぇ……?どこまで優等生なの。

 まるで面白くない。こういうところがいちいち鼻につく。

 バーカバーカ >へ<

 さすが人々の希望。公国の未来。光の王妃様、だ。


 シャーロットがイベリスに冷たく当たった理由など語るべくもない。

 彼女にとってラーニーは義兄である以上に、本音で言えば永遠を誓い合いたい理想の男性であったからというだけの話である。

 使用人になってまで一日中付きまといたいと思っていたのだからそういうことだ。

 こういうのを一般的に痴情のもつれとでも言うのだろうか。よく分からないし理解したくもない。


 まぁ良い。それより本題はここからである。

 シャーロットがイベリスを快く思わず、食って掛かるという修羅場をさらに面白くしてみせたのはこともあろうにラーニーであった。

 イベリスを気に入った彼は、彼女を機構から引き抜き、財団に取り込もうとしたのだ。


 妹の目の前で気は確かなの?


 っと言いたくもなったが、彼がセルフェイス財団の当主であるという立場を鑑みれば合理的な解釈が-無理矢理ではあるが-できなくもない。

 あの当時、セルフェイス財団が置かれていた立場というのは、公になっていなかっただけで酷く危ういものであったことに違いはない。

 グリーンゴッドに関する情報が流出でもすれば、世界から吊し上げを受けるのは目に見えていたし、クリーンな組織であるというイメージ崩壊も免れないといったところだった。

 セルフェイス財団はイメージ向上の為に〈影響力を持つ広告塔〉となる人物の取り込みを必要としていたともいえる。


 世界的に見ても、美しい女性指導者が矢面に立って人々を先導する立場に立てば、それなりに影響力が大きいことは立証されている。

 各国に存在するありとあらゆる企業が、自社の宣伝広告の為に美しい女優や顔立ちの良い俳優を起用することが“なぜか”をイメージすればわかりやすいだろう。

 ブランドイメージというものは大事だ。私もグラン・エトルアリアス共和国のイメージ戦略の為に似たようなことをしたことがある。


 それはそれとして、ラーニーは地球環境保護の為のあらゆる試みや呼びかけを行う役回りを彼女に担わせたいと考えた。それをイベリスほどの絶世の美女が行ってくれれば、自分のような男が先頭に立って呼び掛けるよりよほどイメージ向上に対して“効率が良い”というわけだ。

 実に浅墓な考えではあるが、確かにそういった立ち位置に彼女ほどの人物を立てられるとなれば、セルフェイス財団にもたらされる好影響は計り知れないものがある。

 グリーンゴッドによる失敗が既に目の前に横たわっている状況において、事態を好転させる為の材料はひとつでも多く手にしておきたいという計算が彼にはあったのかもしれない。


 ただ、後になって私は思った。


 っていうより、その役目を最初から妹にさせれば良かったのでは?

 私の目から見て、シャーロットだってイベリスやアルビジアに負けず劣らずの美女であるはずなのだけれど。



 内心、彼の行動を浅墓だと馬鹿にしたものだが、おそらく彼の描く理想図は正しかった。

 何しろ、イベリスという存在自体が遠い昔に1つの国を背負って立とうとしたほどの逸材でもあったのだから。

 なんだかんだといって財団のトップに立つ人間だ。人を見る目だけは確からしい。



 さて。いくら財団の未来の為とはいえ、ラーニーが他所の女を取り込もうとしたことに対し、もちろんシャーロットの心中はいよいよ穏やかではなくなった。

 彼は財団の立場が悪化の一途を辿る状況の中、燃え上がる身内の嫉妬心に対しても燃料を追加でぶちまけてしまったのだ。

 シャーロットにしてみれば、幼い頃から家族として一緒に育ってきた兄が、ぽっと出のどこの馬の骨ともわからない女に持っていかれようとしているのだから怒るのも当然である。


 以後、シャーロットはイベリスと顔を合わせるたびに険悪な態度を示し、イベリスはシャーロットの態度に困惑するという繰り返しが始まることとなる。

 いやはや、実に面白い。醜悪な人間の本質が曝け出される瞬間は見ごたえがあるものだ。


 こうして2人の何とも言えない険悪な関係を交えながら一連の事件は進展をしていくこととなったのである。

 犬の尾を食うて廻るが如し。大切な兄を取られまいと奮闘する健気な娘の独り相撲ここに極まれり。


 以後はこのことについて、シャーロットに『どんな気分?』と日常的に話しかけるのが私の日課となったわけだが、あれは実に楽しかった。

 蒔いた種が実りを結び、花を咲かせるというのはこういうことを言うのだろう。

 新緑の革命事件を思い返す時には、このことを思い返さずにはいられないのである。


 まぁ、私が蒔いた種が実を結ぶのを楽しむこととは別に、当のラーニーはこの後、あろうことかアルビジアも財団へ取り込もうと食指を伸ばすことになるのだが。

 妹の気苦労は絶えないどころか無限に積み重なっていく。憐れ憐れ。


 新緑の革命者などと持て囃される若き天才も、道を踏み外す時とはこんな程度のものだ。



 ところで。何がとは言わないが、イベリスもアルビジアもシャーロットも立派に成長したものを持っているが、それを少し私にも分けて欲しい。

 今度アビーにそういう薬は出来ないのかとねだってみることにしよう。


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