最終話 鳴き声

 ······何年も冷たい土の中にいた。息を殺し。ただ静かに。全てはその存在を知られない為だ。


 私は自分の気配を消す稀有な才能を持っている。そうでなければ、舌なめずりをして我を喰らおうとする捕食者から逃れる事が出来ない。


 そして待ち侘びた日がついに到来した。幼虫から成虫に成長した私は、地中から抜け出て真夏の太陽の光を浴びる。


 目に映る世界を堪能している暇など無かった。身体が安定する適当な木に取り付き、大声で鳴き声を上げる。


 人間達は私達のこの鳴き声を夏の風物詩位にしか思っていない。だが、私達にとっては次世代を残す為の必死な行動なのだ。


 鳴き声で雌を誘い出し、交尾をして子孫を残す。その為に私達は四六時中鳴き続けているのだ。


 油断していると小さな子供が虫取り網で私達を捕獲しようとする。無邪気な子供には分からないだろうが、君より私の方が年齢だけなら上なんだよ。


 子孫を残した後の雄はもう用済みだ。後はただ短い寿命が尽きるまで。力尽きるまで鳴き続けるだけだ。


 ······そう。人間達は私達蝉の生態をそう決めつけている。だが、人間達は知らない。否。知ろうとしない。


 そもそも理解しようとしないのだ。私達が何の為に鳴いているのか。子孫を残す為に雌を誘っている。


 それは間違いない。認めよう。だが、それだけでは無い。子孫を残すのは私達の本能の一つに過ぎない。


 ······そう。私達は自らを祝っているのだ。この世に生まれた奇跡を。この世に生まれた喜びを。


 私達は祝いの歌を歌い続ける。朝も昼も夜も。声が枯れるまで。その命が尽きるまで。生命を持って生まれたと言う事実は、それ程尊く喜ばしい事なのだ。


 耳を澄まして聞いて欲しい。夏のひと風景にしか過ぎない私達の合唱を。あれは私達が魂を込めた祝いの歌なのだ。


 動物や人間にも生まれた瞬間泣き声を上げる現象が見られる。あれはただの泣き声では無いのだ。


 この世に生まれた歓喜を必死に表現しているのだ。それを分かって欲しい。そうでなければ、この世に誕生した命が余りに不憫だ。


 ······私はこれから新たな命として生み出される。昆虫だった蝉から今度は人間らしい。


 その人間の人生とやらの内容を聞いても、私の心の琴線には一行に触れない。どんな人生を送ろうとも私には関係ない。


 例えひと夏の人生でも。百年の人生でも。私はその命が誕生した門出を自らが歌い祝う。


 ······明かりが見えて来た。私は人間の子としてこの世界に誕生する。


 光が強くなって行く。これは、成虫になった私が土の中から外に出る時の光景と酷似している。


 ······光の中に私は飛び出した。すべき事は分かっている。あの時と同じだ。私はありったけの声量で鳴き声を。祝いの歌を歌う。


 さあ。祝いの歌を奏しよう。


 この命が尽きる、その日まで。

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祝歌 @tosa

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