第4話 平穏と激動

 ······一年に満たない束の間の休息だった。母親の胎盤の中での時間は、僕に安らかな静謐を与えてくれた。


 叶うのならずっとここに居たい。この場所から出たくない。でも、それは僕の意思ではどう仕様も出来無い。


 僕は遠からずこの安住地から追い出され、現実という名の戦場に送られる。そこは異常は世界だ。


 命を大切にしろと声高に叫ぶ一方で、思想や利権の為に大勢の人々を虐殺する。他人を差別するなと言っておきながら、陰湿な言葉と行動で排除しようとする。


 人間は誰もが平等と教える。だが、人は生まれた瞬間から序列が決まっている事を誰も教えてはくれない。


 生きる苦痛。病む苦痛。老いる苦痛。この世は苦痛だらけだ。僕は自分が受けたいじめ体験を通じて、幼くしてその本質的な事に気付いた。


 それからの僕は、人生を慎重に歩み続けた。酒。煙草。ギャンブル。いかがわしく人間の欲望を刺激する数々の誘惑。


 僕はそれらを全て遠ざけた。僕は堅実に。慎ましい人生を進み続けた。煙草とアルコール成分が混じった口臭を放つ他人からは、心無い嫌味を幾度と無く吐かれた。


「お前、何が楽しくて生きているの?」


 僕はその時決まって苦笑しながらその言葉を受け流す。それは、人生を大過無く過ごす為の処世術だ。


 他人は他人。僕は自分の人生において安定を是とした。そんな質素堅実な日々を過ごす僕に、幸運にも伴侶を得る事が出来た。


 彼女は自分に近い考えを持つ人で、僕は自然に可能に惹かれ僕達は結婚した。一生独りだと思っていた自分にとって、誰かと結婚するなんて青天の霹靂だった。


 更に僕達夫婦に子供が誕生した。彼女は僕を夫に。そして父親にしてくれた。彼女には感謝してもしきれない。


 子育ての時期には色々衝突して喧嘩もしたけど、彼女と出会えて本当に良かった。世の男性の平均寿命には届かなかったが、僕は満足したままこの世を去った。


 平穏無事に生を全う出来た。他人には面白くも無い人生だろう。事実そうかもしれない。


 でも、他人には決して分からないだろう。いや。絶対に理解出来無い。僕自身の能力では、この人生が精一杯だったのだ。


 失敗しないように。危険な事はしないように。慎ましく。ただ静かに時の流れを待つ人生。


 ただその事が、僕にとって不断の努力が必要だったのだ。疲れた。ただ疲れ切った。もう一度同じ人生を送れと言われても僕は拒否する。


 一度でいい。もうあんな疲れ果てる思いをするのは一度で充分だ。


 ······でも。僕の希望とは真逆の現実が目の前に迫っている。僕はまた人間として誕生させられる。


 それも。しかも! よりによって波瀾万丈の人生を約束させられたとんでも無い人生だ!!


 僕は内戦が続く小国に生まれる。その小国は希少な地下資源が原因で周囲の大国から常に狙われていた。


 僕は生まれて早々、戦争孤児になる。そして物心ついた頃には銃で人を殺している。戦場と死を隣人として過ごし、やがて成長して革命軍司令官になる。


 そして小国の王となり、隣国の大国同士を謀略をもって争わせ、数百万の犠牲者を出し続けて行く。


 小国の人々は僕を英雄と讃える。僕の死後には、銅像が建てられ歴史にその名を永遠に刻む。


 ······嫌だ。そんな殺伐とした人生なんて僕にはとても許容出来ない。僕が望むのは平和と平穏。ただそれだけなのに。


 ······お願いだ。止めてくれ。もう人間としてなんて生きたく無いんだ。お願いだから。



 ······うるさいな。誰が大声で喚いているんだ? 考え事一つ出来ないじゃないか。あれ? 考え事?


 僕は何を考えていたんだ。僕? 僕って誰だ?


 ······この耳をつく喚き声。よく聴くと何だか歌みたいに聴こえる。


 ······そう。例えると、これは何かを祝っているような。


 ······これは。この声は。


 ······僕の。泣き声だ。


 

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