さようなら
「何日かすれば」の引き揚げ令は、結局一ヶ月あまり長引いた。北部地域の侵略が、思ったよりも進まなかったらしい。
「……それで、今度は北への進軍命令が出たってことですか?」
「ああ、そうだ」
マーレがそう言うと、部下たちは盛大にため息をついた。不平不満は日常茶飯事だが、上からの命令が絶対だ。
「帝国に帰還後、すぐに準備に入る。各自、ぬかることのないように」
マーレは彼らに背を向けると、捕虜の少年を呼び寄せた。煤けた髪を持つ彼は、ここ数日でかなりやせ細ってしまった。無理もない。不味い食事ばかりでは、どうにも具合が悪くなる。
「悪いな、おまえ。今から国へ帰るぞ」
何日も食事を届けている内に、マーレと少年は互いのことを見慣れてしまった。とは言え、マーレが少年に対して、一方的に話し掛けているだけだったが。
「……最後の最後まで、おまえは何も喋らないんだな」
マーレは諦めたように肩を下ろし、少年の腕を引っ張った。この様子では、学者たちは一体何を研究するつもりなのだろうか。彼らは何も残さずに、ただ血を流して死んだ。唯一の生き残りは、一切口を聞いてはくれない。
「まぁともかく、これで西部ともお別れだ。ようやく、国へ帰れる」
黒い髪を乱雑に纏め、彼は西の風に別れを告げる。そのまま揺らめく前を見つめ、元来た道を再び辿った。
「……さようなら、みんな」
……少年が呟いた小さな言葉は、誰の耳にも届かなかった。消え去った全ての彼らだけが、その声を聞いていた。
彼らは死なず、ただ消え去るのみ 中田もな @Nakata-Mona
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