第5章

第27話 もう二度とこの屋敷には帰らないわ

 フナル山跡地から王都ローリアまで、それなりの速度で移動すれば本来は三日の道のりだったが、ネヴィレッタたちは一週間近くかけてのんびり帰ってきた。他の誰でもなくネヴィレッタが疲労していたからだ。


 ネヴィレッタが疲れて寝込んでいるという噂を聞き付けた人々が、ありとあらゆることに口を出してきた。騎士も歩兵も魔法騎士も、近隣に住む民間人まで、ネヴィレッタの身を案じてくれた。半分はお節介だったが、人に構われるということに慣れないネヴィレッタは断り方もわからず、それらを無制限に聞き入れているうちに日程がずるずる延びた。


 ネヴィレッタは一躍有名人になってしまった。ついこの間まで存在もあやふやなオレーク侯爵家の出来損ないだったというのに、気がついたらガラム王国を代表する存在にまで上り詰めてしまった。

 大陸全体がネヴィレッタの存在を認めたのだ。

 嬉しいような、恥ずかしいような、だった。


 かくして、オレーク侯爵邸前に帰ってきた。


「そんな能天気なことばかり言っていられる状況でもないのだけれどねえ。大陸中に君の名前が知れ渡ったのだから。これから熾烈な奪い合いになるかもしれない」


 そんなレナート王子の言葉に、ネヴィレッタはぎょっとした。王子はにやにやと人の悪い顔でネヴィレッタを見ている。やはりこの人は性格が悪いのかもしれない。


「ど、どうしたらいいのかしら」


 するとエルドがこんなことを言い出した。


「譲らないよ。ネヴィレッタを僕から奪いたい奴の挑戦、片っ端から受けてやるよ」

「ははは。最強と聖女の奪い合いか。傑作だ」

「笑い事じゃありません!」


 ネヴィレッタを送り届けるという名目で、エルドとレナート王子もついてきた。

 嬉しかった。両親がどんな反応をするかわからなかったので――帰ってくるなと言われるところまで想像していたので、確実に味方してくれると思えるエルドとレナート王子がついてきてくれたのにはこの上なく安心した。


 もちろんマルスとヴィオレッタも一緒だ。

 ヴィオレッタはもう何も言わなかった。人形のように愛らしい顔を硬く強張らせ、常に少しうつむいていた。ずっとこの状態なのを見ていると多少の同情心も湧くが、彼女の場合は自業自得だし、自分で乗り越えてもらわないと困るので何も言わない。


 マルスが門番に扉を開けさせた。

 みんなで門を抜け、屋敷の中に入った。


 玄関ホールで大勢の人が待っていた。使用人たち一同が整列して礼をしてくれていた。


「おかえりなさいませ、マルス様、ネヴィレッタ様、ヴィオレッタ様。いらっしゃいませ、レナート殿下、エルド様」


 歓待に慣れないエルドはレナート王子の後ろに隠れた。どこに行っても風下に置かれたことのないレナート王子は「諸君、楽にしたまえ」と鷹揚な態度を見せた。


 使用人たちの列を抜けると、奥のほうから両親が歩み出てきた。

 二人とも機嫌の良さそうな顔をして子供たちの帰りを待っていた。


「おかえりなさい、マルス、ネヴィレッタ」


 二人は、ヴィオレッタの名前を呼ばなかった。


「私たちの自慢の子供たち! 無事に帰ってきてくれて嬉しいわ」


 ヴィオレッタが下唇を噛み締めた。


 これはネヴィレッタにとっても予想外のことだった。ヴィオレッタではなく自分の名前が呼ばれたことなど今まで何度あったことだろう。


 両親に笑顔を向けられたことなど、記憶にない。


 二人が、急に態度を翻した。


「さあ、よく顔を見せてちょうだい」


 母が手を伸ばしてくる。


「ああ、ネヴィレッタ、私の自慢の娘。なかなか魔法が使えなくてずっと心配していたけれど、まさか聖女だったなんて。あなたは私たちの誇りよ」


 頬に触れようとする。


 頭の中で、何かが弾けた。


 母の手を、払い除けた。


「触らないで!」


 怒りで頭がおかしくなりそうだった。


「図々しい!」


 血という血が沸騰しそうだ。口から炎が噴き出てくるかと思った。


 両親が唖然としている。


「なんなの!? 急にそんなことを言い出して」

「ネヴィレッタ――」

「わたしが魔法を使えるとわかった途端こんな……、こんな」


 父が「許してくれ」とうな垂れる。


「お前が聖女だとは思っていなかったんだ。わかっていれば専用の教育を受けさせたのに」


 はらわたが煮えくり返る。


「頭おかしいんじゃないの!」


 いつかエルドに言われたことを繰り返した。


「わたしが聖女じゃなかったら一生役立たずの恥さらしって言い続けるつもりだったんでしょ!? 都合がよすぎるわ!」

「ごめんなさい、あの――」

「もう嫌いよ! 嫌い! あなたたちを親だなんて思わないわ! 本当に、心底嫌い!」


 すると父がこんなことを言い出した。


「親に向かって何だその口の利き方は!」


 すっと熱が冷めた。


「もうこの屋敷には帰らないわ。もう二度とオレークなんて名乗らない」


 かたわらで聞いていたレナート王子が笑い出した。


「まあ、そういうことだ。残念だったな、侯爵、侯爵夫人」


 母が拳を握り締め、真っ赤な顔でネヴィレッタをにらみつけた。けれどもう恐ろしいとは思わなかった。両親はその程度の人間だったのだ。


「減俸を言い渡す。無力な子供を虐待した罪だ。領地まで没収されたくなかったらとっとと息子に爵位を譲って田舎暮らしを始めることだね」


 そして、彼はヴィオレッタのほうを向いた。


「君もご両親についてローリアを出ていきたまえ。できる限り早急に。魔法騎士団に君の居場所はもうないのだから」


 意外にも、ヴィオレッタは素直に頷いた。彼女も彼女なりに魔法騎士たちに疎んじられていることに気づいているのだ。


「マルス、君も後片付けに奔走したまえ」


 兄も素直に「御意」と頷いた。


「そしてネヴィレッタは当面城で預かろう。聖女様のために上等な部屋を用意せねばね」


 まだ怒りの収まらないネヴィレッタはあえて「やったー」と明るい声を出した。


「これで片は付いた」

「嬉しいわ! せいせいしちゃう!」


 とっとと出ていきたくて踵を返した。その腰にエルドが腕を回してきた。優しく支えられながら歩き出す。


「お疲れ様、ネヴィレッタ」


 ネヴィレッタは「本当にね」と息を吐いた。


「怒るってなんだかとっても疲れるわ」

「そうだね、よくわかるよ」

「でも怒るわ。わたしだってたまには怒るわ」

「いいことだ。めいっぱい怒るといいよ。十七年分怒ればいい」


 ネヴィレッタ、エルド、レナート王子の三人は、振り返ることなくオレーク邸を出ていった。門を出たところで、三人で高笑いをしてしまった。




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