第26話 奇跡の真ん中、この美しい世界の中心

 ネヴィレッタはひとつ勉強になった。


「不利なほうが申し込むのが降伏、有利なほうが申し込むのが講和なのだよ」


 レナート王子は本当にものをよく知っている。彼には教わることがいっぱいだ。


 ガラム王国の使節団一行はメダード王国の将軍と正式な停戦の合意を取り付けた。完全な終戦は王都にいるメダード王と対話する必要があるのでまだもう少し先だが、メダード軍は七割以上の損害を出しすぐに戦闘を再開できる状況ではないので、これ以上の抗戦の意思はないらしい。


 夜通しの会談が終わり、一夜明けて翌朝、一行はガラム軍の本陣に帰ることになった。


「さーて、どんな条約を結ぼうかなー」


 帰り支度をするレナート王子は楽しそうだ。戦争が終わったので喜んでいるのだと思いたい。


 ネヴィレッタはメダード軍が用意してくれた馬車の中に寝転がった。

 あまりの疲労に目を開けていられない。馬にまたがるなどとんでもない。メダードの将軍が親切で助かった。


 実は、レナート王子たちが講和について会談している間、ネヴィレッタはずっとメダード軍の負傷者のために治癒魔法を使い続けていた。


 砦の野戦病院に収容されていた人々があまりの状態だったので、見なかったふりができなかった。いくら敵軍の人間といえどもこんなに簡単に死んでいいわけがない。ネヴィレッタは次々と奇跡を起こしていった。


 メダード軍の兵士たちにもたくさん感謝されて嬉しかった。奇跡が本物であることを記録され、ガラム王国に聖女がいるということを広く大陸に周知させられそうな雰囲気になり、面映ゆかったがネヴィレッタはこれでよかったのだと思った。


 だが途中で突然ふつりと意識を失った。


 気がついたら砦の救護室に寝かされていた。

 外は真っ暗な闇に包まれていた。いつの間にか真夜中になっていたらしい。


 兄にしばらく魔法を使わないようにときつく叱られた。兄は、ネヴィレッタがまだ幼かった頃、魔法が使えないことで魔法医の診察を受けたのを思い出したのだ。


 あの時魔法医はネヴィレッタには魔力がないわけではないと言っていた。魔力量は人並み、普通の魔法使いの平均くらいはある、とのことだった。火属性の魔力ではなく光属性の魔力だったので火属性の一族であるオレーク家にいては発現しなかったわけだが、とにかく、いくら特殊な属性の魔法でもエルドのように無制限に使えるわけではなさそうである。


 魔法の使い過ぎで死ぬところだった。せっかく戦争が終わるというのに平和を享受できずに人生が終わるかもしれなかった。もしかしたらエルドと一緒にいられる未来もあるかもしれないのだから死ねない。ネヴィレッタは初めて自分自身をもっと大事にしなければと思った。


 メダード軍の負傷者全員を回復させることができなかったのは残念だが、ネヴィレッタは、兄の言うとおり、疲労が完全に抜けるまで魔法を使わないほうがいいと判断した。とにかく、帰ってゆっくり休もう。


 馬車の椅子の上であおむけになる。いくら高級で車内が広いといっても馬車は馬車だ、足を伸ばせるわけではない。同乗したセリケが「早くローリアに帰ってゆっくりしましょう」と言いながら毛布を掛けてくれた。


 窓の外から騎士団の高官の男性が野太い声で号令をかけているのが聞こえる。馬車がゆっくりと動き出す。振動が少し気持ち悪いが馬の上にいるよりはましだ。


「やっと帰れるのね」


 オレーク邸には帰りたくないが、エルドの小さな家には帰りたい。あの森でゆっくり日光浴をしたい。


 しかしセリケは安直に頷かなった。


「そうだといいのですが」


 ネヴィレッタは目を開けてセリケの顔を見た。彼女は硬い顔で窓の外をにらんでいた。彼女が無表情なのはいつものことだったが、ネヴィレッタは言い知れぬ不安をおぼえた。


「まだ何かあるの?」

「ガラム軍の本陣に帰りつくまでは油断しないほうがいいでしょう」

「どういうこと?」

「軍隊は大きな組織です。首領が承知していても末端に周知させるまでには時間がかかりますし、周知しても納得するかどうかは別です」


 上半身を起こす。


「つまり……、どういうこと?」

「停戦を承知しない人間に襲われるかもしれないということです」


 その直後だった。


 腹に響く音がした。大きな、聞いたことのない、でも恐ろしい音だった。


 馬車が止まった。


「さっそくですね」

「何が起きたの」

「これは大砲の音です」


 セリケが立ち上がった。そして「あなたはここを動かないように」と言いながら戸を開けた。馬車の外に出ていく。戸を外から完全に閉める。

 ネヴィレッタも状況を知りたかった。セリケが出ていった戸を内から開けた。


 身を乗り出して、外の様子を確認して、震え上がった。


 メダード軍の砦に備え付けられた大砲が何門か、こちらを向いている。


 大砲だけではなかった。


 砦の下では何十人かの兵士が並んでいて、うち半分がこちらに銃口を向けていた。


 銃声が響いた。ネヴィレッタは恐怖のあまり動けなかった。セリケがとっさに分厚い氷の壁を作ってくれなかったらネヴィレッタも銃撃にやられていたかもしれない。氷の壁を貫通した銃弾が二つほど馬車に当たった。


 殺される。


 怖い。


 硬直したまま動けない。


 不意に馬車から引きずり出された。手の主はエルドだった。彼はネヴィレッタを横抱きにして引っ張り出すと、ネヴィレッタを抱えたまま地面に伏せた。


 すさまじい轟音がした。

 砲弾が馬車に直撃した。

 馬車が押し潰された。おびえた馬が逃げ出した。

 あともう少しでネヴィレッタも圧死するところだった。


 先頭、少し先を行っていた騎士団の人々が戻ってこようとした。マルスが「来るな!」と怒鳴ったので止まる。


「来てもらっても仕方がない。固まるとみんな一斉に死ぬぞ」


 エルドが「どうする?」とマルスに問いかける。


「銃火器が多い。向こうが弾込めをしている間に判断して指示を出して」

「無茶言うな」


 セリケが頭上に右手を掲げた。


「雨を降らせます。銃火器に使う火薬を使用不能にすれば逃げ道は作れましょう」


 彼女の全身を青い光が包んだ。彼女の瞳が銀色に輝いた。

 空が急激に曇り始めた。黒い雲がこごっていく。


 マルスが「やめろ」とまた怒鳴った。


「お前が死ぬぞ! お前も連戦続きだ、今は極大魔法を使うな!」


 セリケは頷かなかった。


「どのみちこのままでは全員が死にます。私一人を犠牲に皆が助かればそれでいいのです」


 そこでエルドが口を開いた。


「火薬を使えなくすればいいんだね」


 また銃声が響いた。今度はマルスが炎の壁を生み出して銃弾を溶かしたが、ネヴィレッタにもこれが何度もうまくいくわけではないことはわかっていた。


 雨が降り出す。炎が消える。


 ネヴィレッタを離して、エルドが立ち上がった。


 そして、両手を砦のほうに向けた。


 ネヴィレッタは目を丸く見開いた。


 それは、奇跡だった。


 砲台の基礎から、緑色のものが這い上がってきた。

 銃を構える兵士たちの足にも、同じ何かが絡みついてきた。


 メダード軍の兵士たちが困惑したらしく手を止めた。


 緑が――植物のつるが、急速に伸びてきている。


 どこから生えてきたのだろう。


 緑は青々とした葉を広げた。大砲をすっぽり包み込んだ。


 そして、白い花を咲かせた。

 美しい、花だった。


 その草はいくつもいくつも蕾をつけては次々と花を咲かせていった。白い花弁は可憐で、優しく、雨に濡れてつややかだった。


 銃口から白い花が咲く。冗談のように可愛らしいその様子に兵士は唖然としていた。

 砲口からも花が咲く。まるで横倒しの巨大な花瓶のように口からたくさんの花を咲かせる。


 雨はそれ以上強くならなかった。花を、銃を、大地を軽く湿らせる程度で、ややして少しずつやんでいった。


 草が広がる。砦が緑に包まれる。大地にも花が咲く。


 それは、春を思わせた。世界が時間を半年ほど先取りして爛漫の春を迎えたかのようだった。


 美しい世界だ。


 やがてみんな静かになった。戦意を喪失したらしい。


 両腕を広げて目を閉じていたエルドが、そっと、目を開けた。


「ああ」


 花咲く世界の真ん中に、彼は立っていた。


「今度は誰も殺さなかった」


 ここは、奇跡の真ん中だった。


 雨が止んだ。日の光が差し込んできていた。




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