第28話 僕らのちいさな家に帰ろう

 それから数日、ネヴィレッタは王城の中で過ごした。レナート王子が外廷の賓客室を長期滞在できるように整えてくれたのだ。


 最初は国家規模の賓客としての扱いに恐れおののいていたが、翌日には意識が切り替わった。

 国中から聖女の加護――治癒能力を求めて人が殺到したからだ。

 この大騒ぎは王城の厳重な警備の中でさばいてもらわなければならない。その上でレナート王子に保護されていておいそれとは表に姿を出せないというお触れを出してもらわなければ暴動が起きかねない。

 否、レナート王子の命令があっても、いつかは暴動になるかもしれない。それだけ世の中には聖女の救いを求めている人間がいる。


 本当はみんな救ってあげたかった。詰め寄せた人々全員に祈りを捧げて片っ端から癒してあげたかった。

 しかしネヴィレッタの魔力は有限だ。そんなことをしていたら遅かれ早かれネヴィレッタの命が尽きる。


「いくら大勢の人を救うためとは言え若い女性一人を犠牲にするのは悲しかろう。命の重さはそういう計算で測ってはならないのだ」


 レナート王子がもっともらしい顔でそう言うと、セリケから鋭い指摘が入った。


「聖女の存在は内政的にも外交的にも大きな切り札になりますからね。庇護者であるレナート王子の権威付けにもなります。いい商売にもなりましょう」


 少しずつわかってきた。なるほどレナート王子とは本当はそういう奴なのである。


 レナート王子に利用されるのはあまりおもしろいことではなかったが、今の自分は彼に保護されている身だ。それに王城の人々はネヴィレッタを大切にしてくれる。こんなに丁寧に世話をされたことなどない。面会も制限してもらえたことに救われている。実家にいたら娘が聖女であることを鼻にかけた両親が何をどう使おうとするかわからないのだ。


 ネヴィレッタの生活はおおむね安泰だ。


 ただ、ひとつだけ、不安なことがあるとすれば。

 聖女として目覚めたことにより、自分の人生は決定的に変わってしまった。

 つまり――何者でもない、無力で無能な少女だった時のように、エルドと森で静かに過ごすことができなくなるのではないか。


 あの、幸福がいっぱい詰まった小さな家に帰れるのは、いったいいつになるのだろう。


 それに、エルドは城に訪れなかった。ここ数日顔を見ていない。まさかネヴィレッタのことを忘れたわけではないだろうが、ちょっぴり寂しい。ネヴィレッタの顔を見られる喜びより城でちやほやされるわずらわしさのほうが勝ったということか。


 このまま会えなくなったら悲しすぎて死んでしまうかもしれない。


 窓の外を見た。森はすでに紅葉で真っ赤だった。エルドと紅葉狩りをしたい。




 かれこれ一週間が過ぎた頃、バジム王はこのたびの戦争の功労者をねぎらい顕彰する式典を執り行なうことにした。

 政治の難しいところはネヴィレッタにはわからないが、レナート王子から、国威発揚、という言葉を教えてもらった。こんなことにも軍人たちを使い回そうとする王に不快を感じる。けれど彼は今はまだこの国の最高権力者だ。いつかレナート王子が玉座に就くまで今は雌伏の時だ。


 ダンスホールとしても使う城の大広間に人が集められた。文官武官問わず国の重鎮たち、魔法騎士たち、超上流貴族の当主たちが来席している。あまりの豪華面子にネヴィレッタは萎縮した。


 ネヴィレッタには聖女だからということで王子に次ぐ上席を与えられた。

 自分はこんなところにいていい人間だろうか。そういう人間になってしまったのだろうか。不安が過ぎて恐怖に変わる。

 王族と見まごうばかりの豪奢なドレスを着せられて、ネヴィレッタはがたがた震えていた。早く終わってほしい。


 来賓たちがネヴィレッタを見て何かをささやき合っている。高貴な身分である彼らがネヴィレッタを指さしたり許可なく近づいてきたりはしないが、みんな話しかけたくてうずうずしているのは何となく感じ取った。けして敵意や悪意ではない。むしろ好意だ。そうとわかっていても、ネヴィレッタは何らかの意識が自分に向くのが怖かった。


 ラッパの音が響いた後、勇壮な音楽が奏でられ始めた。


「バジム国王陛下並びにレナート王太子殿下のおなり!」


 その言葉を合図に、集まった人々が起立し、胸に手を当てる礼をした。


 舞台袖から王族二人が姿を現す。堂々とした、悠々とした足取りは、ネヴィレッタの目にはよく似た親子に見える。

 バジム王が玉座に腰を下ろした。レナート王子は壇上から下り、ネヴィレッタの隣の椅子に座った。

 王が片手を挙げると音楽が止んだ。


「おのおの、席について楽にしたまえ」


 王にそう言われて、来賓たちがそれぞれ席に着く。


「こたびの戦乱は大変なことであったが、皆の者の尽力によりメダード王国と我が国との間に平和のいしずえが築かれた。皆の者に心よりの謝辞と賛辞を伝えたい」


 だがネヴィレッタは知っている。本当は、バジム王はおもしろくない。レナート王子が勝手に和平条約を結んでしまったからだ。


 バジム王はメダード王国を併呑したかった。だがレナート王子は賠償金の支払いとフナル山跡地の割譲だけで話を済ませてしまった。


 フナル山はもともと半分ガラム王国領だったし、エルドが吹っ飛ばしてしまったので今はもう何もないただの丘だ。バジム王が求めた土地ではない。しかしレナート王子は終戦を急いだ。


 ――と、これ以上は無知なネヴィレッタには細かいところがわからない。これからもっと勉強しようと決意した。


「まずは我が自慢の息子レナートを称える」


 大歓声と割れんばかりの拍手が起こった。それがレナート王子の支持率の高さを示していた。バジム王はそれもおもしろくないに決まっているが、役者としては立派で、顔には出さなかった。


「そして、この戦乱の最大の功労者、もっとも大きな武勲を立てた者」


 ネヴィレッタは目をみはった。


「魔法騎士エルド」


 広間の後ろのほう、魔法騎士団の幹部たちが並んでいるあたりから、立ち上がった青年の姿があった。


 エルドだ。


 今日の彼は緑の服を着ていた。魔法騎士としての礼装で、地属性を表す緑の生地に金糸で複雑な模様の刺繍を施されている詰襟の衣装だった。金茶の髪は編み込んでまとめている。どこからどう見ても立派な魔法騎士の幹部だ。


 それに、ネヴィレッタは言い知れぬ不安をおぼえた。


 まるで、知らない人のようだ。


 やめてと叫びたくなった。木綿の野良着にジャケットを羽織っただけの、さらりとした髪を適当にひとつにくくったあのエルドが恋しかった。


 彼は広間の中央に歩み出ると、花道にも見える中央の空間を通って王の前に歩み出た。


 壇の下、ネヴィレッタの前あたりで膝をつく。ひざまずき、王に向かって首を垂れる。そのひとつひとつの所作が洗練されていて人間離れして見える。


 場がどよめいた。


「あれが最強? あんな若造だったのか」

「意外だ、もっとすごい化け物かと思っていたのに」

「山ひとつ崩した悪魔とは思えん」


 エルドが注目されるのがつらい。

 けれどエルドは何も言わずにそのままの姿勢を保った。


「エルドよ」


 王が身を乗り出す。


「面を上げよ」


 エルドが顔を上げた。そして、挑むように真正面から王の顔を見据えた。


 王が言った。


「そなたには褒美を取らせる。望むものを何でも申すがいい」


 にぎやかだった広間が静まり返る。


「一括払いの報奨金か? 死ぬまで保証された年金か? 土地か? 屋敷か? 軍の高官の座も議会の議席も用意できる。そうだ、叙爵がまだだったな、伯爵はどう――」

「いりません」


 エルドは王の言葉を遮るようにしてはっきり言った。


「僕が欲しいものはひとつだけです」

「ふむ。聞こう」

「ネヴィレッタです」


 場がふたたびざわめいた。


 エルドは至極真面目な顔をしていた。


「聖女の地位なんてクソ食らえです。僕は彼女を連れて帰ります。彼女を二度と政治の場に引きずり出さないでください」


 バジム王が表情を消し、立ち上がった。


「ならん!」


 激昂し、唾を飛ばして怒鳴る。


「ネヴィレッタは聖女だ! この国を代表する存在だ、絶対に手放すわけにはいかん! 彼女はこの国の統合の象徴で、ゆくゆくはレナートと結婚させ――」

「何でもくれると言ったのはそっちだよね」


 エルドが不遜にも立ち上がり、吐き捨てるように言った。


「何でもくれるんでしょ。僕とネヴィレッタの結婚を認めてください。僕は他に何も望みません」


 そして、


「ネヴィレッタは普通の女の子で僕の婚約者です」


 そう言ってくれた瞬間、ネヴィレッタの両目からどっと涙があふれ出した。


 エルドが、怒りゆえに真っ赤な顔で口を開けたり閉めたりしているバジム王から目を逸らし、こちらを向いた。


 目が合った。

 彼は、優しく、にこ、と微笑んでくれた。


 抱き締めたい。

 けれど足がすくんで動けない。


 エルドのほうから駆け寄ってきてくれた。


「行こう」


 ネヴィレッタの手を取る。


「僕らの家に帰ろう」


 賓客たちからわっと歓声が上がり、レナート王子の時よりも大きな拍手が上がった。


 エルドがネヴィレッタの手を引いて大股で歩き出した。目指すは広間の出入り口だ。ネヴィレッタは笑みを浮かべながら走ってエルドについていった。


 わたしたちの家に帰ろう。

 幸福な、わたしたちの小さな家。




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