第23話 伝説は、本物だったのだ
山が、形を変えている。
フナル山の
その谷間に向かって、山の麓から一本の道が伸びている。馬車が通るような平らで幅広の道だ。ネヴィレッタがここにたどり着いた時そんなものはなかった。坑道やトロッコのために切り拓かれている山ではあったが、こんなに大掛かりな敷設の道路はなかった。
道の両脇には数え切れないほど木が倒れている。どれもこれも枯れている。エルドの家の裏にある森の倒木とはまったく違う。からからに乾燥して、命の輪から完全に外れているのが見ただけでわかる。
よく見ると道の上にいくつもひびが入っている。剥き出しの土の地面に割れがある。今の地震で崩れたのかもしれない。もう一度大きな力が加わったら崩れてしまうだろうことをなんとなく察する。
ネヴィレッタはしばらく呆然とその様子を眺めていた。
何が起こったのかわからなかった。
ネヴィレッタだけではなかった。魔法騎士たち、王立騎士団の甲冑を纏った騎士たち、歩兵の軍服を着た人たちも、ネヴィレッタの近くで目を真ん丸にして山を見上げて硬直していた。
まるで別の世界に飛ばされてしまったかのようだった。つい先ほどまで自分たちがいたフナル山はどこへ消えたのだろう。
谷の向こう側に動くものが見えたので、目を凝らした。
新しい道路を、騎馬の一団がこちらに向かって駆けてくる。騎士のようで騎士ではない、鉄板の甲冑ではなく軽装の革鎧の上にマントを羽織った人間だ。それが数十人、こちらへ近づいてくる。
ネヴィレッタは少し身構えたが、ややすると、相手がガラム王国の魔法騎士団の制服を着ていることがわかってきた。赤い制服は火属性、青い制服は水属性、白い制服は風属性、そして、初めて見る色の制服――今はもうすでに消滅したはずの地属性部隊の緑だ。
騎馬の一団の最後尾、他の皆より少し遅れてやって来たエルドは、途中で馬から下りた。一緒に駆けてきた赤い制服の男女――一頭の馬に二人乗りしているマルスとヴィオレッタに乗ってきた馬を託す。マルスが器用に手綱を繰ってこちらの陣中に連れてくる。
エルドはネヴィレッタたちに背を向けた状態で道の真ん中に立った。顔が見えない。どんな表情で山を見つめているのかわからない。
マルスはすぐネヴィレッタに気がついたようだ。部下にエルドの馬を預けると、彼は自分の馬に乗ったままネヴィレッタに近づいてきた。
兄の前には妹のヴィオレッタが座っている。
ネヴィレッタは眉間にしわを寄せた。
ヴィオレッタはマルスの胸にしがみついて横乗りになっていた。これではヴィオレッタ自身はおろかマルスも動けないだろう。魔法騎士は騎馬のまま大掛かりな魔法を使えるように訓練されているとはいえ、この体勢のヴィオレッタはどう考えても邪魔だ。
彼女は蒼白な顔をしていた。目を丸く見開き、口をうっすら開けている。兄の服の胸をつかむ華奢な手は小刻みに震えているようだった。
「何があったの?」
ネヴィレッタが兄に尋ねると、彼は不機嫌そうな顔をしてこう答えた。
「山の向こうで魔法使い同士の魔法合戦になったら怖気づいた」
メダード王国にも魔法を使う兵士がいる。だが魔法使いの研究が進んでいないメダード王国ではガラム王国の魔法騎士団のように体系立てて作られた組織はないらしい。魔法騎士団に対抗するために徴兵した魔法使いをがむしゃらに投入していたずらに消耗しているのだそうだ。
そんなメダードの魔法使いたちにガラムの魔法騎士団が敗れるわけがないのだが、目の前で魔法のぶつかり合いを見たことのないヴィオレッタにとっては恐ろしいことだったに違いない。
気持ちはわからなくもない。ヴィオレッタは王都ローリアで大事に育てられてきた令嬢だ。魔法の訓練は受けてきたが、彼女に求められているのはあくまで火属性の部隊の象徴的な隊長であり、実戦に参加することは想定されていなかったのだろう。
しかし、ちょっとがっかりしてしまった。それなりに訓練を受けてきてはいるし、自分が来れば大丈夫だと豪語したこともあったのに、兄の足を引っ張るだけで帰ってきたのか。
「それに――見ろ」
兄が振り返った。ネヴィレッタはその視線の先をたどった。
道の真ん中で、エルドが両手を自分の肩のあたりの高さに掲げていた。
ネヴィレッタの目には、エルドの手の平から何か光のようなものが放たれたように見えた。
次の時だった。
山にぼこぼこと穴が開いた。
見間違えたわけではない。
文字どおり、山肌に穴が開いたのだ。
穴の中に、木の柱と岩盤を削って作られた道が出てきたのが見えた。
坑道が崩落した。
正しくは、坑道を崩落させた。
エルドが右手を横に薙いだ。
山が震えた。
こちらにも震動が伝わってきた。
おびえたのか馬がいなないた。ヴィオレッタも悲鳴を上げた。
右の頂が、崩れ落ちた。
エルドが左手を横に薙いだ。
また、山が震えた。
空気までもが震えて、大きな地響きが聞こえた。内臓が突き上げられるような音と震動だった。
左の頂が、崩れ落ちた。
フナル山は、ほぼ更地も同然の姿になった。
山が、消えた。
ネヴィレッタは、息をするのを忘れた。呼吸を止めたまま、エルドの背中を見つめていた。
これは、もはや、神の領域だ。人間にできることではない。
いわく、一人で広大な森を切り拓いた。
いわく、一人で敵の砦を破壊した。
いわく、一人で敵の大隊を撃滅した。
そして、一人で、山をひとつ潰した。
伝説は、本物だったのだ。
エルドがこちらを向いた。こんなに強大な魔法を使ったら並みの魔法使いなら意識を失うと思うが、彼は顔色ひとつ変えていないように見えた。しかしどことなく冷たい、感情のない無表情だった。
彼が一歩進むたびに、道にあったひびが隆起し、埋まっていく。まるで傷口が縫合されるように、盛り上がり、治癒される。その間彼は魔法を使っているそぶりさえ見せなかったが、ネヴィレッタはこの道そのものがエルドの魔法なのだということに気づいたし、もっと言えば、頂が二つに分かれた原因も木が根こそぎ枯れた原因もエルドであることを悟った。
周りの歩兵たちが、一歩、二歩、と後ずさった。魔法騎士たちでさえ、硬直したまま動かなかった。
エルドは、平然とした足取りで、悠々と、近づいてきた。
ネヴィレッタ、マルス、ヴィオレッタの三兄妹の目の前まで来た。
マルスが、ヴィオレッタを馬から下ろして、自らもまたすぐ地面に下りた。兄が下りてくるとヴィオレッタはまたすぐ彼の胸に縋りついた。
最初に口を開いたのはヴィオレッタだった。
「化け物!!」
彼女は恐慌状態で叫んだ。
「あなた何なの? 人間じゃないでしょ!」
エルドは何も言わず落ち着いた目でヴィオレッタを見つめていた。
「こんなに壊して、あんなに殺したのに、どうしてそんな顔をしていられるの?」
「ヴィオレッタ」
「近づかないで。死にたくない。死にたくない!」
「もうやめろ」
マルスが大きな手でヴィオレッタの口をふさいだ。
「やめてくれ」
ヴィオレッタはまだ何か叫びたいらしくもごもごと呻いていた。マルスがヴィオレッタを抱えて後方に下がっていった。
ネヴィレッタはその場から動かなかった。
動けなかった。
動きたくなかった。
「ネヴィレッタ」
エルドが、ふ、と表情をほころばせた。落ち着いた、しかしどこか悲しそうな笑みだった。
「見た?」
「何を?」
「僕が魔法を使うところを」
「ええ、見たわ」
声が、震える。
「怖い?」
ネヴィレッタは首を横に振った。
涙があふれてくるのを感じた。
「大丈夫なの?」
「何が?」
「こんなに大きな魔法を使って、あなたもどこか調子を崩したりしていない?」
本音を言えば、怖かった。
野戦病院のテントの中で呻いている魔法使いたちのようにエルドまで倒れてしまうのを想像すると、恐ろしかった。
無事でいてほしかった。元気でいてほしかった。
エルドにこんな無茶をさせるバジム王を憎いと思った。
感情があふれてきて止まらない。
「無理はしないで。あんまり大きな魔法を使って、おかしくなってしまわないで」
山がひとつ消えた。
それは、もう、人間にできる技ではない。
その分、エルドに負担がかかっているのではないか。
エルドはゆるゆると首を横に振った。
それから、駆け寄ってきた。
ネヴィレッタは驚いた。
エルドが腕を伸ばしてきて、ネヴィレッタを抱き寄せた。
強く、強く、抱き締められる。抱き潰されてしまうのではないかと思うほどの力だった。
ネヴィレッタの後頭部を撫でる手が、震えている。
「頭がおかしくなりそうだ」
ネヴィレッタも軽くエルドを抱き締めた。彼のぬくもりを感じたかった。筋肉の躍動、心臓の鼓動、そういったものから生を感じる。
だがエルドの肩に頬を寄せた時、視界に何人かの魔法騎士の姿が入った。ネヴィレッタは我に返って赤面した。
「エルド、みんなが見ているわよ」
しかしエルドはネヴィレッタを離してくれなかった。彼はしばらくの間そのまま固まっていた。ネヴィレッタは困ってしまったが、エルドの背中をぽんぽんと叩きながら恥ずかしさに耐えた。
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