第24話 とびっきりひとの役に立てる魔法

 エルドたち魔法騎士団の本隊は怪我人も連れて帰ってきた。


 ネヴィレッタはテントの中に広がる生々しい血と肉の臭いにたじろいでいた。


 怪我人の大半は火傷を負っている。

 聞けば、敵方にも魔法使いが従軍しているらしい。メダード王国の火属性の魔法使いたちが反撃しているのである。

 浅はかだった。どうして火属性の魔法をガラム王国の、ひいては我が家の専売特許だと思っていたのだろう。ガラム王国だけが魔法使いを生み出しているわけではない。魔法使いは生まれる国を選んで生まれてきているわけではないのだ。


 高熱にうなされている少年魔法騎士のそばに座り、額の汗を拭ってやった。今朝看護師のまねごとを始めたばかりのネヴィレッタに怪我の手当てをすることはできない。早く薬を塗って包帯を巻いてやりたい気持ちはあるが、ネヴィレッタにできるのは、意識を失わないよう声掛けを続けること、気にかけている人間がいると知らせてやることで少しでも安心させること、くらいしかない。


 つい先日まで他人に話しかけることもできなかったネヴィレッタだったが、今は不思議と声が出た。自分がそうすることで救われる人がいると知ったからかもしれない。


「ありがとうございます」


 その言葉だけでネヴィレッタは強くなれる。


 今ネヴィレッタが汗を拭ってやった少年の隣に、ネヴィレッタと同じくらいの年の少年がいる。彼も火傷をしていたが、今横になっている少年よりは範囲が狭いためか多少は動けるようだ。


「蹴散らしてやりますよ」


 意気揚々と勇ましいことを言う。


「ガラム王国魔法騎士団の名に懸けてメダード王国を叩き潰してご覧に入れます。見ていてください。あんな烏合の衆に厳しい訓練を乗り越えてきた我々が負けるはずがありませんよ」


 しかしそう聞くとネヴィレッタはかえって落ち込んでしまう。

 メダード王国の魔法使いたちはどうやらきちんと訓練を受けた正規兵ではないようだ。魔法騎士団に対抗するために急場しのぎで集められたものと思われ、集団での戦法のなんたるかをわかっていない。

 つまり、民間人と紙一重の存在ではないか。

 魔法騎士は魔法の使える騎士だ。専門家集団であり、たとえ相手も魔法使いであったとしても素人ならこちらのほうが有利だ。

 つらい。


「恐ろしいことを言わないでちょうだい」


 むりやり戦場に連れてこられるのはいったいどんな気分だろう。どれほど怖かったことだろう。どれほどつらかったことだろう。しかも相手は訓練を積んだ大陸最強とうたわれる魔法使い集団だ。挙句の果てには今回の戦闘には神に等しい能力を持った伝説の魔法使いが参加している。


 すぐそこに迫った死を意識しながら必死に敵を焼く。


「魔法騎士って、自分より弱い人にそんなことを言う人たちなの」


 ネヴィレッタがそう言うと、少年は黙った。


「それに、なんだかんだ言って、火傷させられてきているじゃない。相手を見下してはだめ」

「はい……、ごめんなさい」


 謝られてびっくりした。自分がそんな言葉をかけられる人間になっているとは驚きだ。彼より優位に立ったのだろうかと考えてしまって不安になる。自宅にいる時のネヴィレッタはとにかくひとに謝ってばかりなのだ。


「わたしのほうこそごめんなさい、偉そうなことを言ったわ」

「やあやあ、ごきげんよう」


 はっとして弾かれたように顔を上げると、テントの戸の部分を開いて数名の人間が入ってくるところだった。ネヴィレッタが顔と名前を知っていて一致させることができるのは、マルス、レナート王子、そしてヴィオレッタの三人だ。


 テントの中には多数の負傷者が転がっている。初めて入ってきた時ネヴィレッタはたじろいだものだが、男二人は平然としている。自らも戦場に立って指揮を執り彼らを回収してきたマルスは当然だが、レナート王子も顔色を変えなかったのはさすがだ。彼の神経の太さは称賛に値する。

 一方ヴィオレッタは美しい顔をくしゃくしゃにゆがめた。露骨に不快感をあらわにした顔だった。テントの中に漂う悪臭が気になったらしく鼻をつまむ。


「おい、ヴィオレッタ」


 マルスが末妹をたしなめる。


「みんなガラム王国のために戦って怪我をした功労者だぞ。名誉の負傷だ。そういう顔をするな」


 そしてネヴィレッタをちらりと見る。


「ネヴィレッタはしっかりしているぞ。甲斐甲斐しく怪我人の世話をしている」


 ネヴィレッタは心が少しだけ弾んだ。ヴィオレッタと比較されて褒められたことなど記憶にない。

 だが、すぐに自分で自分を心の中で叱る。喜んでいい状況ではない。大勢怪我人がいるのだ。彼ら彼女らを手厚く看護するのは当然のことで、ヴィオレッタとの関係という個人的で些細なことのために一喜一憂している場合ではない。


 魔法騎士たちはヴィオレッタの顔を知っている。火属性の部隊で戦闘のための魔法を訓練してきたからだ。部隊の人間からしたら彼女は妹のような存在のはずだ。今までいたかどうかも怪しいネヴィレッタとは違って、だ。


 ある青年が這いずってヴィオレッタのほうへ向かった。


「ヴィオレッタ様、僕――」


 ところがヴィオレッタは蒼ざめた顔をして兄の後ろに隠れた。彼が酷い火傷をしているからだろう。きっと怖くなったのだ。


「ち、近づかないで」


 裏返った、ひきつったような声で彼女は言った。

 途端、あちこちから溜息とささやき声が聞こえてきた。


「なんだ、がっかりだ」

「今までのは何だったのかしら」

「まあ、十四歳の子供なんてそんなもんなのかなあ」


 レナート王子が意地悪く笑った。


「民衆の支持を得られない王妃はいらないな」


 ヴィオレッタが蒼白い顔でうつむいた。


 ネヴィレッタは気づかなかったふりをしてヴィオレッタに近づいていった青年を追いかけた。傷のない肩をそっとつかみ、「横になりましょう」と言う。青年が我に返ったようにネヴィレッタの顔を見る。

 少しでも安心できるようにと、笑みを作った。

 彼も、表情を緩め、目を細めてくれた。


「あなたは天使のようだ」


 その言葉が、涙が出るほど嬉しかった。生きていてよかったと思えるほど嬉しかった。


「わたし、何にもできないけれど、早くあなたの痛みが消えて楽になるよう祈るわ」


 彼の手をつかんだ。


「わたし、祈るわ。あなたのために。みんなのために」


 そう言って目を伏せた、その時だった。


 全身が熱くなった。体中の血の温度が急に上がったような感覚だった。心臓を中心に血管という血管が広がっている気がする。体の中を巡る血を胸から指の先まで感じる。

 何かが体の中からあふれ出た。それは全身の皮膚から漏れ出したように感じた。特に手の平が熱い。

 頭の中が真っ白になる。


「……え?」


 目を開けた。

 信じられないものを見た。


 青年の半身を苛んでいた火傷が消えて、滑らかで少し色の薄い、新しい皮膚に変わっていた。


 彼自身も驚いているようだ。自分の顔面に触れ、傷がないことを確かめている。


「いったい、何が」


 先ほどの少年が駆け寄ってきた。


「僕も」


 そう言って彼が突然ネヴィレッタの手をつかんだ。


 次の時だ。


 彼の全身を薄暗い廊下に差す日光のような光が包み込んだ。


 彼の腕からも、傷が、消えた。


「なに……、これ」


 周りにいた別の人間が、ぽつりと呟いた。


「奇跡だ」


 だがネヴィレッタは知っていた。

 その奇跡は、自分の体からあふれ出ている。


 動ける怪我人が一斉にネヴィレッタにたかり出した。


「私も治してください」

「俺も」

「わたしも!」


 ネヴィレッタは深く考えるのをやめた。衝き動かされるがまま、全身を何かが駆け巡っているのを意識しながら順番に人々の手を握っていった。触れた人から次々と傷が癒えていく。

 祈りが、届く。


「驚いたな」


 レナート王子が呟いた。


「なんと、何の魔法も使えないと思っていたのに、魔力の性質が根本的にオレーク家と――一般の魔法使いと違っていたのか」


 マルスがいまさら「どういうことだ」と口を開いた。

 レナート王子がにんまり笑った。


「本物の聖女だ。地属性よりも希少価値の高い、光属性の魔法使いだ」


 かりそめの聖女として祭り上げられるはずだったヴィオレッタが、「何それ」と金切り声を上げた。レナート王子が「君はお役御免だ」とはっきり言った。


「聖女?」


 テント内の全員の傷が癒えた。自分のしたことの大きさを意識できないまま呆然としているネヴィレッタを、何人かの魔法騎士たちが抱き締めた。


「聖女だ」

「我々の聖女様!」


 信じられない。

 けれど確かに、今は、全身を駆け巡る魔力を感じる。


 自分にも魔法が使える。

 それも、とびっきりひとの役に立てる魔法が。


「わたしが聖女ですって」


 ネヴィレッタは魔法騎士たちにもみくちゃにされながらしばらく目を真ん丸にしていた。

 レナート王子が微笑んだ。


「おめでとう、ネヴィレッタ。生まれて初めての魔法はどうだい?」




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