第21話 レナート王子の真意は凡人の身でははかりきれない 後編

 少しの間父は考え込んだ。彼は魔法使いであると同時に軍人でもあるからか、お国のために、という言葉に弱い。まして今まで何の役にも立ってこなかった娘を活用できると思えば千載一遇の機会だと思うのではなかろうか。


「国中の人間がオレーク家には子供が三人いることを知っている。長女だけ引っ込んだままというのは違和感があると思わないかい?」


 父が口を開いた。


「しかし本当に何の役にも立たないのだ。何もできない娘がいると思われるのも恥だ」

「魔法騎士団はともかく、王立騎士団は若い女の子が来るだけで喜ぶと思うのだけどね」

「そういうことならばこのヴィオレッタがおりますので」


 ヴィオレッタの目が輝く。


「おそれながらガラム軍の旗印としてこの子ほど使える人間はおるまいと存じます。魔法も使える、見目麗しい、三百年の伝統を持つ我がオレーク家の末っ子――どこに出しても恥ずかしくないのはこちらかと」


 そう言って父はヴィオレッタの肩を抱いた。ヴィオレッタが嬉しそうに目を細めた。


「それはよくない」


 だがレナート王子は首を縦に振らない。


「彼女も連れていくが、彼女には火部隊の人間として戦ってもらう。王立騎士団の慰問には行かせられない」

「慰問か」

「ネヴィレッタに求めているのは奉仕活動だ。魔法貴族が魔法に頼らない方法で騎士団に尽くす。健気な話だ。なんならいるだけでいい。オレーク侯爵家が王立騎士団にも心を寄せているということをアピールするだけで結構」


 父がまた考え始めた。


「どうかね? ネヴィレッタ」


 レナート王子がこちらを向き、微笑みかける。


「エルドが魔法を使うところを見たくはないかい?」


 そういえば、エルドがどんな魔法をもって最強と言われているのか、ネヴィレッタは把握していなかった。農作業や土木作業に魔法を使っているのは見たが、それをどう戦闘に応用するのか気になる。


 それに、エルドのそばにいられる、というのはネヴィレッタにとって心を揺さぶられる提案だった。傷ついた彼を出迎えるだけの人間にはなりたくなかった。彼を傷つけない、傷ついてもすぐ心の手当てができる、そういう環境に身を置けるのは前向きに考えてもいいのではないか。


 加えて、ネヴィレッタもひとの役に立ちたかった。自分を屋敷で何もせずに時を過ごすだけの無能だと思いたくなかった。マルスもヴィオレッタも戦場に行くのに自分だけが中央でぼーっとしているのも申し訳ない半分悔しい半分だ。


「連れていってくださいませんか」


 思い切って言った。


「父の言うとおり、何もできない娘です。でも何かはします。何でもします。お裁縫でも、お洗濯でも、一生懸命やります」


 そして頭を下げる。


「魔法を使えなくてもいいなら。魔法を使わなくても皆さんの役に立てる方法を考えます」


 父はネヴィレッタをまじまじと見つめた。居心地が悪くてネヴィレッタは顔を上げなかった。負けない、と思った。ここで撤回してはすべて台無しだ。レナート王子が来いと言ってくれたのだから応える。


 世界を見たいし、触れたい。

 ましてそれにエルドがかかわっているのなら、なおのこと、気づかなかったふりをしたくない。


「――承知した」


 ややして、父が言った。


「そのかわり殿下にひとつご検討いただきたいことがあるのだが」


 レナート王子が「ほう」と目をしばたたかせる。


「何なりと申したまえ」


 ひと呼吸おいてから、父はこんなことを言い出した。


「ネヴィレッタを表に出すという危険を冒した我が家に褒美として次期王妃の座を約束していただきたい」

「なんと」


 ネヴィレッタはぎょっとしたが、次の時、なるほど、と頷いた。


「ヴィオレッタとご婚約いただけないだろうか」


 自分ではなかった。ほっとした。冷静に考えれば父もエルドと自分の関係を把握しているようだから当然か。

 ヴィオレッタも嬉しそうな顔をした。満面の笑みが美しくて少し怖い。

 レナート王子は一拍間を置いたが、応とも否とも即答しなかった。


「検討はしよう」


 ヴィオレッタが無邪気に「ありがとうございます」と言った。


「さて、話はまとまった。おのおの出立の準備をしたまえ。今日中にはローリアを出るぞ。できる限り早く支度を整えたまえ」


 父が「御意」と言って頭を下げた。

 ヴィオレッタが「がんばります!」と大きな声で言って笑った。


「おっと、ネヴィレッタ、君はちょっと残ってくれないかい? 一言二言話をしたい。侯爵とヴィオレッタはもう下がってくれないか、侯爵の屋敷なのに変な話で恐縮だけれども」


 父はまたちょっと考えたようだが、そのうち「承知した」と言って首を垂れた。ヴィオレッタの肩を抱いて退出する。


 応接間に、王子、エルド、ネヴィレッタの三人が残った。


 エルドが眉をひそめた。


「あの子と婚約するの?」


 レナート王子はいけしゃあしゃあと言った。


「侯爵家の令嬢の輿入れはさほど身分違いでもないので、持ち帰って検討してみよう。魔法騎士団の家系であるオレーク侯爵家と私がずぶずぶなのは今に始まったことではないし、そんなに突拍子のないことではあるまい。――とでも言うと思ったか」

「言いそうな気もした」

「失礼な。とりあえずここはいったん口約束で収めるのが吉と判断したまでだ。国内貴族同士のしがらみや国際情勢を鑑みると私が娶るべきはメダード王国の王女様だと思うのだがどうかね」

「たまにはまともなことも言うね」


 ネヴィレッタは胸を撫で下ろした。


「わたしを戦場に連れていってくださるのですね」


 そう言うと、王子が笑みを見せた。


「乗り気になってくれて嬉しい。ネヴィレッタ自身が怖がって拒否するようならば諦めようと思っていたが」

「わたしも強くなりたいんです。本当に何もできないのですけど。それに、そうすることが家のため、国のためになるというのは、なんだかちょっとだけ悔しいのですけれども」

「おっ、いいね。君に悔しいという感情が芽生えて私は嬉しい」


 エルドが「殿下に同意するのは癪だけど僕も」と苦笑した。


「でも、殿下?」

「なんだい?」

「どうしてわたしを連れていってくださる気になったのですか?」


 レナート王子の目をまっすぐ見据えて尋ねた。


「殿下がただぼんやりとした不安やら心配というお気持ちだけでこんな冒険をなさるとは思えないのですが。わたしにまだ利用価値があるとお考えなのでしょうか?」

「失礼な。私は心優しい王子様だぞ。人並みの喜怒哀楽がある」

「嬉しいですけど……、本当に何もできないので。もちろん、何かできるように努力はしますけれども」


 彼は声を漏らして笑った。


「侯爵の利益はすべてまるまる私の利益なのだ」


 オレーク侯爵家が子供を三人とも出征させること。そして民の同情を引くこと。

 王立騎士団に取り入ること。何もできない若い娘が軍隊のために健気に働こうとしているとアピールすること。

 オレーク侯爵家に無能はいないということを、広く世の中に知らしめる。

 それらが、オレーク侯爵家、ひいては魔法騎士団と癒着しているレナート王子にとってどれほど強力な宣伝材料になることか。王との対立が深まる中では一人でも多くの国民の支持が必要だ。


「やっぱり、わたし、また利用されるのですね」

「また、とは何だい、また、とは。人聞きの悪い」


 しかしネヴィレッタは微笑んだ。


「構いません。わたし、そういう形でしたらお役に立てます。わたしの存在をお使いくださいませ」


 何より――子供っぽいことなので口に出しては言えないが、どんな形であってもエルドのそばにいられるのは嬉しい。

 そう思うネヴィレッタに同調するように、エルドがこんなことを言い出した。


「君を中央に置いておいて不安なのは僕なんだ。ごめん」


 くすぐったくて声を漏らして笑ってしまった。


「では、わたしも出掛ける支度をします。少しお時間くださいませね、すぐにまた出てきますので」

「ありがとう。待っているよ」


 ネヴィレッタも礼をしてから部屋を出た。

 初めて遠出する先が戦場というのは不安だけれど、兄も、王子も、そして何よりエルドがいる。

 負けない。


 扉が閉まってから、エルドとレナート王子が顔を見合わせた。


「言わなかったね」

「何を?」

「一番の理由は、僕をつなぎ止めておくためにネヴィレッタを人質として手元に置いておきたいからだ、って」


 レナート王子がいたずらそうに笑った。


「君を縛る鎖になっていると知ったら、彼女はきっと悲しむだろう。私は紳士だから女性の涙に弱いのだ」

「よく言うよ」



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