第20話 レナート王子の真意は凡人の身でははかりきれない 前編

 帰宅したネヴィレッタは、自分の部屋で呆然自失で過ごしていた。


 エルドが魔法騎士団に戻ることになってしまった。


 カイと別れた後、ネヴィレッタとエルドは一緒に中央に戻ってきた。その間二人は無言だった。エルドはネヴィレッタが何を言われても納得しないであろうことを察していたのだろう。ネヴィレッタも自分が何をどう言ってもエルドを引き留められないことを察していた。こんなにも想い合っているのに通じない。十七年生きていて初めてそのはがゆさを知る。


 兄マルスは戦争が始まったと同時にフナル山へ赴任した。ヴィオレッタも現地に向かうための準備をして待つよう言われている。ネヴィレッタだけが蚊帳の外だ。


 大切な人が危険な任務に携わろうとしているのに、自分だけが何もできずにこんなところでくすぶっている。


 本当に、何にもできないのだろうか。


 不意にドアをノックする音が聞こえてきた。誰だろう。自分に用事のある人間などこの世にいないような気がしていたが、無視をするわけにもいかなくて返事をした。


 ドアの向こうから聞こえてきたのは初老の男性の声だった。家令だ。

 この家令は子世代三人を差別しない家中では貴重な人だ。誰に対しても、ネヴィレッタが相手でも冷静沈着かつ丁寧だ。けして優しいわけではないが、特別悪意を持って接することもないので、ネヴィレッタも多少はまともに会話ができる。


「ネヴィレッタ様にお客様でございます」

「わたしに?」


 ちょっと身構える。


「どなたかしら」


 予想外の名前を出された。


「レナート殿下とエルド様です」

「レナート殿下ですって?」


 その場で引っくり返るかと思った。


「何の用事かしら」


 家令が答える。


「レナート殿下はエルド様のお付き添いだとおっしゃっています。出立の前にネヴィレッタ様にご挨拶をとお考えのようです」

「殿下ってそんなお方だったかしら」

「ともかくお見えになっているのは事実です。ネヴィレッタ様をご指名でお待ちになっています。お支度を」

「わかりました。すぐに行きます」


 慌ててドレスの乱れを直し、髪を軽く梳かして廊下に出た。




 賓客を出迎えるのに使っている応接間に行くと、エルド、レナート王子、そして父が待っていた。王太子殿下がお越しなのに家長のオレーク侯爵がもてなさないはずがないのだが、ネヴィレッタはつい警戒してしまった。どうやらエルドとしっとり別れを惜しむというわけにはいかなさそうだ。


 父は魔法騎士団の一線を退いて久しい。けれど今でも魔法騎士団の裏方として糧食や物資の運搬を支える会計顧問をしている。武力としての統率者はあくまで息子のマルスに譲ったというていだが、実務的な部分は彼がほぼ全部掌握していた。


 魔法騎士団は魔法使いに理解を示すレナート王子を全面的に支持している。したがってレナート王子がオレーク侯爵にさらなる支援を求めるのはさほど不自然ではない。わざわざ王子自身が出向くというのはおおごとだが、彼とオレーク侯爵が会うこと自体はそんなに変な話でもないのである。


 父とレナート王子は打ち解けて話をしているようだったが、エルドは脇で一人おもしろくなさそうな顔をしていた。ネヴィレッタが父からも疎まれていることを打ち明けたからだろう。複雑な心境だ。エルドが父に食ってかからないことを祈る。


「お待たせいたしました」


 ネヴィレッタが声をかけると、三人分の視線が集中した。ちょっと居心地が悪い。


「わたしをお呼びだと聞いたのですが……」

「彼が最後にもう一度君に会いたいと言うのでね」


 レナート王子が親指でエルドを指した。エルドは何も言わなかった。ネヴィレッタは顔が熱くなるのを感じた。


「ちょっと、お父様の前でそんなこと、やめてください」

「おっと、君も大きな声を出せるようになったのかね。よきかなよきかな」


 へらへらしているレナート王子に腹が立つ。


 一方父は満足げな様子だ。


「ご挨拶申し上げなさい、ネヴィレッタ。エルド君はお前のためにと言ってくれているのだから」


 戦時中で息子も出征したというのに能天気な父親だ。彼からしたら、もしもネヴィレッタとエルドが本当に結婚したら、非魔法使いのネヴィレッタを都合のいいところへ出して厄介払いすることができ、しかもオレーク家と最強の魔法使いの結びつきが深まるので、きっととても良い話なのだろう。悲しいし悔しいが、ここにいる面々は誰と誰との間であっても利害の対立がない。乳幼児のように床に転がって文句を言いたい気持ちを抑える。


 ネヴィレッタが口を開きかけた時だった。


「お父さま!」


 背後から明るく軽い声が響いた。


「お客さまがいらしていると聞いたわ」


 振り向くと案の定ヴィオレッタが部屋に転がり込んできたところだった。フナル山へ行くための旅装に身を包んでいるが、表情がとても明るい。遊びに行く前のようでそれもネヴィレッタはおもしろくない。彼女からしたら自分の実力を見せつける格好の舞台だ。これから行く先々でちやほやされるだろう。対するネヴィレッタはこんなにつらい思いでエルドを送り出そうとしている。


 見送りたくない。


「ごきげんよう」


 レナート王子は何でもない顔で「ごきげんよう」と言ったが、エルドは「出たな」と顔をしかめた。賢いヴィオレッタはエルドには何も言わなかった。


「わたしを迎えに来てくださったのですか?」

「すごい自意識過剰」


 エルドの悪態にヴィオレッタがさらっと「エルドさまは冗談がお嫌いみたい」と言う。ここで小さい子のように地団駄を踏まないあたりヴィオレッタは令嬢としてよくできている。


「残念ながら私たちはネヴィレッタ嬢を迎えに来たのだ」


 レナート王子が満面の笑みで言った。


「父からご下命があった。私も前線で指揮に当たることになったのだ。それにエルドを伴っていく。そして、そこへ、ネヴィレッタにもついてきていただきたい」


 ネヴィレッタはぽかんとしてしまった。


 オレーク家の一同はしばらく固まっていた。みんな何を言われたのかわからなかったようである。


「一緒に来てくれないかい? ネヴィレッタ。戦場は恐ろしいところだがエルドが守ってくれるそうだ」


 彼は何の間違いもないという顔で続けた。


「どういうおつもりか」


 父が初めて険しい顔をした。


「殿下もご存知のはずだ。この娘は一切魔法が使えない。何のお役にも立てないと存ずるが」

「かといって中央に置いていくのにも不安がある。私の目の届かないところでぞんざいな扱いをされるのかと思うと心配なのだ」


 ネヴィレッタは唇を真横に引き結んだ。この王子がそんな優しい理由でこんな突拍子もない行動に出るはずがない、と思うのと同時に、凡人の身で彼の真意を推しはかるのも無理なような気もする。


 レナート王子は翠の瞳をらんらんと輝かせながら話し続けた。


「侯爵にとっての利のある話のはずだ。なぜならばオレーク家の娘が二人とも戦場に赴くことになる。これは恰好の宣伝材料ではないかい? オレーク家はお国のためにすべての子供を供出したのだ。これほど民の涙をそそることはあろうか」


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