第19話 こんな状況では魔法騎士団はもたない

 フナル山はガラム王国首都ローリアから東に馬で丸三日駆けたところにある山だ。鉄鉱山で、良質な鉄が採れる。したがって西のガラム王国と東のメダード王国が長年熾烈な領土争いを続けてきた。


 ここ数年は魔法騎士団の圧倒的な武力により東へ快進撃を続けるガラム王国が領有権を握っていた。しかしガラム王国はメダード王国の鉱夫に鉄鉱石の採掘を許していた。採掘する人員の確保のためだ。あえて採掘を許可することにより、一定割合をガラム王国に納めさせていたのだ。


 ところがそれが東西両国の鉱夫の不幸の始まりで、民間人のあいだで陣地取りが始まった。より多く採れる場所を巡ってしばしば衝突が起こるようになった。

 そこを利用してバジム王が派兵を決定した。


 季節は秋だ。フナル山の東の尾根、メダード王国側は雪が降る。冬になる前に進軍する、ということはすなわち、メダード王国の内部に兵を送る意図があること、そして本格的な冬が来るまでの短期間で決着をつけようとしていることを意味していた。


 フナル山は鉄の採掘のために剥き出しの土の山肌を露出している箇所も多いが、全体としては広葉樹が生い茂っている。くしくも紅葉が美しい。


 その紅葉の間を、メダード王国の軍服を着た兵士たちが銃を抱えて走り抜ける。雄叫びを上げながら突撃してくるさまは勇猛でもあり無様でもあった。


 ガラム王国の魔法騎士団の制服を着た若者たちが二列に並んでいる。


 前列に並んでいるのは赤い腕章、すなわち火属性部隊の人間である。

 彼らは号令に合わせて一斉に手を挙げた。そして、突撃してくるメダード兵たちに向かって紅蓮の炎を放った。メダード兵の軍服に火がつく。絶叫が響き渡る。銃を捨て、仲間を捨て、紅葉の中をもがき苦しんで倒れていく。


 後列に並んでいるのは青い腕章、すなわち水属性部隊の人間である。

 彼らが号令に合わせて手を振ると、山の中腹に水の壁が浮かんだ。滝のように空から山へ流れて、燃え盛る木々とメダード兵を鎮火していった。


 魔法騎士たちが山を登る。それを囲んでいたメダード兵が徐々に逃げていく。




 風属性の部隊に所属する伝令兵の青年が王城に現れた。レナートはすぐさま城の広間で彼と会った。

 彼からの戦況報告を聞いてレナートは唸った。


「ご苦労。ゆっくり休むように」


 真っ青な顔をした青年が「ありがたいお言葉です」と言って首を垂れた。その足元がふらついている。


 開戦から半日が経った。


 現時点での状況は悪くない。魔法騎士団が圧倒的な力を持って敵兵を蹂躙している。


 兵の数で言えば魔法騎士団のほうが少ない。進軍してきたメダード兵の十分の一もいないだろう。しかし魔法騎士たちは対複数人との戦いができるよう訓練されていた。一人一人が驚異の能力をもって敵兵を倒していく。正面衝突した場合、短期決戦なら魔法騎士団のほうが絶対的に強い。


 だが長期戦にもつれ込んだら魔法騎士団のほうが不利だ。

 なぜならば、魔法騎士が長持ちしない生き物だからだ。


 魔法は使用時に体力を消耗する。消耗の度合いは使う魔法の数や大きさと比例する。大掛かりな魔法を長時間にわたって使うと魔法使いは疲労を感じ、体調を崩し、最悪の場合死に至る。そうならないように魔法騎士はおのれの力量を見極めるように言われ限界ぎりぎりで止める訓練を施されているが、実際の戦闘時にどこまで制御できるかは個々人による。もちろん、号令に合わせて行動するように指導し、上官になる者には必要に応じて交代させよう言い渡してある。だが、恐慌状態に至り感情の高ぶりに任せて魔法を使い続ければ倒れる者が続出する。


 魔法使いは全体的にあまり長生きしないと言われている。魔法騎士の寿命はさらに短い。したがって幹部級の人間は三十代、四十代で一線を退き魔法を使わない生活に入ることで自分の命を永らえさせようとする。幹部が二十代ばかりになるのはそのためだ。今のところほぼ世襲のためかなんとかなっているが、レナートはどこかで改革しないとこの制度はいつか破綻すると考えていた。


 今の青年もそうだ。

 風属性の魔法使いは空気の流れを読むことで空を飛ぶことができる。したがって急ぎの用事の時は風属性の魔法使いを飛ばして情報のやり取りをすることになる。風属性の魔法使いたちは期待に応えるために空を飛び続けて、やがて意識を失って墜落する。

 彼はもうローリアとフナル山を三度往復させられている。今すさまじい疲労感に襲われていることだろう。次の復路に行かせたら死ぬかもしれない。別の魔法使いを立てなければならない。


 こんな状況では魔法騎士団はもたない。


 レナートは拳を握り締めた。

 だが今はそれを論じている場合ではない。軍制改革は平時にやらなければ戦線を維持できない。戦術は適宜修正すべきだが戦略はよほどのことがない限り手を加えないほうがいいのだ。魔法騎士団は今までそれで何十年もやってきた。今日明日に破綻することはないと信じて送り出す。


「クソ親父が」


 そう呟くと、ずっと無言でそばに控えていた侍従官長が「あとでお聞きします、今はこらえてくださいませ」とたしなめてきた。


 バジム王が先日エルドを兵器と呼んでいたのを思い出した。あの男は魔法騎士を人間どころか生き物扱いしていない。


「レナート殿下!」


 不意に名前を呼ばれた。侍従官が二人広間に入ってきたところだった。


「申し上げます! 地属性の魔法使いのエルド様が殿下にお会いしたいといってお見えです」


 レナートは驚きを顔に出さぬように努めた。いついかなる時も冷静沈着であるよう装わなければならない。


「すぐに通してくれ」


 エルドが顔を出したのはそれから十を数え終えたかどうかというところだった。


 彼は今日も先日マルスが仕立ててくれたという質のいい服を身に着けていた。整った顔立ちにはよく映える。基調となっている緑はエルドの瞳の色でもあり今は消滅した地属性部隊の色でもあった。

 表情のない顔をしている。怒っているようにも悲しんでいるようにも見える。感動のない、感情のない顔だった。


「殿下」


 エルドはひざまずかなかった。レナート王太子殿下の前でこんなにも不遜な態度を取るのはこの国どころかこの大陸では唯一彼だけだ。しかし彼は傲慢な振る舞いをすることを許されていた。


 彼は何をしても許される存在だ。

 最強だからだ。

 彼を地属性の魔法騎士エルドと知ってから彼に接する人間は彼の機嫌を損ねることを極端に恐れる。それが平民として何事もなく暮らしたい彼の神経を逆撫でする。


 ネヴィレッタは彼にとって稀有な存在だっただろう。彼女はエルドがどんなに恐ろしい魔法を使うか知らない。彼女は世界のすべてを恐れているようだが、裏返せば、世界のすべてを恐れていない。彼女の世界は残酷で平等だ。


「急に訪ねてきてくれるとは熱烈だね。嬉しい」


 あえて茶化して言った。エルドはまったく笑わなかった。


「フナル山の件。カイに状況を聞いた」


 カイが直接エルドに会いに行ったのだろうか。彼も国宝級の風属性魔法使いなのでわずかな時間での移動は造作ない。それに変に人を立てるより真に迫っている。


 レナートは片眉を持ち上げた。


「それで?」


 あえて淡々とした声で聞いた。


 エルドが、ゆっくり息を吐いてから、こう言った。


「僕が行く」


 誰もが期待していた台詞だった。


「僕も戦争に行く。僕も魔法騎士として参戦する」


 喜びで笑いそうになるのをこらえた。


「一瞬で片づけてやる」


 レナートも深呼吸をしてから、頷いた。


「恩に着る。君一人で百人力、いや万人力くらいだ。君はガラム王国の救世主だ」


 エルドが軽く目を伏せた。


「ガラム王国を救うつもりじゃない。ガラム王国を救えば間接的にネヴィレッタを救える。僕が救いたいのは本当は彼女だけなんだ」


 健気な言葉だった。二人を引き合わせたのは気まぐれの戯れだったが、間違っていなかったということだ。自分の感性が信頼できる。


「本当は関わりたくないんだ。僕はもう人を傷つける魔法は使いたくない」


 レナートは知っていた。

 それはあくまで感情面、エルドの良心や罪悪感に関わる問題であって、エルドの魔力量とは関係がない。


 エルドはレナートが知る中で唯一の例外だ。


 どんなに大きな魔法を使っても疲労しない。どんなに長時間魔法を使っても消耗しない。


 エルドが戦闘中に疲れたという発言をしたことはない。地形を変えるほどの技を使ってもすぐに次の攻撃に移れるところからして強がりではない。すでに過去に地属性部隊にいた魔法使いたちならとっくに死んでいるくらいの魔法を使っているのに、元気で無事に大人になり、フラック村にひそませている人間からの報告によると日常的に魔法で村の公共物の維持に貢献しているという。


 そんな魔法使いは聞いたことがない。


 それが、彼が最強たる本当の由縁だ。


 けして倒れない、最強の、最高の、最悪の兵器。

 使い方を間違えれば、世界が滅ぶ。


「約束しよう」


 レナートは真面目に言った。


「私が王になったあかつきにはもう戦争しない。君が戦うのは父が玉座にいる間だけだろう」


 エルドが強張っていた頬をほんの少し緩めた。

 そんな彼の腕をレナートは軽く優しく叩いた。



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