第17話 国益に反する盛大な親子喧嘩

 エルドは明確な意思を持って次の目的地、つまり魔法騎士団の施設に向かった。無言でどんどん外廷の南のほうへ歩いていった。

 ネヴィレッタもエルドの後ろを無言でついていった。黙って足を動かしていると一歩進むたびにエルドとバジム王のやり取りについての思索が深まっていってかえって不安が強まったが、エルドの後ろ姿を見ていると口には出せなかった。

 どう話しかけようか悩んでいるうちに魔法騎士団の団長の執務室にたどり着いてしまう。自分の鈍さが情けなくなる。


 執務室に入ると、兄マルスだけでなく、部隊長二人もいた。三人は少し驚いた様子だった。


「まさかお前のほうからここに出向いてくれるとはな。屋敷からエルドが城に向かったと聞いていたので迎えに行こうか悩んでいたところだ」


 マルスが苦笑してそう言った。エルドが無表情で「どうもね」と返した。


「びっくりしたわ。なんでまたお前が自分から城に? あんなに戻りたくないって言ってたのに」


 そのカイの問いかけに対して、エルドは明確な返事をしなかった。執務机の前に置かれたソファに勝手に腰を下ろし、はあ、と溜息をついてみせた。


「近々フナル山で事を構えるみたいだね」


 エルドがそう言うと三人の雰囲気がひりついた。空気が硬くなる。

 ネヴィレッタは怖いと思った。自分は団長の妹だが非魔法使いで絶対に魔法騎士になれないという点では部外者だ。その自分が魔法騎士団の内部のことに関わっていいはずがない。

 何も知らないままで屋敷に帰りたい。


 そこまで思ってから、はっとした。


 自分は知りたくないのか。


 世間知らずのもの知らずなのは自分自身が知りたいと思っていないからだ。社会に背を向けているのはネヴィレッタ自身の意識によるものなのだ。家出にもいまいち踏み切れないのは自分が自身の将来について積極的に知ろうとしていないからかもしれない。知りたいと思えば一歩進めるのかもしれない。


 知らないままではだめだと、ネヴィレッタはひとり拳を握り締めた。


 エルドが何を考えて何をしようとしているのか、知ろうとしなければだめだ。彼のことを十割理解できるとは限らないが、理解できるよう努めるべきだ。知らない、知らない、でパニックになって振り回されていてはいけない。

 魔法騎士団について、もっとよく知らなければならない。


 背筋を伸ばした。

 そして、緊張する足を伸ばして、エルドの隣に座ってみた。

 叱られるかもしれないと思って、一度、きつく目を閉じた。

 ところが予想に反して誰も何の文句も言わなかった。

 悩んでいる時は思い切ってやってみるものだ。

 冷静に考えて、魔法騎士団の幹部たちがネヴィレッタをなじったことなどない。この三人には嫌われていないのである。まことの魔法騎士である三人は非魔法使いを見下さない。


 向かいのソファにマルスがやってきて座った。セリケとカイはその後ろに二人並んで立った。これでエルド、ネヴィレッタの二人と魔法騎士団の三人が向かい合ったことになる。


「どこでそれを聞いた?」


 マルスがエルドに尋ねた。その声は低く鋭く、ネヴィレッタが知っている兄の声ではなかった。難局にある軍人の厳しく険しい声のように思えた。

 エルドは動じない。彼は落ち着いた表情のまま答えた。


「バジム王だよ」

「国王陛下だと?」


 セリケが後ろから「レナート殿下ではなく?」と問いかけてきた。エルドが「バジム王だ」と念押しするように繰り返す。


「僕はここには寄らずまっすぐ家に帰ろうと思っていたんだ。内廷でレナート王子と会っていて、用事が済んだからと城門に向かおうとしたら、中庭の回廊で王に遭遇した」


 そして「向こうはわざとかもしれないけど」と付け足す。


「モテモテじゃん。レナート殿下にもバジム陛下にも求愛されてさ」


 カイがそんな軽口を叩いた。セリケがカイの肩を叩いた。


「まったく、冗談じゃないよ。たまったもんじゃない。親子二人がかりで帰ってこい、帰ってこいだなんて」


 少し考え込んでいた様子のマルスが口を開く。


「どっちにつく?」

「何が?」

「お前がここを出ていった五年前より関係は悪化しているぞ、あの親子」


 ついついネヴィレッタが「えっ」と声を上げてしまった。


「国王陛下と王子殿下は仲がよろしくないの?」


 マルスは頷いた。


「子供の頃から相性があまり良くなかったんだが、年々ひどくなる一方だ。お二人とも他人に弱みを見せるのを極端に嫌がるたちだから民衆の前では仲が良さそうに振る舞うが、近しい家臣は国王派と王子派に分かれていがみ合っている」


 エルドがソファの背にもたれかかる。


「無駄な争いだね。どっちにしても遅かれ早かれレナート王子が王位を継承するじゃないか。王には子供が一人しかいないんだからさ」

「ところがそうも単純にいかないんだ。何せ陛下もまだ五十前、これから再婚して後継者作りをすることも不可能ではない。事実後妻に入りたいという貴族女性は掃いて捨てるほどいる。一方殿下はあの年でまだご結婚していない。陛下が邪魔をして次々と婚約破棄させるんだ。これは不確かな情報だが、あの息子に王位を譲るくらいならこの王家を潰して自分の子飼いの家臣に継がせる、と言っていたこともあるらしいぞ」

「自分の息子をそんなに嫌うもの?」

「お前がそれを言うのか?」


 エルドが口を引き結んだ。ネヴィレッタも何も言えなかった。血がつながっていることと愛せることは簡単に等号で結べることではない。


「無駄と言えば無駄だ。政治的な利益は何にもない、むしろ国益に反する、盛大な親子喧嘩だ。そしてそれに巻き込まれる俺たちも滑稽だ」


 セリケとカイは黙ってやり取りを見守っている。


「魔法騎士団はレナート王子の派閥なの?」

「ああ。そして王立騎士団はバジム王の派閥だ」

「めんどくさ」

「その上お前が帰ってくるとなったら陛下と殿下によるお前の奪い合いが始まる。お前なら国のひとつやふたつ灰燼に帰すこともたやすいからな。万が一のことが起こった時にどちらがより大きな軍事力をもっているかなんだ。お前を押さえたほうが勝ちだ」


 頭を掻きながら「だから僕が王子と接触したというのを聞いて慌てて追いかけてきたのか」と呟く。


「気づいていなかった。単純に二人とも僕に魔法騎士として活動してほしいだけなんだと思っていたよ」


 マルスが膝の上で指を組み合わせる。


「念のため聞くが。お前はどっちにつきたい?」

「この状況で聞く?」

「お前がどうしてもレナート王子が嫌いだと言うならそれを尊重するぞ」


 エルドが苦笑する。


「なんだかんだ言って五年間隠遁生活を送らせてくれたのはレナート王子だよ。僕の家は彼の直轄領にある。近隣の村の人間はこのご領主様が好きだ。それが僕にとってのすべてだ」

「ありがとな」

「マルスがお礼を言うことじゃないよ。お礼を言うべきなのはレナート王子なんだよ、レナート王子に僕に頭を下げてもらいたいもんだね、なんであの人は常に上から目線なんだ」


 セリケとカイも表情をくつろげた。


「話を元に戻すぞ。ご存知のとおり、陛下はフナル山の占領を足掛かりにメダード王国に軍事侵攻しようとしている。これは陛下の意思であって殿下は明確に反対なさっている。殿下は魔法騎士団を動かしたくないとおっしゃっている。その魔法騎士団にお前を取り戻したいということは、逆に、殿下はお前を戦争に出したくないとお考えなんだと思う。魔法騎士団を、エルドを、軍事作戦の切り札にするな、と」

「遠回しに保護しようとしてくれているのか。そう考えるとちょっと悪いことをした」


 そして昏い目で言う。


「でも僕が戦場に行けばすべて一瞬で片がつく」


 マルスは大きく頷いた。


「レナート王子も、どうせやらなきゃいけないなら最小限の被害で最大限の利益を得ようとするんじゃないかな」


 それについては、誰も回答しなかった。


「これが現在の状況だ。何か質問があれば受け付けるぞ」

「特になし。あとは僕自身がどこで線引きをするか自分で自分に問いかけるよ」

「じゃあこちらから質問してもいいか? レナート殿下とのやり取りの首尾はどうだった?」

「それは残念だけど僕とマルスが二人きりにならないとしゃべれない」


 ネヴィレッタは思わずエルドを見上げてしまった。


「わたしの話でしょう? わたしがいるところでして」


 全員分の視線が集中した。注目されている。すぐそれに気づいて、ネヴィレッタは恥ずかしくなってうつむいた。


「強くなりましたね、ネヴィレッタ」


 セリケがそう言ってくれた。


「ネヴィレッタのいるところでネヴィレッタの話をすることには大きな意味があります。ここで話しなさい」


 背中を押されたように思えて嬉しかった。

 だがエルドが自分の頬を押さえて小声で言った。


「ごめん。僕がいろいろ自分の気持ちの取捨選択をしたいので。本当に申し訳ないんだけど、マルスと二人きりにさせてくれないかな」


 彼が謝罪の気持ちをもっていること、彼にも彼の都合があって自分の気持ちだけを押し付けてはいけないことを悟って、ネヴィレッタはしぶしぶ「わかったわ」と答えた。


「エルドとお兄様は二人でお話しして。わたしはわたしで自分からセリケとカイに説明してみる」


 カイが「おっ!?」と明るい声を上げた。

 セリケとカイなら話を聞いてくれる。セリケとカイなら話す練習にも付き合ってくれる。そう信じられる。


「そうしよう。では、また呼びにやるまで三人には隣の控え室にいてもらいたい」


 マルスにそう言われて、三人は「はい」と言って執務室を出た。


 それからネヴィレッタはセリケとカイにレナート王子とエルドがどんな話をしたか語り聞かせた。しどろもどろのつっかえつっかえだったが、二人は遮らず、茶化さず、最後まで聞いてくれた。


 やがて昼の鐘が鳴った。マルスが迎えに来て、二人で屋敷に帰るか、と言ってきた。エルドは一人で家に帰るらしい。寂しかったがネヴィレッタはそこまでのわがままは言えなかった。

 ネヴィレッタとマルスは二人で帰宅し、昼食を取った。その間兄は何にも言ってくれなかったが、話は順調に進んでいるらしく気にするなと言ってくれた。何が何だかといったところだ。しかし順調だと言われればそれ以上言うこともなかった。




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