第3章

第15話 悪役王子レナートの謀略

 五日後、エルドがふたたびオレーク侯爵邸を訪れた。前回別れた時に仕立て屋が中三日で縫うと言ってくれたので予定どおり取りに来たのである。時刻は朝、侯爵家は朝食を終えマルスを送り出したところだった。


 対応したのは古くからこの家に仕えている初老の家令だ。彼はエルドが魔法騎士団に入った時からエルドを知っており、特に説明しなくてもおおよその事情を把握していた。物腰穏やかでいついかなる時も冷静な彼は相手が誰でも丁寧に接してくれる。オレーク侯爵家の人間はみんな敵とでも思っていそうなエルドだったが、この家令と話しているうちに態度が軟化した。


 家令に呼び出されたネヴィレッタが玄関に行くと、すでに着替え終えたエルドが待っていた。

 彼の姿を見て、ネヴィレッタはほうと息を吐いた。

 瞳の色に合わせたオリーブ色の生地に刺繍の入った上着、肌触りの良さそうな木綿の真っ白なシャツ、上着と同じ色のズボンに膝までの革のブーツを合わせた彼の姿は、王城で王子のそばに控えていても見劣りしない御曹司の雰囲気になっていた。


「着るものでこんなに印象が変わるものなのね」


 そう呟いたネヴィレッタに、エルドは顔をしかめた。


「まあ、農民の子である僕ににじみ出る高貴さみたいなものはありませんけど」

「でも似合っているわ」


 そして、「といっても」とうつむく。


「たまに着るからいいんだと思う。ちょっと堅苦しいもの。やっぱり普段着の柔らかくて動きやすい服装のほうが親しみがあるわね」


 そう言ってうつむいたネヴィレッタの頭を、エルドがぽんぽんと優しく叩いてくれた。


「レナート殿下とのお約束のお時間はいつ頃ですか」


 家令にそう尋ねられて、エルドは「約束なんかしてません」と答えた。


「向こうはあの手この手を使って僕を引きずり出そうとしてるんだからさ。せっかく僕のほうから会いに来たのに断るなんて許さない」

「強気ですな」

「僕は僕の価値を知ってるんです」


 不意に甲高い声が聞こえてきた。


「あなたがエルドさまですのね」


 振り向いて階段のほうを向くと、ヴィオレッタが駆け下りてきているところだった。いったいどこから聞きつけたのだろう。


 ネヴィレッタはヴィオレッタにエルドと会ってほしくなかった。これが世にいう独占欲というものだろうか。エルドのような有名人を隠しておけるはずもない。だいたいエルドとは恋人でも何でもない。それなのに今からヴィオレッタに奪われたくないと思ってしまう。


 ヴィオレッタは弾むような足取りで近づいてきた。ドレスをつまみ、貴婦人の挨拶をする。華やかで可愛らしい笑みは王都でも指折りの美少女とうたわれる顔だ。


「ごきげんよう。お初にお目にかかります、わたしはヴィオレッタ・オレーク、マルス・オレークの妹ですわ」

「顔はネヴィレッタそっくりだね」

「光栄です、美しいということなのでしょうから」

「よくもいけしゃあしゃあと言うよな」


 エルドはヴィオレッタの相手をしようとしなかった。彼はヴィオレッタから目を逸らしてネヴィレッタのほうを見た。ネヴィレッタはほっとした。


「じゃ、行こうか」


 ネヴィレッタが「連れていってくれるの」と問いかけると、彼は苦笑して「当たり前でしょうよ」と答えた。


「君の未来の話をするんだから。君がそこにいて自分の意見を言うべきだ」


 こんなふうに扱われたことなどいまだかつて一度もない。ネヴィレッタの将来についてネヴィレッタ自身の意思や感情を差し挟む余地はなく発言権はないものと思っていた。エルドはそれを与えようとしてくれている。


 ヴィオレッタは負けなかった。

 彼女は立ち去ろうとするエルドの腕に手を伸ばした。細い腕がエルドの服の袖に絡まる。


「わたしも連れていって。あなたとお出掛けしたいわ。それにお姉さまのことも心配だし」


 次の時、エルドはひどく冷たい目でヴィオレッタを見た。


「勝手に触らないでくれない? 僕物理的にも精神的にも急に距離詰めてくる人間嫌いなんだよね」


 たじろいだヴィオレッタが腕を解いた。


「みんな君の思いどおりになるとは思わないほうがいいよ。あとお姉ちゃん思いぶるのもやめたら?」

「どういうことですの?」

「甘ったれんじゃねーってことだよ」


 エルドの汚い言葉遣いに引いたらしい。ヴィオレッタは一歩下がって、無言でエルドとネヴィレッタを眺めた。見送ってくれる雰囲気でもないが、とにかく離れてくれてよかった。


「ほら、ネヴィレッタ」


 エルドが玄関を出ていった。ネヴィレッタはその後ろを小走りでついていった。




 王城につくと、先日のオレーク侯爵邸とまったく同じ展開が待っていた。門番の兵士たちがエルドを見て真贋どちらかと意見が割れたのだ。少ししてからたまたま通りがかった魔法騎士団の人間に救われて、二人はようやく城内に入ることができた。


 話を聞きつけた侍従官が間に入った結果、レナート王子はすぐに会ってくれることになった。すべての予定を取り下げてエルドとの面会を優先してくれるらしい。


 二人が来客控え室に入ってから間もなくレナート王子が現れた。柔らかそうな金の髪、絹でできたブラウス、相変わらず美しくて上品で能天気な男だ。


「やあエルド! 会いたかったよ!」


 レナート王子はエルドと目が合った途端腕を伸ばしてエルドを引き寄せ強く抱き締めた。エルドが究極的に嫌そうな顔をした。先ほど急に距離を詰める人間は嫌いだと言っていたが、ひょっとしたら筆頭はレナート王子かもしれない。


「久しぶりだね! すっかり大人っぽくなった。背が伸びたのではないのかい?」

「最後に会ったの二年前でしょ、僕ももう十九歳だったんですけど」

「前回は薄汚れた野良着だったが、今日は立派な服を着ているではないか。馬子にも衣裳とはよく言ったものだ」

「帰ってほしいの?」


 エルドがもがいて自分からレナート王子を引き剥がそうとする。レナート王子はしばらく抵抗してエルドにしがみついていたが、助け舟を出そうと思ったネヴィレッタが「あのう」と口を開いたらぱっと離れてくれた。


「ごきげんよう、ネヴィレッタ。今日も麗しいね」

「ごきげんよう。お忙しいところ申し訳ありません」

「いやいやとんでもない。約束どおりエルドを連れてきてくれて本当に嬉しい」


 レナート王子が笑って「どんな褒美でも取らせよう」と言った。ネヴィレッタは「何にもいらないです」と答えたが、エルドが「殿下が相手の時は図々しくいきなさい」と言って一歩ネヴィレッタに近づいた。


「何でもくれる?」

「もちろんだとも。私ほど心が広く徳の高い人間はいないのでね」

「じゃあネヴィレッタの家出手伝って」


 単刀直入に言った。唐突だったのでネヴィレッタは硬直した。だが今日はそういう話をしに来たのだ。代わりに話してくれるエルドに感謝するところだ。


「この子オレーク家に置いておいてもいいことなさそうなので」

「知っている」

「知ってるならなんとかしろよ」

「頼まれてもいないのにひとの家の中に首を突っ込むのは嫌われると思うが。いくら王子であってもやっていいことといけないことがある。世の中には公と私というものがあってね、おおやけのことならばかえっていくらでもやりようがあるが」

「思ってたより理性的なことを言うね、もっと何も考えてないかと思ったのに」

「失礼な、私は賢くて理知的な王子なのだよ」


 レナート王子は堂々と椅子に座った。客人を座らせず自分が先に座るとは彼らしい。


「家出させてその後どうする? どこでどうやって養う気だ?」

「それを殿下に考えてもらいたくて」


 そう言ってから、エルドは床に目線を落とした。


「ちょっとわがまま言いすぎかな、とも思ったけど。今まで迷惑かけられた分これで帳消しにしてよ」


 侍従官がいまさら茶道具一式を持ってきた。三人分の紅茶の準備を始める。手をつけたのはレナート王子だけだ。


「君もこれがわがままで自分にとっては不利な交渉だということはわかっている、ということだね」


 エルドが沈黙した。

 ネヴィレッタは心臓が耳元で音を立てているかのような不安をおぼえた。矢面に立ってくれているのはエルドだが、話題の中心はネヴィレッタであり、本来ならネヴィレッタが交渉しなければならないのだ。


「ネヴィレッタ」


 レナート王子がこちらを向く。宝石のような翠の瞳を細めて品定めするように意地悪な笑みを浮かべている。


「エルドはこう言っているが、ネヴィレッタはどうしたい? 本当に家を出たいのかね」


 口から心臓が飛び出そうだ。


「オレーク侯爵は反対するだろう。そしてオレーク侯爵と関係が悪くなるといろいろと困る。マルスとていかに君を思っていても――いや、だからこそ、君が家を出ていくことには反対するだろう。それでも君は家を出ていくと言うのかね?」


 ぎゅ、っと。拳を握り締めた。

 今だ。今言わないとだめだ。今言わないと何もかもだめになる。

 エルドがこんなに助けてくれているのだから、自分も勇気を出さないとだめだ。


「あの」


 握り締めた拳が細かく震える。


「家を、出て。エルドと、暮らしたい。です」


 一瞬時が止まったような気がした。

 少し間を置いてから、レナート王子が「おおっと」と大きな声を出した。


「一緒に暮らすのかね!?」

「まちがえました、ごめんなさい! エルドのおうちの近所で……、殿下の所領の中で!」

「愛し合う二人の幸せのためと言うのならば私は一肌脱ごうかな!」

「違います、わたしそういうつもりじゃ……、エルドも何とか言って!」


 エルドは自分の手で自分の顔を押さえて黙っていた。何も言ってくれないらしい。このままでは誤解されてしまう。いけない。どうしよう。考えれば考えるほど空回る。


「すまない、意地悪を言った」


 レナート王子が笑いすぎて出てきた涙を指の背で拭った。


「いいだろう、ネヴィレッタを私の所領で預かろう」

「殿下……!」

「しかしひとつ頼みがある」

「何ですか?」

「エルド」


 名を呼ばれて、エルドが顔を上げた。レナート王子は相変わらず嫌な笑顔だ。


「オレーク一族を敵に回したら私の政治生命が危ぶまれる。何せ魔法騎士団の要だ、魔法騎士団との関係に亀裂が入っては困るのだ」


 そして、また、「ふふ」と声を漏らして笑う。


「そのリスクに合うだけの見返りが欲しいなあ」


 エルドが顔をひきつらせた。


「魔法騎士団に帰ってこないかい?」


 ネヴィレッタは唇の裏側を噛んだ。


「君が魔法騎士団に戻ってくるというベネフィットと引き換えにできるなら、私も積極的になるのだけどなあ」


 やめて、と叫びたい気持ちと、お願い、と頼む気持ちとで、心がまっぷたつになる。


 エルドはしばらく沈黙していた。斜め下を見て何かを考えているようだった。


「……考えておくよ」


 ネヴィレッタは引き裂かれる思いだった。





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