第14話 ガラム王家の親子の肖像

 父に客人が来ているという。


 嫌な予感がしたレナートは、金糸の刺繍が施された明るい色のウエストコートを羽織って謁見の間に出掛けた。


 城の窓から見える太陽はすでに斜めに傾き、廊下に低い角度で影を落としている。季節はもう秋だ。


 ガラム王国は気候が温暖な国だ。北や東が山地で、西がゆったりと流れる大河で、南が穏やかな海に開けている。北の山の上では雪が降ることもあるようだが、国土の大半は冬らしい冬を経験したことがない。レナートは外遊であえて真冬に東の隣国メダード王国に赴いたことがあるが、ローリアにいたら絶対に味わうことのない寒冷で湿度の高い空気を味わい、つらい思いをしたものだ。


 謁見の間の大扉の前に辿り着くと、父の親衛隊の人間が二人、厳めしい顔をしてレナートの前に立ちはだかった。


「陛下は今大事なお客人とお会いになっています」

「知っている。どけ」

「たとえ殿下であろうともお通しするなというご命令です」

「私に逆らう気か」

「我々の主君は国王陛下です。お引き取りください。いかなる理由があってもお通しできません。繰り返します、たとえ殿下であっても陛下はお許しになりません」


 不穏な空気が流れた。しかしいつものことではある。

 レナートは背後で剣を抜こうとする自分の親衛隊の者たちを片手を挙げることで制した。流血沙汰は困る。親衛隊の人間の中だけでなら揉み消すことは可能だが、人の口に戸は立てられない。


 レナート側と国王側のにらみ合いの膠着は謁見の間の中から破られた。皮肉にも客人のほうが出てきたのだ。

 嫌な予感は的中した。

 出てきた客人はでっぷりと肥えた中年の男だった。仕立てのいい黒服を着て、耳の上を短く刈った黒髪のてっぺんをたっぷりの油で撫でつけている。

 黄ばんだ歯を見せて目を細め、嫌味ったらしい笑みを浮かべて口を開いた。


「これはこれは、レナート王太子殿下」


 ひざまずいて「お会いできて嬉しゅうございます」と言った男に、レナートは「そのように堅苦しい挨拶はなさらず」と微笑んだ。虫唾が走るがここでこの男の機嫌を損ねていいことはない。相手も名うての商人なのでレナートが多少子供っぽい態度を見せても豹変したりなどはしないだろうが、屋敷に戻ってから何を吹聴するかわからなかった。

 レナートは誰にも弱みを見せてはならなかった。相手がどんな人間であっても完璧な王太子として振る舞わなければならなかった。


「父がお呼び出ししたのかな?」

「はい、光栄なことに陛下が直々にわたくしめをお召しくださいました」

「つまり近々あなたの手をお借りする機会があるということかね」

「それは殿下といえどもお話しするわけにはまいりませんな」


 扉が閉められそうになったので、レナートはあえて扉と扉の間に肩を突っ込んだ。いかに忠実な兵士であっても王太子の肩を扉で挟んで骨折させるようなことがあってはならない。

 レナートの行動に男は少々驚いたようだったが、すぐに先ほどまでの笑みを取り戻した。何事もなかったかのように話を続ける。冷静沈着で自制心の効いた男だ。


「わたくしも商売ですから。信用第一でございます」

「そのとおり、あなたは口が堅いから父の信任を得ているのだろう。私も心強く思っている」

「それはありがたき幸せ」


 男がレナートに軽く身を寄せ、小声で言う。


「殿下からもごひいきにしていただければ嬉しゅう存じます。お目をかけていただければ我がアラトレア商会が総力を挙げて殿下をお助け致しますぞ。たとえ何があってもね」


 強い香水のにおいがする。


「何かあったら声をかけさせていただこう。多少の土産を用意して、ね」


 レナートがそう言って微笑むと、男は満足したらしい。明るい声で、「それでは失礼致しますね」と言って頭を下げた。


「結構。下がるように」

「まことに御礼申し上げます」


 男が弾む足取りで廊下を行く。その背中を見送る。冷たい目をしてしまったのが男に伝わらないといい。


 いよいよ謁見の間に入った。


 中央の玉座に筋骨隆々とした体躯の男が座っていた。糊の効いた真っ白なシャツに高級なクラバット、銀糸の刺繍の入ったウエストコートの男だ。いまだ白髪の一本もない黒髪を後ろに撫でつけ、豊かな口ひげを蓄えている。眼光鋭い瞳も黒い。片手でワイングラスを揺らしていた。

 男が口ひげの下の唇を吊り上げた。しかし目は笑っていない。


「おお、我が息子よ。どうした、恐ろしい形相で」


 わかっているだろうに芝居がかって言う男――ガラム王国国王バジムに反吐が出る。


「そなたの母親に似た美しい顔がゆがむところは見たくない。どれ、父が話を聞いてやろう」


 そこまで言うと、バジムは側近たちに「下がれ」と言った。バジムの忠実なるしもべである官僚たちは黙って首を垂れて謁見の間を出ていった。

 数人の親衛隊の人間だけを残して、バジムとレナートは形式的に二人きりになった。

 バジムが笑みを消し、足を組んだ。


「そこでアラトレア商会の会長に会いました」


 レナートがそう言うと、バジムは「そうか」と答えた。


「だから、何だね?」


 黒い瞳が、射貫くようにこちらを見据えている。


「何か問題があるのか? 貴様のような若造が口を挟んだところで決定を覆すほど優しい父親ではないぞ」

「存じ上げております。ただ父上のほうが私に見せつけたいのかと思い馳せ参じました次第です」

「ほう。その心は?」

「いよいよその日が近いということを察しました」


 アラトレア商会が主に扱っている商品は武器だ。銃、剣、そして馬具といった鉄製品である。そのアラトレア商会から物を買うということは、戦争の支度を始めたということだ。

 その日――決戦の日、開戦の日だ。

 寒さに慣れないガラム王国軍は冬が来る前に戦争を終わらせなければならない。特に相手が寒さに強いメダード王国ならばなおさらだ。


「本気でやるおつもりか」


 レナートは父を真正面から見つめた。


「大陸の国という国が先の侵略戦争でガラム王国を非難している今、またメダード王国に攻め込むおつもりか」


 バジムは声を上げて笑った。


「侵略戦争だと? 笑わせるな。貧しいメダード人を豊かなガラム王国に招いただけのこと。メダード王は哀れな民衆たちを引き留めて兵を差し向けた。頑迷なメダード王の失政だ。メダード王国軍と一戦を交えることになったのは不幸な事故だ」

「しかしメダード王国も国際社会に認められた一個の国だ。あれは内政干渉では?」

「生意気な口を利くな!」


 バジムがレナートにワイングラスを叩きつけた。グラスはレナートのこめかみあたりにぶつかって割れた。薄くて軽い素材だったからか痛みはなかった。けれど派手に砕けたので床一面に透明な破片が散った。中に入っていたワインもこぼれてレナートのこめかみから頬、服の胸を濡らした。


「お前のような若造に政治の何がわかる!」

「父上が権力欲を丸出しにしていることはわかる」

「無礼者! 下がれ! お前の顔は見たくない!」


 唾を飛ばして怒鳴り散らす。


「顔も態度も何もかもがあの女そっくりだ。忌々しい! あの女も私のやることなすことに口を出した」

「だから殺したのか」

「お前は何か勘違いしているようだ。私は妃も王子も愛している――と、いうことにしなければ酷い目に遭うのはお前だ」


 どうだろう、と言ってやりたかったがこらえた。困るのはそっちもではないか。

 しかしこれ以上不毛な言い争いを続けても仕方がない。父の言うとおり、自分たち親子が不仲であることを知られたら国内の民衆も諸外国も黙っていないだろう。少なくとも国を二分する内戦になるのは明白だ。


 レナートは絶対に譲る気はない。

 あの玉座は、自分のものだ。

 愚かな父王に今以上の圧政を敷かせるわけにはいかない。


 だがそれはけして良心がどうこうという問題ではない。倫理道徳のようなうつくしいものに背いたら苦労をさせられる。国際社会は各国の首長が善良であることを前提に成り立っており、人道的に問題のある行動を取った時に破綻するのはこちらだ。


 今、ガラム王国は破綻の危機に瀕している。


 バジムは外国から領土を勝ち得ることで経済的な利潤も政治的なパフォーマンスもうまくやりたいようだったが、レナートの考えは真逆だ。領土を広げたところで統治できなければ逆効果だ。ガラム王国に必要なのは諸外国による国境封鎖でずたずたになった内政の立て直しであり、よその国の貧困問題に首を突っ込むことではない。


 正義ではない。レナートが欲しいのはあくまで名誉と権力だ。しかしそれは国際社会の不文律に反しないことでこそ保証されるものだ。


 あともう少ししたら王冠が転がり込んでくる。


 バジム王は、今、本当に自分の子供かわからない亡き妃そっくりの息子に王位をゆだねるか、自分が築き上げてきた王朝をこの代で潰すか、の二択を迫られている。そして、家臣の半分と国際社会は前者を望んでいる。


 レナートは首を垂れた。


「生意気な口を利きました。父上のお考えをお聞きできて嬉しゅう存じます。今日のところはもう下がって風呂に入り髪を洗います」


 バジムが理解ある父親のふりをして「よろしい、ゆっくり休むといい」と微笑む。


 踵を返したレナートの背に、バジムが声をかけた。


「息子よ」

「はい」


 振り向くと、バジムはくらい顔で笑っていた。


「例の魔法使いは息災かね? 我が国最強の、史上最高の兵器は」


 レナートは微笑み返しただけで何も言わず、軽く頭を下げてから部屋を出た。

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