第10話 あなたのような姉をもったことがわたしの不幸の始まり

 自室に戻ってきたネヴィレッタは、ベッドに身を投げ、突っ伏した。どうも毎日こうしているような気がする。


 今日も味のしない夕飯だった。食事の支度をしてくれる料理人や給仕係に申し訳ない。ネヴィレッタは家族ととる食事を空腹を満たすためのものだとしか思えなかった。おいしいとも楽しいとも思えない。


 しかも、大して食べてもいないのになぜか痩せない。

 ふくよかというほどでもないのだが、ネヴィレッタは自分の大きな胸や尻が大嫌いだった。細身のヴィオレッタがうらやましい。それとも、ヴィオレッタはまだ十四歳で子供だからというだけで、彼女も姉のネヴィレッタと同じ十七歳になったら豊満な体になるのだろうか。

 ネヴィレッタはいかにも女である自分の体の曲線にみにくささえ感じていた。こんな体だから男をたぶらかすかのような言い方をされてしまう。


 いっそ男に生まれればよかった。そうしたら魔法が使えなくても普通の騎士団に入れた。ガラム王国には魔法騎士団と諸外国にもあるような騎士団の二種類があって、後者に属するのは基本的に魔法が使えない人間だ。ネヴィレッタもそっちに入れれば状況が変わっていたかもしれない。


 エルドに会いたい。エルドだったら今のネヴィレッタが置かれている状況についてどんなことを言うだろう。毒を吐くだろうか、優しく慰めてくれるだろうか。どちらにしてもあの小さな家で出る言葉はすべてエルドにとっての真実で、政治的な思惑や貴族のしがらみのない、忌憚ない意見だろう。


 ドアを叩く音がした。ネヴィレッタは慌てて腕を突っ張り、上半身だけ起こした状態で「どなた?」と問いかけた。


「わたしよ、お姉さま」


 ヴィオレッタの声だ。

 甘く、やわく、若く、可愛らしい、はつらつとした、妹の声だ。

 それだけで劣等感を刺激される。


「まだ起きていらっしゃる? 少しお話をしたくて」


 ネヴィレッタはベッドの上に一度膝立ちになってからベッドの端に移動して立ち上がった。

 困惑してしまう。ヴィオレッタがこの部屋を訪ねてくることなどめったにないからだ。もしかしたら初めてかもしれない。ネヴィレッタもヴィオレッタも互いに用事がないので、食堂や玄関といった共有の場所でしか会話をしないのである。


「どんなお話かしら」


 おそるおそる尋ねると、ヴィオレッタはこう返してきた。


「さっきの夕飯の席のお姉さまがなんだか元気がないようだったから。お父さまやお母さまが意地悪なことをおっしゃるから、傷ついていらっしゃるのかしら、と思って」


 ネヴィレッタの心は舞い上がった。

 この妹がこんな風に気をつかってくれたのは本当に初めてのことだ。

 わかってくれているのではないか、と感動した。彼女も両親とまったく同じ意見で無能の姉を蔑んでいるのではないかと思っていたが、勘違いだったのではないか。自分が卑屈すぎて誤解していたのではないか。そうであったら申し訳ない。

 急にこの妹が可愛く愛しくなってきた。

 彼女が味方になってくれるのかもしれない。

 なんと心強いのだろう。


「入ってちょうだい」


 そう言うと、ヴィオレッタが部屋の中に入ってきた。

 部屋の外には数人の使用人がいた。彼ら彼女らは姉妹の様子を見て何かささやき合っていた様子だが、そう間を置かずに男性の使用人がドアを閉めた。


 改めてヴィオレッタの顔を見る。

 白く滑らかな頬は陶器人形のようだ。夕焼け色の髪はつややかで、同じ色の長い睫毛が朝焼け色の瞳を守っている。ふっくらとした唇は薄紅色だ。華奢でしなやかな体格もいじらしい。彼女ほどの美少女はそうそういないだろう。

 それでいて魔法も学問もよくできる。

 自慢の妹だ。


「ヴィオレッタ――」


 抱き締めたくなって腕を伸ばした。

 その手を、ヴィオレッタは払い除けた。

 ネヴィレッタは驚きのあまり言葉を失った。


「触らないで。バカがうつるわ」


 彼女はうっすら笑っていた。


「いい気味。その顔が見たかったのよ」


 絶句して、動けなくなった。


「レナート殿下とお会いしたんですって? よくお城に出入りできるわね、この恥さらし。王太子殿下に媚びを売ってくるだなんて――魔法騎士団の方々だけじゃなくて、王太子殿下にまで手を出そうだなんて。なんてふしだらな女なんでしょう」


 人差し指を突きつけてくる。


「もう二度と家から出ないで。わたしの出世に差し障るのよ」


 ヴィオレッタが黙った。

 用事はそれだけなのだろうか。

 こうしてネヴィレッタを罵るためだけにわざわざこの部屋まで来たのだろうか。


「まだわかっていないの?」


 涙も出ない。


「あなたのせいでわたしの結婚にも影響が出るかもしれないのよ。姉が非魔法使いだから非魔法使いの子供が生まれるかもしれないなんて言われたら、わたし、どうしたらいいの?」


 一瞬でも、この妹が理解者になってくれるかも、と思った自分が愚かだった。


「何とか言ったらどうなの。腹が立つ。だから会話したくなかったのに」


 どうにか声を絞り出した。


「何とか、って……何を……」


 その声は今にも泣きそうに震えていた。情けない。三つも年下の妹に泣かされそうなのだ。


「わたし……、そんなにあなたに迷惑をかけたかしら……」

「存在のすべてが迷惑よ。あなたのような姉をもったことがわたしの不幸の始まり」


 そして顔をしかめた。


「あなた、エルドにも会っているそうね」


 動揺して口を開けたり閉めたりしてしまった。


「ど、どこでそれを」

「アンヌが教えてくれたわ」


 エルドの家に向かう時にいつも一緒に馬車に乗っている侍女だ。まさか彼女に告げ口されるとは思っていなかった。


「お父様とお母様はご存知なの?」

「ええ、きっとね。でも男性と二人きりで会っているなんて知られたらそれこそ何がどうなるかわからないから揉み消していらっしゃるのよ」


 混乱のあまりまた言葉が出なくなる。


「いったいどうやってたぶらかしたの?」


 ヴィオレッタの人差し指がネヴィレッタの胸を指す。


「その大きなお胸で殿方をたぶらかすの?」

「そんな……こと……」

「みんな言っているわ、頭の軽い淫乱って。魔法が使えないからって体を使ってどうこうしようなんてあさましいにもほどがある」


 自分で自分の胸を押さえた。なんとみにくい胸だろう。こんな体のせいで家中の人間に嘲られているのだ。恥ずかしくて悲しいことだった。


「最強に取り入ろうとするだなんて」


 ヴィオレッタが「どんな男か知らないけど」と息を巻く。


「どうせ中央に帰ってこないんでしょう? 無駄足よ。あなた利用されているのよ、使われるだけ使われて捨てられる運命なのよ」


 足元が崩れるような感覚をおぼえる。


「それとも最強のオンナという地位が欲しいの? そんな名誉なことなの? それともお金持ちなの?」

「そう……いう……」

「いずれにしても恥ずかしいからもうよして」


 そこまで言うと、ヴィオレッタは踵を返してドアのほうに向かって歩き始めた。


「本音を言えば、わたしはお姉さまには早くお嫁に行ってほしいわ。だって目障りだもの。あなたみたいなのがずっと家にいて兄妹で面倒を見なきゃいけなくなるなんて虫唾が走る。でもお父さまとお母さまの言うとおりこの家の顔に泥を塗るから、やっぱり修道院か何かに入ったほうがいいのかもしれないわね」


 ネヴィレッタは呆然としたまま、無言でヴィオレッタを見送った。




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