第9話 ヴィオレッタはひなたを行く、ネヴィレッタはひかげを行く

 その日の晩、ネヴィレッタは緊張しながら食堂のテーブルについていた。逃げ出したい気持ちはいつも以上に強かったが、ぐっとこらえて椅子に座り続けていた。


 ヴィオレッタが魔法騎士団の幹部になる。

 それはネヴィレッタにとって魔法騎士団の集会所という居心地のいい空間を失うことを意味していた。

 自宅の家族から逃げるために城へ足を運んでいたというのに、それすらできなくなる。出掛ける先がなくなる。自分は本格的に行き場を失い屋敷から出られない日々を迎えることになる。


 まず出てきたのは、怖い、という感情だった。

 今までも友達らしい友達がおらず孤独な気持ちを味わってきた。だが魔法騎士団の集会所に行けばセリケとカイが慰めてくれた。年上でしかも騎士団での立場のあるあの二人を友達と言ってもいいのかわからなかったが、少なくとも邪険にはされない、心を許せる相手だった。その二人との交流もなくなった時、自分は正気でいられるだろうか。


 次に出てきたのは、悔しい、という感情だった。

 ヴィオレッタはひなたを歩んでいる。誰からも認められ、誰からも愛され、堂々と表舞台を進んでいる。

 対する自分は中央から追いやられるように嫁へ行かされる。

 エルドと一緒にいられるのは嬉しい。レナート王子の言うとおりエルドと結婚できたらどんなにいいだろう。しかしそれとこれとは話が別だ。ヴィオレッタにエルド以外の何もかもが奪われたように感じる。さすがのネヴィレッタも恋ひとつあれば他に何もいらないと言えるほど無謀ではなかった。


 最初に食卓についたネヴィレッタはしばらく待たされた。この家で一番地位の低いネヴィレッタが待たされるのなどよくあることではあったが、今日のネヴィレッタは早く詳細を聞きたくて苛立っていた。

 苛立つ自分自身にも苛立っていた。いまさら自分の立場を主張しようなどおこがましいような気がする。

 けれどどうしても今日だけは恐怖心に立ち向かわなければならない。


 家族が下から順番に現れる。まずはヴィオレッタ、次にマルス、そして母、最後に父だ。一家の当主である父はたっぷりもったいぶって登場した。


 魔法騎士団の最前線からは身を引いたといっても、父はまだ四十代で、背が高く筋肉質だ。体格も顔立ちも兄マルスとよく似ている。魔力は衰えたそうだが、剣術や体術といった物理的な攻撃力はまだまだ強いと聞いた。


 給仕係たちが食事の支度をする。前菜のスープと銀のカトラリーが運ばれてくる。


 支度ができたら、家族五人で食前の祈りをささげた。神へ食事を得られることへの感謝の祈りを捧げなければならないというのに、ネヴィレッタはつい、自分の不安が何もかも吹き飛びますように、と祈ってしまった。自分は不真面目で身勝手な人間になったと、自分で自分にがっかりする。それでも襲い来る焦燥には勝てない。


 ネヴィレッタ以外の家族がスプーンを手に取った。ネヴィレッタもスプーンを持とうとしたが、手が震えて皿とスプーンの先端がぶつかってしまい、口に運ぶことはできなかった。


 早く不安を解消させたい。


「お父様」


 勇気を振り絞って話しかけた。自分から父に話しかけたのなどどれくらいぶりだろう。もしかしたら数年ぶりかもしれない。


 父が太い眉を持ち上げながらこちらを向いた。鋭い眼光が恐ろしく、目を逸らしたくなる。


「今日、レナート殿下にお会いしました」

「無礼な振る舞いはしなかっただろうな」


 はじめからネヴィレッタの不始末をとがめる雰囲気でつらい。


「いえ、その、レナート殿下がお茶に誘ってくださって……二人で紅茶とお菓子をいただいただけですが……」

「そうか、でかしたぞ」


 驚いたことに、そこで父はなぜかそう言って少し嬉しそうな顔をした。彼の明るい声と表情に接するのなど物心がついて初めてかもしれない。


「え、何がでしょう」

「レナート殿下の気を引くことに成功したのだろう」


 ネヴィレッタは目を丸く見開いた。


「レナート殿下の寵愛を得られるのは我が家にとって喜ばしいことだ。お前のようなどんくさい女が王妃に向いているとは思えんから、愛人でもいい。レナート殿下のおそばに侍れるよう努力しろ」


 呆然としているネヴィレッタにかわってマルスが「何を言っているんだ」と口を出す。


「ネヴィレッタはそんなふしだらな女じゃない」

「だが年頃の娘であること以外に何の価値もない無能だ」


 父が断言する。


「レナート殿下はこの世で唯一のお世継ぎだ。いろいろな思惑があっていまだどの縁談もご成婚に至らないが、だからこそまだ間に割って入る余地がある。我が家からさらに次の御世の王を輩出できるかもしれん」


 そして、一口ワインに口をつける。


「殿下はネヴィレッタが魔法を使えないことをご存知だ。嫁入り先に魔法を使えないことが露見するおそれがなくなる。ありがたいものだ」


 何よりもこの家の面子や世間体が大事なのだ。わかっていたつもりではあったが、改めてこう突きつけられると悲しいものがある。


「ちょっと、あなた」


 母が横から口を挟む。


「そんな器用なことがこの娘にできるとお思いですか。王太子殿下にご推薦するならばヴィオレッタにしてくださいませ。ヴィオレッタは賢く、美しく、特別魔力の強い娘です。この家の誇りですよ。誰が異論を唱えましょう」

「いくら相手が次期国王とはいえ、大事な娘を愛人にするわけにはいかん。まだ十四だしな。ヴィオレッタにはしかるべき時にきちんと正妻にしてくれる相手を慎重に選ぶべきだ」

「まあ、そう言われれば、そうかもしれないけれど」


 思い知らされた。

 この家には、ネヴィレッタの意思というものは本当にない。


 それに、ネヴィレッタは悟ってしまった。

 父は、ネヴィレッタが嫁ぎ先で魔法を使えないことを知られるのを恐れている。

 つまり、魔法を使えないことを知らない相手とは結婚させられない、ということではないのか。

 自分は、実は、結婚することを許されない人間だったのか。

 一生この屋敷に閉じ込めておくつもりだったのかもしれない。

 その事実に愕然として、すっかり何も言えなくなってしまった。


「それに、ヴィオレッタは優秀な魔法使いだ。その才能を活かす道に進ませてやりたい」

「例の件、正式にお受けするつもりですの?」

「ああ。それがヴィオレッタのためにも、魔法騎士団のためにも、ひいてはガラム王国のためにもなる」


 ヴィオレッタが身を乗り出した。少々品のないことではあったが、可愛い末っ子の振る舞いをとがめる人間はいない。


「例の件って何ですの? わたし、どうなるのかしら」


 楽しそうな表情をしている。自分の将来が明るいことを信じて疑わないのだ。両親が自分にとって著しく不利益な話を持ってくることはないと確信しているからこそのこの態度なのだ。

 両親が目を細め、表情をくつろげた。


「お前を魔法騎士団に入団させようと思っている」


 ヴィオレッタが「まあ」と驚いた顔をした。


「ゆくゆくは火属性の部隊の隊長になるよう取り計らってもらう。まあ、取り計らうも何も、団長がマルスなので特別な交渉は必要ないと思うが」


 兄の顔を見た。彼はおもしろくなさそうな顔をしてスープの次に出てきたサラダを食べていた。

 今、火属性の部隊の隊長は兄が団長と兼務している。母が「立派に務めてお兄様の負担を軽減させるのですよ」と微笑む。


「お前の役目はそれだけではない」


 父が肉を切り分けた。


「魔法騎士団だけではない。お前はガラム王国軍全体を統一するための旗印となるのだ」


 ヴィオレッタが、嬉しそうな顔をしている。


「今ガラム王国に必要なのは聖女だ。一致団結するためのシンボル、軍のすべての人間に愛される聖女となるのだ」


 そして、ネヴィレッタはいらないので、家の対面を傷つけない、都合のいいところにむりやり納める。

 ヴィオレッタはひなたを行く。ネヴィレッタはひかげを行く。

 二人の道は完全に分かたれていて、永遠に交差することはない。




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