第6話 その一言でわたしは生きていることを肯定された気持ちになる

 エルドの家の中は居心地がよかった。

 乳白色に塗られた壁に汚れはない。家具は無垢木材で統一されている。大きな窓は明るく、完全に夜が来るまで蝋燭は必要なさそうだった。床にごみやちりはない。

 全体的にシンプルなのがかえって洗練されて見える。リビングと寝室とキッチンしかないこじんまりとした家だが、むしろおさまりがいい。

 リビングの壁にドライフラワーが吊るされているのとキッチンに香辛料の入った小瓶が並んでいるのが何とも言えずおしゃれだ。若い男性の一人暮らしとはこんなものだろうか。頭の中で兄の殺風景な寝室や父のごみごみした書斎と比べてしまう。


 エルドは村人にもらった牛乳でミルクティーを淹れてくれた。濃厚なミルクの味と茶葉の香り、それに何より温かい飲み物であることがネヴィレッタを落ち着かせてくれた。肩から力が抜け、重かった口を開くことができるようになった。


 ネヴィレッタは改めて自分が魔法を使えないことについて説明した。生まれつき術が発動しないこと、魔力を自分で認識できずコントロールできないこと、両親はすっかり失望して疎んじられるようになってしまったこと――それは無能の烙印を押されて社会に出ることを諦めたネヴィレッタにとってほぼ人生のすべてだった。


 ところどころ言葉に詰まってしまったが、温かいミルクティーが背中を押してくれた。

 エルドが黙って聞いていてくれるのにもたいへん助けられた。彼は時々相槌を打つだけでネヴィレッタの語りを遮ることはなかった。


 ひととおり話し終えると、エルドが「そうだったのか」と頷いた。


「何にも知らずにごめん。僕は勝手に君も優秀な魔法使いなんだと思い込んでた。無神経なこともいろいろ言ったよね」


 こうして素直に謝罪できるところも彼が善人だということを強く印象付ける。


「みんなそう思うわよね、だって、魔法騎士団の団長の家系の生まれなのに。こんな髪と目だから、一人だけ血がつながっていないということもないと思うんだけど……」


 テーブルに肘をつき、ミルクティーの入ったマグカップに口をつける。家でこんな姿勢をしたらだらしないと言われてしまうだろうが、向かいでエルドも頬杖をついているのでここでは許されるだろう。


「軽々しく君の気持ちがわかるとは言えないけど――ご存知のとおり僕は天才だの神童だのよく知らないくせに好き勝手呼ばれて育った魔法使いだし」


 そこで一口、エルドも自分のミルクティーを飲んだ。


「でも、家の中で自分一人だけが異端、というのはわからなくもないよ。生まれつきの能力で変な目で見られていらない苦労をしてきた」


 ネヴィレッタはついつい頷いてしまった。


「真逆のケースだけど、パターンは似ている。人間ってそういうしょうもない生き物なんだね」


 そう考えると、エルドとこの世界で二人きりになったように思う。エルドだけがこの世で真に信頼できる相手で、唯一の理解者になってくれるのではないかと錯覚する。

 それはそれでいいのかもしれない。そのほうが幸福なのかもしれない。この小さな家でエルドと二人で暖かい飲み物を飲みながら傷を分かち合うのはきっと優しくて穏やかな生き方だ。


「セリケやカイはこのことを知っているの?」


 問いかけられて、はっと我に返った。

 甘えたことを妄想してしまった。そう簡単に二人きりになれるはずがない。だいたいエルドに迷惑がかかる。エルドはこの美しい家で一人で静かに暮らしていたいのだ。


 セリケが水属性部隊の隊長なのに対し、カイは風属性部隊の隊長だ。二人ともマルスと同世代なのでエルドとも旧知の仲なのだろう。


「あの二人は知っているわ。でも本当に、ごく一部の限られた人だけなの。両親はわたしのことを広く知られることを本当に恐れていて――だからわたしが魔法を使えないと知っているのは、家族、魔法騎士団の幹部、それから国王陛下とレナート殿下だけ。あとはお医者さんだから数には入らないと思う」

「なかなか重大な秘密を打ち明けられてしまったんだな。これから君と関わっていく上では知らないより百万倍マシだけどね」


 負担だろうか、重荷を背負わせてしまっただろうか。ネヴィレッタは反射的に「ごめんなさい」と言ってしまった。だが、今日を限りにもう会うことのない女の子のことなどどうでもいいのではないか。それとも、兄マルスがいることで今後も間接的に付き合っていくことになるのか。


「魔法なんて使えないほうが幸せな人生を送れると思ってたんだけどなあ……」


 そこでまた、お茶を飲む。彼の目は遠く窓の外を見ている。


「何なんだろうね、魔法って。魔法使いと非魔法使いってどれくらい違うんだろう。僕はこうして君と向き合っているだけだと僕と君の間にそんなに大きな違いはないような気がしてるんだけど、君は魔法使いであるところの僕に何か思うことがあったりするの……?」


 ネヴィレッタは首を横に振った。


「ふしぎ。家族や魔法騎士団の人たちに対して負い目みたいなものがあったけど、エルドと話しているのは気楽で心が落ち着くの」

「そりゃどうも」


 彼がちょっとだけ笑った。芋に芽が出てきた時の表情と似た優しい笑顔だ。


「わたし、ずっとこうしていたいなあ」


 不意に口をついてそんな言葉が出てきてしまった。


「こうしてエルドとお話をしているとここにいてもいい気がしてきてしまう。わたし、家でも騎士団の集会所でも、どこにいても自分はここにいてはいけない人間なんだと感じてしまうんだけど。でも、エルドとこの家にいると、本当に落ち着く。どうしてかしら。受け入れてもらっているように感じるのかなあ」


 彼は少しの間何も言わなかった。ちょっと時間を置いたので、ネヴィレッタは自分は言ってはいけないことを言ったのではないかとじわじわ不安になってきてしまった。

 しかし、次に口を開いた時、彼はこんなことを言った。


「またおいでよ」


 生きていることを許された気がした。


「また何か嫌なことを言われた時には逃げておいで。こんな、何もない家だけど。僕も四六時中家にいて畑いじりしてるけど。それでもよければ」

「とんでもない!」


 ネヴィレッタは興奮して思わず立ち上がってしまった。


「いいの!? そんなことを言われたらわたし毎日来てしまうわ」

「そこまで喜ぶこと?」

「嬉しい……! 嬉しすぎて頭がおかしくなりそう。ここ何年かで一番嬉しい出来事だと思う」

「そりゃよかった」


 エルドが優しく微笑むので、ネヴィレッタはさらに嬉しくなってしまった。


「ありがとうエルド。わたしあなたのことがだいすき」


 そう言うと彼は笑みを消して変な顔をした。ネヴィレッタは驚いて「わたし何か変なことを言ったかしら」と尋ねた。彼は目を逸らしながら「いや、いいんだけど」ともごもご呟いた。


「なんだか、とっても純粋なんだねえ」

「そう? よくわからないけど。わたし本当に何にも知らない女だから、変なことを言っていたら何でもはっきり言ってね」


 エルドが立ち上がる。ミルクティーを飲み終わったらしい。背中を向けられて少しさみしかったが、「今日のところはそろそろ片づけよう」と言われてしまったのでネヴィレッタは深く追及しなかった。


「今度は料理でもするよ。侯爵令嬢のお口に合うかどうかわからないけど、そろそろ秋ナスの季節だし、トマトが終わる前に」

「ほんとう? とっても嬉しい! 楽しみにするわ」


 そして思うのだ。

 こんなに優しい人が本当に何人もの人間を殺した最強の魔法使いなのだろうか。本当は人違いなのではないだろうか。彼に人間を殺せるわけがない、とネヴィレッタは思った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る