第5話 わたし、魔法使いじゃないの
エルドに謝罪と最後の挨拶に行こうと思った。昨日変な雰囲気のまま別れてしまったのが気にかかったのだ。それにもう家に押しかけてあれこれ言うこともないから安心してほしいと告げたかった。そして何より、自分が家の外に出たかった。
家族以外の人間と会って会話をしたかった。
エルドはつっけんどんであまり好意的な態度ではなかったが、それでもネヴィレッタに本音で付き合ってくれていたと思う。芋について説明してくれた時は好きなことだからか穏やかで優しかった。ネヴィレッタの周りにはいなかったタイプの人間だ。
もう会えないと思うと、寂しい。
それを素直に伝えたら、彼もちょっとは気分を良くしてくれるだろうか。
お目付け役の侍女がついてきてはいるが、彼女との間に会話らしい会話はない。彼女からしたら厄介者の相手を押し付けられておもしろくないのだ。申し訳ない気持ち半分、腹立たしい気持ち半分だ。けれど文句を言えるほどネヴィレッタは強くない。
馬車の窓から景色を眺める。馬の歩みに合わせて景色が流れていく。
優しい森の風景だった。
もう見られないかもしれない。
村の出入り口、土壁に作られた門の近くに辿り着いた時だった。
門の近くにエルドの姿が見えた。村の人間だろうか、年配の男性二人と女性一人の合計三人と何かを話している。
よくよく見ると、土壁に穴が開いていた。壁がえぐれていて、中に詰められた木組みと干し草が見えている。
エルドが頷いた。
そして、壁に向かって手をかざした。
ネヴィレッタは思わず「あ」と呟いてしまった。
乾いた土の地面が盛り上がり、壁の表面を覆い尽くした。
魔法だ。
あっという間のことだった。壁の穴がふさがった。
地面が少しへこんでしまったが、こうなることを予想していたのだろう、農夫が荷車に積んでいた土嚢から土を足した。エルドがそちらにも手をかざす。土が波のように動いて、地面を平らにならした。
馬車が止まった。
話し声が聞こえてきた。
「ありがとな、エルド。どうしたもんかと悩んでたんだ」
「お安い御用だよ。こんなことでしか役に立てないし」
「いやいや、とんでもない。畑の畝も橋も全部エルドに直してもらってるっていうのに、謝礼金も払えないで」
「いいよいいよ、いつもいろいろおすそ分けしてもらってるから」
年配の女性がエルドに大きな瓶を差し出した。中には白い液体が入っている。牛乳だろう。
「せめてこれだけでも」
「ありがとう、これは受け取るよ」
馬車を出て、地面に降り立った。
四人がこちらを向いた。
馬車にオレーク侯爵家の紋章が入っているからだろう、年配の三人がこちらに向かって首を垂れた。そんなところを見ていると申し訳なくなってしまう。自分は頭を下げてもらえるほど偉い人間ではないし、貴族が先ぶれなしにいきなり押しかけてきた形になってしまったことを思うと傲慢で浅はかだった。ネヴィレッタは彼らに対して「急に申し訳ないです、そんなにかしこまらないでいただきたいです」と言いながら頭を下げた。
エルドとは顔見知りだ。彼はおもしろくなさそうな顔でネヴィレッタを見つめていた。大きな牛乳瓶を受け取り、抱えたまま、「何しに来たの」と冷たく言う。
「お知り合いかい?」
「ちょっとね。みんなは気にせずにもう帰ってくれると嬉しいな」
「わかったよ。またな」
村人たちが門から村の中に入っていく。
ネヴィレッタは馬車に侍女と御者を残したままエルドに近づいた。実質的に二人きりだ。
「気をつかわせちゃったよ」
エルドが言う。
「みんな僕がもともと魔法騎士団にいたことを知ってるんだ。オレーク侯爵家の人間が来たら中央で何かあったんだと察すると思うよ」
ネヴィレッタはしゅんとしてもう一度頭を下げた。
「ごめんなさい。わたし、こんなだから自分の影響力なんて考えたこともなかったわ」
「こんなだからって? 世間知らずのお嬢様ってこと?」
エルドからしたら何でもないことなのだろうが、ネヴィレッタの心にはぐさりと突き刺さる。顔を上げられなくなってしまった。
そんなネヴィレッタから何かを察したらしいエルドが、呟くように「悪かったよ」と言った。
「言い過ぎた。ごめん」
マルスの、根は真面目な奴だ、という言葉がよみがえった。エルドには素直なところがある。
気を取り直して顔を上げ、むりやり笑顔を作ってみせた。
「優しいのね。ここまでみんなのためになって感謝される魔法はそうそうないと思うわ」
そう言うと、エルドはちょっと目を背けた。左腕で瓶を抱えたまま、右手で自分の頭を掻く。照れているのかもしれない。ちょっと可愛らしいところもある。
「まあね。土木作業員みたいなものだけど。地属性は本来地味なものだよ」
「すてき。火属性はみんな燃やし尽くしてしまうわ」
「使い方の問題だよ。君の家は戦闘要員だからそんなことになるだけで、火属性だって料理や明かり取りには便利だよ」
「確かに」
笑顔がひきつっていないといい、と祈るように考えたのだが、だめだったらしい。
「……何かあったのかな」
自分は今、悲しい顔をしていただろうか。
わたしにはそれすらできないのよ、と言ったら、エルドはどんな反応をするだろう。
人のためになり、感謝される魔法――とてもうらやましかった。
「わたし、もうあなたに会いに来るのをやめようと思って」
お腹の前で指と指とを組み合わせる。
「迷惑だったわよね。ごめんなさい。わたし、あなたを引っ張り出して中央に連れていけばいろんな人に喜ばれると思っていたけど、あなた自身の気持ちを無視していたわ。あなたには魔法騎士団にいい思い出がないというのはよくわかった。わたし自身が兄やセリケが好きだからみんな魔法騎士団は居心地のいいところだと感じるんだと勘違いしていたと思う」
「気づいてくれて嬉しいよ」
「兄にもやめなさいと言われちゃった。そう、兄に話したの、エルドと会っていたこと」
「ええ……僕焼き殺されないかちょっと不安だよ……」
「どうして? 兄はあなたに親しみを感じているみたいだけど」
「マルスがどんだけ妹を可愛がっているか知らないから言えるんだよ」
もう一度、小声で「ごめんなさい」と言う。
そこで会話が途切れた。気まずかった。またうつむいてしまった。エルドがどんな目で自分を見ているのかあまり知りたくなかった。これで会わなくなるのが嬉しいと言われてしまったら悲しい。
自分は寂しいのだ、というのを痛感した。誰かとこうして会話をする機会が欲しかったのだ。それを改めてまざまざと感じさせられた。
「……まあ、そんな、そこまで気にしなくていいよ」
声が優しく、でもほんの少し困惑している様子なのを感じ取り、おそるおそる顔を上げた。
エルドはそんなに喜んでいるようではなかった。むしろどことなく切なそうに見えた。
「僕こそごめん。子供っぽい態度だったよね。僕は普段家にひきこもっていて人間と喋らないし、村の人たちとは僕が魔法使いであるせいでちょっと距離を感じていたし、たまには魔法使いの同類と話せてよかったんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、ネヴィレッタの中で感情が決壊した。
「わたし、魔法使いじゃないの」
エルドが「え?」と驚いた顔をした。
「わたし……、わたし、魔法が使えないの」
「なんで? 君オレーク侯爵家の人間だよね」
「そうだけど……でも……」
涙があふれてきた。
いけない。泣く女など面倒臭いに決まっている。エルドにさらに迷惑をかけてしまう。
これ以上嫌われてしまったらどうしよう。
そう思っているのに、止まらない。
「ごめんなさい……」
手で自分の顔を覆い隠した。泣いて醜くなっている顔を見られたくない。
「わたしは魔法使いじゃないの……。マルスお兄様の妹でオレーク侯爵家の娘なのに、何にもできないの……」
「ちょっと待って、どういうこと?」
「わからないの。わからないの……」
二の腕をつかまれた。軽い力で優しく触れられたのでそこまで恐ろしいとは思わなかったが、ネヴィレッタは弾かれたように顔を上げた。
「ちょっと、事情を聞かせて」
エルドは真剣な顔をしていた。
「移動しよう。ここでは誰に見られるかわからないし――女の子を泣かせていると思われたら本当に、心底困るし」
「そう? 悪いのはわたしだわ」
「君がどう思っているかじゃないんだよ」
「わからない……ごめんなさい」
「いい、もういいよ、とにかく深く考えなくていいから、うちに来てくれる? 家でゆっくり話を聞くよ」
どうやら家に招いてくれるらしい。あれだけ入るなというオーラを放っていたのに不思議な気分だ。ネヴィレッタはびっくりしたが、拒否する理由はないので「わかったわ」と答えた。
「誰かお付きの人は?」
「いないようなものだから気にしないで。わたしは一人なの。魔法が使えないわたしなんてどうなったっていいんだから」
「ええ……でも……まあ……、あー、もういいか。おいで」
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