第4話 お国のためになるならと思ったんだけどな

 ネヴィレッタには魔法が使えない。

 由緒正しい魔法騎士の家系に生まれ、間違いなくこの家の子供である証の夕焼け色の髪と朝焼け色の瞳を受け継いでいるのに、魔法の術式が発動しない。

 兄マルスや妹ヴィオレッタは優秀な魔法使いで、火属性として考えられるありとあらゆる技が使える。対するネヴィレッタは何の能力もなく一般人も同然だ。

 小さい頃は心配した両親が魔法医に診せたり魔力のこもった薬を飲ませたりしていたが、まったく功を奏さなかった。十七歳現在能力なしのままだ。

 魔法医の見立てでは何の魔力もないわけではないらしい。けれど魔力があるだけで魔法は使えない一般人はいくらでもいる。どんなに魔力があっても使うセンスがなければ意味がないのだ。


 両親はいつしかネヴィレッタを諦めてしまった。

 そして、火属性の名門であるオレーク侯爵家の顔に泥を塗る娘として疎んじるようになった。


 今、ネヴィレッタはほとんど家を出ない。両親がいい顔をしないからだ。両親は、まさかあの家から魔法を使えない人間が生まれるとは、と言われることを恐れている。したがって学校にも行っていないし社交界デビューもしていない。


 自室に戻ってきて、ベッドに身を投げた。着替えるのも億劫で、汚れたドレスのまま横になる。


 誰か侍女を呼んで着替えを手伝ってもらわねば、と頭では思うのだが、体が動かなかった。

 侍女たちも落ちこぼれのネヴィレッタが嫌いだ。マルスやヴィオレッタは何くれとなく世話をしてもらえたが、ネヴィレッタの周りは呼ばなければ誰も来ない。


 寝具を汚したら、また、あの娘は、と言われる。

 もうどうしようもない。


 ドアをノックする音が聞こえてきた。心臓が跳ね上がった。自分が部屋の中でだらしなくしていることを誰かにたしなめられるのではないかと不安になってしまった。


「どなた?」


 おそるおそる尋ねると、「俺だ」と返ってきた。兄のマルスだ。ほっと胸を撫で下ろした。


「どうぞお入りになって」


 兄が顔を見せた。どうやら一人のようである。

 彼は料理皿を手にしていた。銀のクロッシュでカバーされている。


 部屋の中に入り、後ろ手でドアを閉める。そして部屋の奥、ベッドのすぐそばまで歩いてくる。


「お腹が空いているだろう? 厨房で作ってもらった」


 ネヴィレッタの目の前まで来ると、クロッシュを持ち上げた。

 美しくおいしそうなバゲットサンドが並んでいた。


「食べろ」


 自然と笑みが浮かんだ。


「ありがとう、お兄様」


 マルスも微笑んだ。


 兄のマルスはこの家で唯一ネヴィレッタの味方をしてくれる人間だ。強力な魔法と強靭な肉体をもって生まれた誰もが理想とする魔法騎士の彼だが、不器用ながらも優しく、ネヴィレッタとヴィオレッタを平等に扱おうとしてくれていた。むしろどちらかといえば冷遇されているネヴィレッタにより優しいかもしれない。


 役立たずの妹でも、庇ってくれる。


 バゲットサンドに手を伸ばした。ハムとチーズ、レタスとトマトが薄切りのバゲットに挟まれている。食欲をそそられる。

 一口かじり取る。野菜のシャキシャキ感、ハムとチーズの燻製の香りがたまらなくおいしい。


 マルスはベッドサイドテーブルに皿を置くとネヴィレッタの隣に腰を下ろした。


「今日は何をしていたんだ?」


 父や母に同じことを問われたら叱られると思って身をすくめただろうが、この兄の問いかけならただ単純に興味を持ってくれているだけだと思える。


「庭で何かしていたのか?」


 口の中のものを飲み込んでから、ネヴィレッタは答えた。


「少し出掛けていたの」

「へえ、お前が? 珍しいな」


 喜んでくれている様子だ。


「どこに行っていた?」

「フラック村のほうに」


 するとマルスはほんのり表情を曇らせた。


「どこだ?」

「え、内側の壁の外で、東のほうにある――」

「そういうことじゃなくて。何をしに出掛けたんだ?」


 はっとした。

 兄にエルドの話をしてもいいのだろうか。


 レナート王子はこれを密命だと言っていた。何の力もない小娘に依頼するくらいだからそこまで警戒する必要もないだろうが、レナート王子に義理立てしないといけないような気がした。

 兄に男性と二人きりで会っていたと知られるのも恥ずかしかった。エルドとの間には何もなく、家の中に入れてもらったことすらないのだが、恋人どころか友達もいない自分が、と思うとさすがの兄も何か思うのではないか。


 ネヴィレッタが悩んでいると、マルスは「殿下の直轄領だな」と言った。位置情報だけは知っているらしい。


「もう一回聞く。何をしに行ったんだ?」


 そして付け足す。


「殿下に何か言われたんだったら包み隠さず俺に話せ。抗議するなりぶん殴るなりいろいろある」


 ネヴィレッタはついつい笑ってしまった。マルスとレナート王子は親友同士で仲がいいのだ。責任感の強いマルスが自由奔放なレナート王子に振り回されて多少苦労していることは知っていたが、そういう言い方をされると微笑ましくなる。

 それでも、国家の存亡、と言われているところにまだ引っかかりをおぼえた。だが、兄は魔法騎士団の団長で、エルドとも顔見知りだ。自分ごときより兄のほうがよっぽどこういうことに詳しいはずだ。


「実はね、エルドに会ってきてほしいと言われたの」


 兄が「はあ?」とすっとんきょうな声を出す。


「エルドってあのエルドか? 地属性の魔法使いの」

「そう。最強で、魔法騎士団の地属性部隊の最後の一人だったと聞いたわ」


 少々考えてから「そういえばあいつあの辺に住んでいたな」と呟く。


「どうしてお前が?」

「さあ。ヒマそうだったからじゃないかしら。この前セリケに借りた本を返しに魔法騎士団の集会所に行ったらたまたまいらっしゃって。頼まれてくれる人を探していたとおっしゃられて」


 ちなみにセリケというのは魔法騎士団の水属性部隊の隊長だ。


「魔法騎士団に連れ戻してほしいと言われたわ。その……、最近世間が物騒だから、もしかしたら彼の力が必要になるかもしれない、と」


 近々戦争になるかもしれないと言われたことははっきり言えなかった。自分より兄のほうがよっぽどそういう情勢に詳しいはずだが、自分がそういうことを知っているというのを兄に知られるのがなんとなく嫌だった。中途半端に頭を突っ込んでいると思われるよりは世間知らずのもの知らずであると思われたほうがいくらかマシな気がしているのだ。


 兄は膝の上に頬杖をつき、溜息をついた。


「まあ……、確かに魔法騎士団の人間が仰々しく迎えに行くより事情を知らない令嬢が顔を見に行くほうがエルドは油断すると思うが――そういう意味では殿下のご判断は間違っていないようにも思えるが、よりによって俺の妹に、と思うと腹が立つな」

「何かまずかったかしら」

「いや、エルドは根が真面目だからいきなりお前を取って食う真似はしないだろうし。でも、エルドは歩く国家機密だからな。俺は非魔法使いの娘が関わっていい相手じゃないような気がしていた」


 そこまで言ってから、「それはお前にもエルドにも失礼か」と苦笑した。しかし撤回はしなかった。それが嘘偽りのない兄の本音なのだ。


「そういえば最後にエルドと会ってから二年くらいになるな。あいつは元気にしていたか?」

「元気そうだったわ。態度はよくなかったけど、不健康そうには見えなかった。愛想がないというか、口が悪いというか、そういう感じではあったけれどね」

「子供の頃はああじゃなかったんだけどな。魔法騎士団で乱暴な扱いをしていたせいですっかりひねくれてしまった。根は悪い奴じゃないんだ、許してくれ」


 そう言われると、やはり兄とエルドも親しいのだ、ということを感じる。


「あんまりにも激しく拒否するんで距離を置いていたんだが、レナート殿下はまだ諦めていなかったのか。もういい加減解放してやってくださいと申し上げたのに。とはいえ実際にエルドの力があれば早く済む話もたくさんあってな……難しい問題だ」

「ごめんなさい、わたし、軽々しく首を突っ込まないほうがよかったわよね」


 三つ目のバゲットサンドの表面を指で軽く揉む。


「でも、何かしたくて。それがお国のためになると言うなら……わたしなんかでも役に立つなら、と思ったんだけど……」

「それで、エルドは何て?」

「レナート殿下なんか大嫌いと伝えろと言われたの」


 マルスが声を上げて笑った。


「まあ、いい機会だ。いつかお前にも地属性の魔法使いについて説明しようとは思っていたんだ。実物に会っていろいろ納得しただろう?」

「ええ。なんだかすごく複雑な事情があるみたいで、話を聞いていてとてもショックだったわ」

「そういうわけだ。申し訳ないが、これ以上エルドを刺激しないでやってくれ」


 ネヴィレッタは頷いてから、バゲットサンドを咥えた。




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