第3話 世間知らずで役立たず

 魔法とは自然の中を巡る気を自分の体内に取り込む術のことである。

 どんな気を取り込めるかは生まれつき決まっている。そして放出した時に発現する能力も人によって決まっている。

 この国では、その発現の仕方をもとに魔法を使える人間を四大元素になぞらえて四つに分類していた。火属性、水属性、風属性、そして地属性である。


 魔法の発現の型式は人によってさまざまだが、半分は生まれつきで、もう半分は魔法学校による訓練で構築されるものだといわれている。

 しかし代々魔法使いを輩出する家系となると親兄弟と生活する中で自然と魔法の型式ができあがってくるものだ。親兄弟が強力な魔法使いだと子供も強力な魔法使いになる。


 そうして生まれ育った魔法使いを集めて戦闘訓練を施し軍人にするのが魔法騎士団である。


 魔法騎士団は選ばれたエリート集団だ。豊富な魔力、精緻な型式、そして魔法使いを輩出する家柄――魔法使いとして求められる理想の要素をすべて兼ね備えた戦闘能力のある魔法使い、すなわち魔法騎士の組織である。魔法騎士は貴族として認められ、国王直属の軍人として大事にされていた。


 オレーク侯爵家は火属性の魔法騎士の家系だ。ガラム王国が成立した時に王とともに戦った魔法使いの子孫であり、いつの代も強力な魔法騎士を生み出してきた。ネヴィレッタの父は今は引退して貴族院議員となったが、もともとは魔法騎士団の団長だった。ネヴィレッタの兄マルスは家督こそ相続していないが、すでに団長の地位を継承していた。


 魔力を保つために血族の中での結婚を繰り返してきたこともあり、生まれる子供はみんな火属性の魔法が使える――はずだった。


 そういう家系に生まれ育ったネヴィレッタだ、物心がついた時には火属性の魔法使いが周囲にたくさんいた。成長するにつれていろんな魔法使いに引き合わされ、水属性や風属性の魔法使いとも知り合えた。

 けれど地属性の魔法使いにだけは会ったことがなかった。

 前々から魔法騎士団に地属性の部隊がないことは気にかかっていたが、自分が魔法騎士団のことを根掘り葉掘り聞いてはいけないような気がしていたので、疑問をそのままにしていた。

 エルドが言うことが確かなら、地属性の魔法使いはそもそも数が少ない上に、遺伝で魔法を継承しているわけではない、ということになる。そういう属性が存在することさえ知らなかった。


 自分は本当に何も知らない。世間知らずの役立たずだ。


 ヴィオレッタは知っているのだろうか。


 それにしても、地属性というのはどんな魔法を使えるのだろう。まさか芋を温めるのがすべてではあるまい。


 いわく、一人で広大な森を切り拓いた。

 いわく、一人で敵の砦を破壊した。

 いわく、一人で敵の大隊を撃滅した。


 いったい、どうやって、だろう。

 怖くて聞けない。兄にも、魔法騎士団の人々にも、ましてやエルド自身になど、絶対に聞けない。


 ひねくれていて口は悪いが、種芋を大事にして畑を丁寧に耕すエルドだ。彼が人を殺すところなど想像できなかった。それに本人もあの様子なら心からそうしたかったわけではなさそうだ。

 むりやり魔法騎士団に入れられた。親に裏切られ、さらわれるようにして連れてこられて、帰りたかった農村には帰れず、やりたかった農作業には携われず――これ以上はあまり考えたくない。


 夕方の鐘が鳴った。兄が魔法騎士団の集会所から帰ってきて夕飯になる。

 気が重い。食欲が湧かない。

 でも、食堂に行かなければならない。


 自分の部屋を出る。とぼとぼと長い廊下を歩く。日はすでに暮れていて夜の闇がすぐそばに迫ってきていた。

 すれ違う使用人たちはネヴィレッタと目を合わせなかった。いつものことだった。ネヴィレッタはこの家にとっていないも同然の存在だ。

 むしろ、存在していないのであればどれだけ楽だっただろう。自分は恥さらしで、面汚しで、いらない子だ。


 食堂に辿り着いた。扉の左右に控えていた二人の使用人が両開きの重い扉を開けてくれた。


 天井には大きなシャンデリアがぶら下がっている。前後に長い食卓にずらりと燭台が並んでいる。いずれも火がともっていないので薄暗い。自分が一番乗りなのだろうか、ネヴィレッタごときのために火を入れるのはもったいないとでも思われているのだろうか。


 次の時だった。


 誰も手を触れていないのに、蝋燭に次々と炎がともっていった。

 手前から奥へ順番に明るくなっていく。最後に中央の大きな三本が燃え始め輝き始める。

 はっと気が付くと、頭上のシャンデリアが煌々と光を放ち始めた。


 振り返ると、妹のヴィオレッタがそこに立っていた。

 彼女はぞっとするほど美しい笑顔でネヴィレッタを眺めていた。


「お姉さまはこの程度のこともできないのね」


 心臓がきゅっとつかまれたような苦しみをおぼえる。


 ヴィオレッタはネヴィレッタにとって自慢の妹だった。同時に劣等感のみなもとであり、畏怖する存在でもあった。

 綺麗で可愛いヴィオレッタは、この家の誇りだった。

 大きな二重まぶたの目には輝く朝焼け色の瞳、形の良い鼻にふっくらした唇、緩く波打つ長い夕焼け色の髪――の外見はネヴィレッタも似ていると言われているが、中身はまるで違う。ヴィオレッタは自信に満ち、明るく堂々としていてはつらつ、誰からも好かれる娘だ。

 ましてや彼女は強大な魔力を持ち、器用な型式の魔法を使うことができる。

 どこに出しても恥ずかしくない、立派なオレーク侯爵家の娘だった。


 ヴィオレッタは姉のネヴィレッタを突き飛ばすようにぶつかってから食堂の中に入っていった。そして上座、父と母、兄の次の四番目の席についた。ネヴィレッタとは目を合わせようともしなかった。


「邪魔よ」


 呆然とヴィオレッタを眺めていたネヴィレッタに、そんな言葉が投げかけられた。

 改めて振り向くと、そこに母が立っていた。十七歳と十四歳の姉妹の母親であるとは思えないほど若く美しい母だ。オレーク侯爵本家の遠縁の人間で傍系だが夕焼け色の髪に朝焼け色の瞳をしている。

 彼女はネヴィレッタのドレスをじろじろと見回した後、不愉快そうに扇で自分の口元を覆った。


「土がついていますよ。汚らしい」


 ネヴィレッタは「あっ」と呟いて自分のドレスの裾をつまんだ。エルドの家に行った時、畑を眺めるために一度しゃがみ込んだのだ。その時に汚れてしまったのだろう。


「どこで汚してきたのですか」


 何とも答えられなかった。何を言っても怒られる、という意識がネヴィレッタを萎縮させる。


「ドレスを清潔に保つことすらできない。どんくさい子」


 母が溜息をつき、眉をひそめた。


「お前は何ならできるのですか」


 ネヴィレッタは無言でうつむいた。


「ごめんなさい」

「謝ってほしいわけではありません。辛気臭いわね、食事がまずくなるわ」


 そこまで言い捨てると、彼女はヴィオレッタの隣に座った。そしてヴィオレッタに微笑みかけた。


「お前の炎は美しいですね、ヴィオレッタ、私の自慢の娘」


 ヴィオレッタが嬉しそうに笑った。


 足がすくんで動かないネヴィレッタの後ろから、兄マルスが入ってきた。短い夕焼け色の髪にがっしりした筋肉質の長身の若者だ。二十五歳のオレーク侯爵家次期当主である。顔立ちは整っているが、母親が違うからか妹たちとはあまり似ていない。


「おい、黙って聞いていれば」


 マルスがネヴィレッタの肩を抱く。


「そういう言い方はないだろう? ネヴィレッタがどんな思いでいると思っているんだ」


 兄がネヴィレッタのために怒ってくれるのは嬉しいが、しらけた顔をしている母と妹を見ているとさらにいたたまれなくなる。


「謝れ」


 するとヴィオレッタはすんなり謝った。


「ごめんなさい、魔法が使えないお姉さまの前で魔法を使ってしまうだなんて、配慮が足りなかったわ。これではわたしが魔法を見せびらかしているみたい。子供っぽくてごめんなさいね」


 言葉とは裏腹に顔は笑っていることに、兄は気づいていないのだろうか。


「……ごめんなさい」


 ネヴィレッタは兄の手を振りほどいた。


「なんだか食欲がないみたい。自分の部屋に帰ります」

「ネヴィレッタ」

「ごきげんよう。おやすみなさい」


 誰も引き留めてくれなかった。ネヴィレッタは元来た道をとぼとぼと歩いて戻った。




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