第2話 楽しい畑のお仕事
諦めてなるものか。ここで引き下がったらいよいよ自分は何にもできない役立たずになってしまう。
レナート王子がじきじきにネヴィレッタに賜った依頼だ。これをこなしたところで名誉を得られるとまでは思っていないが、多少は自分に自信がつくのではないか。
何にもできない自分にも、ガラム王国で生きていく上で何らかの役割はある、と信じたい。
ネヴィレッタは一度出直したが、間を置かず翌日、エルドの家を訪ねた。
季節は夏の終わりだ。ガラム王国は全体的に温暖で、王都ローリアにも日光がふんだんに降り注ぐが、夕方は冷えるようになってきた。もはや夏至より秋分のほうが近い今日この頃、日中は汗ばむほど暑くても、日が暮れるのは早い。
昨日と同じところに馬車を止め、馬車の中に侍女を残してエルドの家を目指す。
道の両脇に並ぶ木々の根元にはきのこがちらほらと見られた。侯爵家の令嬢であるネヴィレッタも、毎年たわむれにきのこ狩りに出掛けている。もちろん詳しい人間に毒のあるものとそうでないものをより分けてもらった上で厨房の料理人に調理してもらうのだが、兄とのんびり森の中を散策する時間は幸福なものだった。
ネヴィレッタは空を見上げた。
まだ青々と葉をつけたままの
いい環境だ。
エルドの家の前に辿り着いた。
昨日と同じようにドアノッカーで扉を叩く。こんこん、と明るい音がする。
返事がない。
ネヴィレッタは無意識のうちに口を尖らせた。
昨日のことを怒って居留守を使っているのかもしれない。自分が今日また来ることは知らないはずだが、何らかの手段を使って嗅ぎつけたのかもしれなかった。本当に留守の可能性もある。
もう一度、扉を叩く。
十数えても、反応がない。
こんなことならレナート王子に手紙でも書いてもらっておけばよかった。そうしたら扉の隙間にでも挟んでおけただろう。
しかしレナート王子は王太子として忙しい身だ。兄と同い年の若さで王の補佐役として名を馳せている。エルドを連れずに会いに行くのは気が引けた。
中途半端なことをして怒られたくない。何をしに来た、と詰められるのが怖い。
手ぶらでは行けない。
ネヴィレッタは家の周りを歩き回ることにした。もしもエルドが居留守なら、裏に回り込んで庭からでも上がり込んでやろうと思ったのだ。窓から家の中を覗き込んでもいい。我ながら令嬢らしくない下品な振る舞いだが、手段は選んでいられない。
エルドの家は小さい。玄関から数歩分で角まで来てしまった。
壁沿いに曲がる。
そこに畑があった。
耕された土に緑の植物が植えられ、茎や葉を伸ばし、赤や紫の実が数え切れないほどなっている。夏の野菜だ。日光を浴びた野菜は輝いていて、新鮮で、おいしそうに見えた。
壁際にしゃがみ込んでいる人間の姿があった。エルドだ。
彼は脇に木箱を置いており、その中から拳より少し小さな何かを取り出しては、手の平の上で転がしていた。
芋だ。芋を手にしている。
何をしているのだろう。
ネヴィレッタはしばらくその様子を見守ることにした。
エルドが軽く芋を握り締める。
芋を包んだ手が、ふわりと発光する。
魔法だ。
一瞬のことだったが、彼は確かに魔法を使った。芋に魔法をかけたのだろうか。
エルドが手を開いた。
ネヴィレッタはきょとんとした。
何か変化が起きたようには見られなかった。
だがエルドは満足した様子だ。
魔法をかけた芋を土の上に並べる。
そして、木箱から新しい芋を手に取る。
また、握り締める。淡い萌黄色の光がともる。すぐに消える。
エルドの顔が優しい。昨日の硬く険しい表情とは違う。穏やかで、ほんのり笑みを浮かべているようにも見えた。昨日は気難しい人のように感じたが、こうしていると人を害する青年には見えない。
何度か繰り返したのち、彼は立ち上がった。そして、壁に立てかけていた
次の作業が始まる前にと、ネヴィレッタは勇気を振り絞ってエルドに声をかけた。
「あの、エルド」
彼がこちらを向いた。
目が合った途端、彼はまた眉根を寄せた。昨日の険しい表情に戻ってしまった。
「何の用? 僕、忙しいんだけど。邪魔しないでくれる?」
正面から食ってかかっても昨日と同じ結果に終わるだけだ。ネヴィレッタは自分の用事をぐっと呑み込み、できる限り穏やかを装った声でこう尋ねた。
「何の作業をしているの? さっきからお芋に魔法をかけているように見えたけど」
「いつから見てたの? 覗き見は下品じゃない?」
「ごめんなさい、でも、楽しそうだったから、声をかけるのは気が引けて」
「楽しそう?」
エルドは溜息をついた。ネヴィレッタは怒られるかもと思ってうつむき、首をすくめた。
「……まあ、畑仕事は楽しいよ」
予想外の反応だった。
おそるおそるエルドの顔を見た。
エルドは鍬を杖代わりに地面について立っていた。
「人間死なないしね」
そう言われると、ちょっと怖い。
昨日の言葉がよみがえる。
――君も聞いているんでしょう。僕がどれくらい殺したか。
自分を奮い立たせた。
「お芋にどんな魔法をかけたの?」
エルドが地面を見る。
「興味ある?」
ネヴィレッタは「ええ」と頷いた。最強はどんな魔法を使うのか知りたかった。
彼は足元の芋を一個拾った。そしてネヴィレッタに「見て」と言った。どうやら近づくことを許されたらしい。ネヴィレッタは喜ぶ心を抑えて彼に近づいた。
手の平の芋を見る。
「芽を出した」
言われてから気づいた。確かに、芋に複数の白い突起が出ていた。一応侯爵令嬢であるネヴィレッタがこうして調理前の芋を見る機会はあまり多くないが、この状態が食事に適さないのはなんとなくわかる。
「このつぶつぶ、お芋の芽なの?」
「そう。見たことない?」
「ないわ」
「ふうん。君もお嬢様なんだね」
一瞬唇を引き結ぶ。すぐに口を開く。
「あなたがお芋に芽を出させたの?」
「そう。温めて成長を促したんだ」
「何のために?」
「種芋として植えるんだよ」
「たねいも?」
「これを畑に植えて、肥料をやって雑草を抜いてと世話をして、三ヵ月くらいすると、土の中で増えるんだよ」
「へえ! 知らなかったわ」
純粋に驚くネヴィレッタを、エルドは馬鹿にした顔で笑った。
「世間知らずだね」
ずきりと刺さった。ひょっとして常識なのだろうか。またお前は何も知らない娘だと言われてしまったようでつらい。
エルドが鍬で土を軽く耕す。土が柔らかくなったところでしゃがみ込み、これもまた壁際に置いてあったスコップで溝を作る。そしてそこに種芋を並べていく。
その様子を見ていると少しずつ心が和んでいくのを感じて、ネヴィレッタもその場にしゃがみ込み、エルドの作業を無言で見守った。
種芋に土をかぶせていく。ある程度埋まったところで、土を軽く固めていく。
地面に並べていた種芋を全部植え終えると、エルドが戻ってきた。
「まだ見てるの?」
ネヴィレッタは困った。
「ごめんなさい。なんだか、作業を見ていると癒されるの。それに、あなたも楽しそうだし」
「はあ。まあ、魔法使いになる前は農家の子供だったしね」
知らなかった。魔法騎士団の構成員はみんな騎士の家系の武官貴族だと思っていたのだ。ネヴィレッタの一族もそうだ。先祖代々魔法騎士の家で、兄は父からその地位を受け継ごうとしているのである。
「驚いた顔してる」
エルドが笑みを浮かべた。ネヴィレッタを嘲笑っているようでも、自嘲しているようでもあった。
「君は火属性の人間だから知らないんだろうね。地属性は絶対数が少ないから、国中、町という町、村という村を引っ繰り返して掻き集めるんだよ。小さいうちから親兄弟と引き離して、王都で魔法教育を受けさせるんだ」
ショックだった。
「あなたもご家族と引き離されて……?」
「いや、親が僕を魔法騎士団に売り飛ばしたんだ。僕が強い魔力を持っているのに気づいて、魔法の訓練のために、という建前で奉公に出して見返りとして金や土地をせしめた」
壮絶な生い立ちだった。そんなことでは魔法騎士団に愛着を持つわけがない。
「みんなそんなものだよ、地属性なんて」
そしてぽつりと呟く。
「こんな力欲しくなかった」
何も言えなかった。
ネヴィレッタはずっと魔法に憧れているというのに――魔法さえ手に入れば幸せになれると思っていたのに。
沈黙したのに気づいたのか、木箱から種芋を拾っていたエルドも、ふたたび手を止めた。
「ま、君は火属性の魔法使いなんでしょう? 関係ないよ。気にせずのびのび生きなよ」
はっと我に返った。
「どうしてそれを……わたし、名乗ったかしら……」
「見ればわかるよ。だってマルスと同じ髪と目をしてるし」
マルスとはネヴィレッタの兄の名だ。彼の言うとおり、オレーク侯爵家の子供はみんな夕焼け色の髪に朝焼け色の瞳で生まれる。そして、オレーク侯爵家は火属性の魔法を使う魔法騎士の家系で、代々魔法騎士団の要職を務めている。
「昔会ったのおぼえてない?」
エルドが苦笑した。
「マルスが会わせてくれたことがあるんだけど。自慢の妹たちだ、って。ネヴィレッタちゃんとヴィオレッタちゃんだったかな?」
ところがその言葉が予想以上に胸に刺さった。動揺してしまった。
息苦しい。
「……ごめんなさい、今日はこれでおいとまするわ」
エルドは引き留めなかった。ちょっと驚いたようだったが、「あっそう」とだけ言って見送ってくれた。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう?」
踵を返して、森の中の道を急いだ。
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