第23話 好きな理由


 夜七時、今日の練習も終わったし、そろそろ俺も帰ろう。


「じゃあこれでご飯は三人分できたから、親が帰ってきたら食べさせてやれ」


 そこまで言って気付いたが、そういやこの家お母さんがいないな。

 姉さんはアメリカらしいけど、父親は会社だろうが、両親共働きかな?


「いや、あたし一人暮らしだから親いないよ」


 まずった。

 新川春人一生の不覚だ。なんて無神経な事を言ってしまったんだ。


「そ、そうだったのか、悪いな……仏壇はどこだ? ちょっとお焼香を」

「いや死んでないし」


 お願いだからそのゴミムシを見る目をやめてください。

 女帝モード発動である。


「ただちょっと離れて暮らしているだけよ、まあ事情くらいは離してあげるから、一緒に食べましょ」


 言って、大麻は俺の返事も聞かずに配膳をし始める。


 本当は家に帰って母さん達のご飯を食べるつもりだったけれど、こんな大きな家に一人で暮らしている大麻を想像すると、なんだかそれは凄く寂しそうに思えて、俺は大麻と一緒にご飯を食べたくなった。


「そうだな、こんなのお前だけじゃ食べきれないし、俺も手伝うよ」


 俺は席に着くと、まず箸を持つ大麻を制して、


「ご飯の前は?」

「あ、うん」


 俺達は二人揃って、


「「いただきます」」




「それでさ、浩二ってば体育祭でリレーのアンカーやって、三位から一気に一位になったんだよ、凄いと思わない?」

「ほんとだな」


 ご飯を食べ始めてから大麻はずっと戸田の自慢話のフルコース。


 普通の人間ならまともに聞いていられないのだろうけど、俺は何故か、不思議と聞いていられた。


 それはきっと、戸田の事を話す大麻があまりに幸せそうだからだと思う。


 大麻は、本当にどこにでもいる普通の女の子で、何もしていないのに姉のせいで言われの無い罪を着せられて、俺の想像に過ぎないけど、きっと、辛い中学時代を送り続けてきたんだと思う。


 だから、この娘(こ)はそろそろ幸せになっていいはずだ。


 ほんの昨日会ったばかりの奴なのに、俺はこいつの幸せを祈らずにはいられなくなっていた。


「ほんと、浩二って小学生の頃から他の男子と違って、すっごいカッコよくて、あたしずっと好きだったんだー、だけどね……」


 と置いて、声のトーンが下がる。


「中学卒業する時に、親の転勤で引っ越す事になったんだよね、間(ま)宵(よい)お姉ちゃんはアメリカに行くからいんだけど、あたしは親と一緒に引っ越す事になって、だけどやっぱ浩二から離れたくなくてさ」


 コップの中のジュースを一気に飲み干す。


「三年経ったらまた戻ってこられるんだけど、でもそれって高校三年間浩二と会えないって事でしょ?

だからあたし親に頼んで、ここに残る事にしたんだ。

家事なんてやった事ないから一人暮らしは色々大変だったけど、浩二からOKもらった時は嬉しかったなー、ここに残ってよかったーって、神様ありがとうって心の中で叫んじゃったよあたし」


 そこには女帝も魔王もいなかった。


 切れ長の大きな目や、筋の通った鼻、小さく形の良い唇や真っ白な肌が持つ美しさはそのままに、大麻は大人びた魅力を可愛らしい表情と無邪気な声で、さらに甘美な空気をまとっていた。


 最低の高校生活だと思ったけど、こいつと知り合えた事だけは良かったと思う。


 まったくもって戸田が羨ましい限りである。


 俺にそんな権利は無いけれど、もしも大麻を泣かせたらブン殴ってやる。


 俺はただ、素直にそう思えた。

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