第25話 わたしに乗り換えてください


「あら、奇遇ですわね心愛さん」


 その声に、俺は反射反応で振りかえる。

 道路に黒塗りの高そうな車が停めてあって、その窓から八月朔日が俺らを見ていた。


「あ、真理亜さんです」

「ほほ、八月朔日!?」


 俺は素っ頓狂な声をあげてしまい、慌てて姿勢を正す。


 八月朔日真理亜。

 俺の初恋の相手で、今なお、愛してやまない人だ。


 誰よりも綺麗で、プライドが高くて、でも誰かにかしずかれたりゴマをすられるのが嫌いな孤高のお嬢様。


 八月朔日の瞳が、俺らの手元へと下りる。


 アイスに気づいて、俺は息を吞む。


 やばい。八月朔日に見られた。


 俺がなんとか取りつくろおうとすると、八月朔日が先に口を開いた。


「一緒にアイスを食べるなんて、ペア同士の絆は深いようですわね」


 さらにやばい。

 こんな事を言われたら、きっと心愛は笑顔で俺にすり寄ってくるだろう。


 そんな姿を見られたら、絶対に誤解されてしまう………………あれ?


 心愛は普段と同じ、おっとりとした表情と喋り方で、至って普通に八月朔日と向かい合う。


「はい。さっきまで一緒に訓練をしていました。せっかく、SGTに入ったのですから、上に行きたいです」


 八月朔日は表情を変えず、しばしの沈黙を置いてから答える。


「……良い心がけですわ。ペアバトルの相手が誰になるかわ解りませんが、備えは必要ですもの。では、ワタクシはこれで失礼させていただきます」


 八月朔日が前を向くと、車の窓が自然と閉じた。


 黒塗りの車は、八月朔日を乗せて走り出す。


 とうとう最後まで俺には何の興味も持たずに、八月朔日は遠ざかる。


 結局、何も話していない事に気づいて俺は唇を噛んだ。


 情けない……


 せっかく好きな人の方から声をかけてきたのに、何も言えずに終わるとか、チキン野郎丸出しじゃないか。


 姉や妹で女子に慣れているんだから、むしろ女子と気さくに話せてもいいぐらいなのに。実際、心愛とは普通に――


 唇から歯を離す。


 今、俺なんて思った?


 心愛と一緒にいる所を八月朔日に見られて『やばい』とか『誤解されてしまう』って。


「良人くん」


 弾かれたように振り返る。心愛は、不自然なくらいいつも通りの、穏やかな表情だった。


「良人くんの好きな人って、真理亜さんなんですね」

「――――」


 これが女のカンだろうか。


 見抜かれた俺は、喉が石のように固まって何も言えない。


 ただ黙って間抜けな顔を晒す俺に、心愛は信じられないようなことを言いだした。


「良人くんの初恋……上手くいくといいですね」

「え!? いや、だってでも心愛……」

「わたしも良人くんが初恋だからわかります。初恋って……特別ですよね」


 優しげな両目に、心愛の慈愛がにじむ。心愛はおとなしい声なのに、強い想いを感じさせる声で俺に語りかける。


「わたし、良人くんのことが大好きで、良人くんに愛してほしくてたまりません。でも、良人くんは同じことを真理亜さんに望んでいるんですよね? わたしは良人くんが大好きだから、良人くんに幸せになってほしいから、良人くんが悲しむ姿なんて見たくありません。まして、わたしのせいで良人くんが悲しむなんてぜったいにいやです」


「もしかして、八月朔日に絆が深いって言われた時、普通にしていたのって……」

「わたしは、良人くんの彼女さんじゃありません。わたしと良人くんの関係を誤解させて、それで良人くんの初恋が悲しいことになったら…………そんなのだめです」


 ……なんて言うか……俺の胸にまた罪悪感が溢れてしまう。こんないい子の好意を無下にするなんて、俺はどこの何様なんだろう……


 でも同時に、妙な安堵感もあった。


 俺の幼馴染は、心愛は何も変わっていない。


 妙に優しかったり慈愛に満ちた子には、男受けを狙っての演技というオチがつきものだ。


 でも心愛は幼い頃からこんな感じで、今もわざわざ自分の恋を犠牲にしてまで俺に気をつかってくれた。


 もしも猫や羊の皮を被った腹黒女なら、あそこでここぞとばかりに俺とイチャついただろう。


「だから良人くん。真理亜さんに告白する前に、わたしに乗り換えてくれたら一番うれしいです。失恋してわたしのところにきたんじゃあ、良人くんが辛い思いをしちゃいます。だから」


 心愛は上気した頬で、濡れた瞳に俺を映して身を寄せて来る。


「良人くんが真理亜さんに告白する前に、良人くんがわたしに乗り換えてくれるよう、いっぱいいっぱいがんばりますね❤」


 頑張るって何を!?


 とは問えない。問うて、返事を聞いてしまったら、俺はまた醜い欲望が暴走してしまうかもしれないからだ。


 俺は照れ隠しに頭をかきながら、アイスのコーンを一気に食べた。


「あ、ありがとうな心愛。心愛なら中学の時モテただろうに。なのにずっと俺なんかの事を想い続けてくれて、なのに俺はその気持にも応えられない」


 きっと心愛はモテモテで、男子達から引く手あまただったに違いない。


 でも心愛は、それを全部断って俺への純愛を貫いてくれたんだ。


 そう思って俺が感動すると、急に心愛の顔に影がさした。


「いいえ、そんなことありません……だってわたしは前の学校で……ずっと……」


 心愛の悲しそうな表情が、俺の心臓を苦しめる。次の言葉で俺は息を飲んだ。


「化物と言われていました」

   

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