第16話 俺の彼女が愛し過ぎる

 二分でトイレから戻ってきた俺は、奇妙な光景を目にした。


 クレーンゲームの前で、光姫が迷子のように怯えた表情で、周囲を気にしている。シロクマのぬいぐるみを強く抱きしめ、頼りない足で一歩進んではまた戻り、うつむいたと思えば顔を上げて、何がしたいのかわからない。


 しばらく眺めていると、五人の男子グループが光姫に目をつけた。


 俺は男子グループに同情した。光姫を囲む男子たちが何を言っているのかは聞こえないが、きっと光姫に怒鳴られ、もしかすると殴られるかもしれない。


 そんな様子を想い浮かべて、俺はおかしくて笑ってしまう。


 なのに、光姫は小さく首を横に振ると、一歩あとずさってクレーンゲームに行く手をはばまれている。じわりと、俺の胸に冷たい予感が湧き上がる。


 もしかして光姫……おびえている?


 男たちが取り囲む輪を縮め、光姫はぐっと目をつぶってうつむいた。


 俺は衝動的に走り出すと、リーダーらしい男子の背後から声をかけた。


「おいてめぇ、俺の女に何の用だ」

「あん?」


 男子たちが振り返ると同時に、俺は軽く獣化。牙を生やし、頭や首を白い毛で覆った。


 男子たちは全身をビクつかせて後ろに跳ぶ。ふたりはうしろに転んでうめき声をあげた。


「やべぇ、こいつ獣人だぞ!」

「逃げろ!」


 まっさきにリーダーが逃げて、残りの男子たちは死に物狂いでその背中を追った。


 いまの時代、獣人の強さは有名だ。まして俺の牙を見れば、肉食獣だとすぐに察したのだろう。俺が獣化すれば、男子高校生が一〇〇人束になっても余裕で勝てる。


 俺は獣化を解きながら思う。いったい光姫はどうしてしまったのだろうか。


「おい光姫、どうしたんだよおま――」


 光姫に向き直ると、俺は言葉を吞みこんだ。

 釣り上げた目に涙を浮かべ、光姫は真っ赤な顔で震えながら俺を見上げていた。

 胸元できつく抱きしめられたシロクマのぬいぐるみが、苦しそうに見える。


「ないでよ……」

「え?」

「ひとりにしないでよ!」


 光姫の声は、ゲームの爆音で満たされたゲーセンでもよく響いた。


「なに言って、光姫、さっきから勝手に俺から離れて走って行っちまうだろ?」

「だって雪人、見える場所にいるでしょ! 雪人あとからついてきてくれるでしょ!」


 光姫の目から涙がこぼれた。俺はズキリと心臓に痛みが走り、足が重くなる。


「あたし、ひとりで外に出たことないんだから! なのになんでいなくなっちゃうのよ! 彼女おいてどっか行くなんてサイテー! サイテーよッ! 雪人は……雪人はあたしの、彼氏なんだから……ちゃんと一緒にいてよぉ…………」


 最後のほうは涙声で、光姫とは思えないほど弱々しかった。

 俺は、頭から冷水をかぶった気分になる。

 光姫の家庭環境を、俺は軽く考え過ぎていたんだと思う。


 まだ詳しい話は聞いていないけれど、ずっと施設にいたっていうのは本当なんだろう。それで好奇心の強い光姫は、外の世界に興味はあったけど、同時に外は未知の世界でもある。それでも光姫が楽しそうだったのは、彼氏で外の世界に詳しい俺がいたからだ。


 俺は元気にはしゃぐ光姫を呑気に見て、安易に場を離れた。でも光姫にとっては、見ず知らずの外国に置き去りにされたような恐怖があったに違いない。


 弱々しい光姫の姿に、俺まで不安な気持ちになってしまう。


「ごめんな光姫」


 気づけば、俺は自然と光姫を抱き寄せていた。

 光姫は、泣き顔を隠すように俺の胸板に顔を押しつけた。


「じゃあ、もうどこにも行かないって約束して」


 ……俺は、光姫の彼氏になった自覚なんてない。光姫が俺を好きっていうのも、まだ半信半疑だ。それでも、俺の胸には雪のような冷たい罪悪感が積もっていく。この子をひとりにしたくないという感情が湧き上がるのを感じた。


「約束するよ。でもさ、いいのか光姫? 俺なんかが彼氏で。光姫はかわいいし、絶対に俺なんかよりもいい男がいると思うぞ」


 光姫はうつむいて涙を拭うと、まだ少し赤身の残る顔で俺を見上げた。

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