第5話 トラよりライオンより強い動物
身長はあたまひとつ分も高くなり、全身が金色の毛に覆われた。
短髪男子が、ヨダレを吞んでから、
「みーんながよく知る猫だぜぇ。動物園の人気者だ」
丸太のように太い手足に、暴力的な爪と牙。喉の奥からは重低音の唸り声が漏れている。
ヘアゴム男子は立派なタテガミを蓄えた猫で、短髪男子は全身に黒いシマ模様を持った猫だった。というか、どう見てもライオンとトラだ。
あー、なるほどそういうことね。
俺は、くうき世代らしい、感情の冷め切った思考回路で悟った。
何が猫だよ。ネコ科ではあるけど、百獣の王と密林の王じゃないか。
人のことをだまして、俺を潰して、自分たちが一年男子のリーダーになろうって腹か。それとも俺の惨めな姿を女子たちにみせつけて遊ぼうってか?
俺はクラスメイトたちの流れに乗って歩いてきたし、そうでなくてもここは校舎と学生寮のあいだだ。まわりには女子たちがいくらでもいた。
数少ない男子が三人も集まれば、いやでも女子たちの目を引いた。まして超メジャーな猛獣、ライオンとトラの獣人だ。女子たちは驚き、俺らはさらに注目を集めている。
俺は思い出す。そういえば小学生の頃、よくトラとライオンはどっちが強いんだろうとかいう話題が出ていたなぁ、と。
トラ男子が、急に態度をデカくする。
「おら、お前もさっさと獣化しろよ。もっとも、クマじゃあトラに勝ち目なんてないけどなぁ! 知っているか? シベリアじゃあクマは、トラのエサなんだぜ!」
「そんでライオンは、そのトラと並ぶ獣王だ。しかも、このタテガミが首を守る分、防御力はライオンの方が上らしいじゃねぇか。クマていどで百獣の王に勝てると思うなよ!」
生臭い息を吐きながら、二頭の獣王は己の強さを誇示した。
入学初日に、頭の悪い不良に絡まれる。
やっぱり俺のラッキーは使い果たしてしまったのか。そんな思いが倦怠感となり、俺は重たい息を吐いた。
逃げようと思えば逃げられる。正式な決闘は学園に申請してバトルアリーナで行われる。こんな喧嘩みたいなものに付き合う理由はない。
戦わなきゃいけない雰囲気、なんて無視してこのまま背を向けて帰ればいい。獣化していない俺を一方的に襲えば、それこそこいつらが退学になって終了だ。
あえて俺のデメリットを上げるなら、女子の前で逃げるのはカッコ悪い、か。
でも俺は、最初から逃げる気なんてなかった。
「いいぜ。二対一でな……」
手に入れた力を試したい。
新しく買ってもらった玩具に喜ぶガキみてぇなノリだけど、あいにくこちとら『男の子』だ。少しくらい、はしゃいだってバチは当たらないだろう。
俺は体の奥で、人間が失った獣性を呼び起こした。
俺の心臓が吼え、全身に沸騰した血液が滾る。視線は二〇センチも高くなり、肩や背中の筋肉が盛り上がっていくのがわかる。
聴覚が鋭敏化して、自分の心臓の音から女子たちが驚く声まですべてが脳内に響いた。
胸の内から湧き上がる熱意が闘志となって俺の精神を侵し、自分が自分ではなくなるようだ。自分のことを『くうき世代』とか言って冷めていたのがバカらしくて口元が歪む。
笑って、犬の十倍と言われる嗅覚が獣王たちの意志を感じ取った。
生物は感情によって体臭が変わる。
喜んでいるときは甘い匂いに、怯えているときは酸っぱい臭いに、怒っているときや殺意を抱いているときは焦げ臭い刺激臭がする。
そしてトラとライオン、ふたりが放つ濃密な香り。甘い刺激臭は、殺意と歓喜が混じり合った嗜虐心に由来するものだった。
俺が完全に獣化を終えると、ふたりは訝るように表情を曇らせた。
「なんだお前……シロクマか?」
ライオン男子の言う通り、俺の体は白い毛に覆われていた。
トラ男子が鼻で笑う。
「シロクマってあれだろ? 自分よりちっせぇアザラシとかペンギン喰っている。自分よりデカイ牛や馬を仕留めるオレらの敵じゃねぇなぁ」
俺の口から、荒い言葉が出た。
「はんっ、自慢げに語るのは結構だが、ペンギンが住んでいるのは南極、シロクマが住んでいるのは北極だ。ペンギンを食えるわけねぇだろ」
トラ男子の刺激臭が強くなる。眉間にしわを寄せ、怒りをあらわにしていた。
いまの俺の言葉は、言うつもりなんてなかった。心の内で呟いたつもりが、自然と声に出てしまっていた。心臓の鼓動に合わせて加速していく闘志を俺が抑えていると、ライオン男子が一歩前に進み出てきた。
「落ちつけよトラ。おいクマ野郎、知っているか? サバンナの動物は寝るとき草むらや木の上に隠れる。なのにライオンだけは平原で堂々と寝るんだ。これの意味がわかるか?」
どうやらこいつも、自分の素材自慢がしたいらしい。ライオン男子は酔いしれながら、
「襲われる心配がないからだよ。食物連鎖の頂点に君臨する王者にのみ許されたキングの眠りだ。弱肉強食の世界にありながら警戒する必要がない。お前みたいなクマちゃんはな」
ライオン男子は膝を曲げ、身を沈めた。
「オレのエサなんだよ!」
鋭い跳躍。ネコ科動物特有の瞬発力、特にライオンの純白筋はワンモーションで俺との距離を詰めてきた。
動物の筋肉は持久力に優れた赤筋と収縮力に優れた白筋がある。人間は半分ずつ持っているが、ライオンはほぼ白筋だけで構成された純白筋の持ち主だ。そのパワーとスピード、筋肉が発揮する出力は常軌を逸する。
ライオン男子は巨大な口を開け、オレに噛みかかる。俺は慌てず、左肩をわざと差し出して噛ませた。二刀の長い牙が、俺の皮膚を突き破る。
「ッハー! なんだよてめぇ棒立ちじゃねぇか! ビビって動けねぇってか!」
熱した火箸を押し当てられたような熱と痛みが、左肩から脊髄に広がる。なのに俺は耐えられた。痛みに対して辛いと思わなかった。むしろ、戦いに興奮している自分がいた。
王者の武器、純白筋で俺の肉を噛みしめ、牙を突き立てるライオン男子は余裕を失う。
「!? な、なんだ、なんでてめぇなんともねぇんだ。ライオンの六センチの牙が、ね、根元まで刺さっているんだぞ! なのに、ぐっ、このっ、このっ!」
さらに力を入れてくるライオン男子に、俺はマグマのように熱く重たい声で告げる。
「六センチの牙か……悪いな、クマの皮下脂肪は九センチだ」
「なっ!?」
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