第25話 裸エプロン@歌舞伎町
ようやっと火は消えたものの煙は未だ燻ぶり続けていた。ずぶ濡れの二人が出口に向かう途中、床に置かれた小さな段ボール箱に目を留めた
「ちょっと待って
そう言いながら晶子は水を含んでふやけた箱を開けてみた。はたして中から現れたのはビニール袋に包まれた湿った茶葉だった。よく見ると紅茶だけでなく見たこともない植物の葉や茎も混じっている。
「きっとヤバいやつだよ、これ。美絵留、あんたのスマホ返すし、あとこれもよろしく」
晶子はポーチからスマホを取り出すとそれをミエルに向かって放り投げた、続いて手にしていたスタンガンもいっしょに。
「写真も撮れたし、あとはこれも大事な証拠だし」
晶子はまだぐっしょり濡れたままの茶葉をひと掴みすると、それを空になったポーチの中に押し込んだ。ミエルは寄こされたスマホとスタンガンをエプロンのポケットにしまい込むと、その存在を確認するようにポンポンと軽く叩いた。
これでミッションはクリアだ。もう言葉はいらない、二人は互いの目を見ながら大きく頷くと揃って水が降りしきる倉庫を後にした。
外に出ると
「消防や警察が来ちゃうと面倒なことになる。晶子、急ごう」
しかし晶子は動こうとはせずただ無言でミエルの顔を見つめるだけだった。
「今度はなんだよ晶子、乗らないのかよ?」
その言葉に呆れた晶子は肩を落として大きなため息をついた。
「あたしが運転するなんてあり得ないし。こういうときは男子が前、女子が後に決まってるでしょ」
「な、なんだよそれ」
「ちょっとは考えなさいよ。今のあんたのそのカッコ、それで後ろに乗ったらお尻もパンツも丸見えだし」
「あっ……」
「だ――か――ら、あたしが後ろであんたの丸見えを隠してあげるし、だからあんたが前に乗るの」
「わ、わかったよ。ボクが漕ぐよ」
こうしてミエルがハンドルを握り、晶子は荷台に腰を下ろした。が、しかしそれほど背が高くない晶子が座ったのではやはりミエルの尻も背中も背後からほとんど丸見えだ。仕方なく晶子は荷台の上に立つことにした。
ミエルの肩に手をかけて荷台に上がるとその視界は思いのほか高く広かった。四月になったとは言え、深夜の風はまだまだ冷たい。ずぶ濡れの晶子にとって高い位置で感じる夜風は微かであっても十分にその寒さが身に浸みた。
「行くよ、しっかりつかまってて」
そう言ってミエルはペダルを踏み込んだ。晶子も振り落とされないようにミエルの肩に載せた手に力を込めた。
とは言え、目の前で赤く腫れた尻を気にしながら立ち漕ぎを続けているのは裸エプロンの女装男子だ。晶子はそんなギャップが無性におかしく見えて思わず「プッ」と噴き出した。
「な、なんだよ、いきなり」
「ううん、なんでもない。ほら、信号変わったし、ファイトだよ変態クン」
「うっ、うるさいな。晶子こそしっかりつかまってろよな」
ミエルは両肩に感じる晶子の手のぬくもりに少しだけ力が入ったのを感じた。
職安通りを越えた先は深夜の住宅街とは別世界だった。真夜中でも煌々と輝くそこはまさに不夜城、午前三時にならんとしているこの時間でもタクシーや酔客が途絶えることはなかった。
二人は晶子が辿ったルート、区役所通りを南に進む。そろそろ海斗の車とデッドヒートを繰り広げたあの五差路に差し掛かろうとしたそのときだった。
「前の二人乗り自転車、停まりなさい」
それは巡回中のパトロールカーだった。ミエルが背後をちらりと振り返るとそこでは小型のパトカーが赤色灯を回転させていた。おそらく職安通りから追跡していたのだろう、しかし今ここで職質など受けたらやっかいなことになる。なにしろ晶子のポーチには麻薬にも似た茶葉が入っているし、自分のポケットにもスタンガンだ。ミエルは覚悟を決めた。
「晶子、ここは逃げるよ。しっかりつかまってて!」
「了解っ!」
ミエルは思いっきりペダルを踏みこむ。目の前では五差路の信号がちょうど青に変わった。ここぞとばかりに加速した自転車は左に見える車両進入禁止路にノンストップで突入した。
「
「大丈夫、ボクにまかせて。この道の方が近道なんだ」
それは歌舞伎町のラブホテル街を斜めに横切る裏道だった。ここは有名な抜け道、正面からやって来るタクシーが次々と脇をかすめていく。
「ここまで来れば……って、えっ、マジ?」
そのとき背後からけたたましいサイレンが聞こえた。あのパトカーが一方通行を逆走してきているのだ。
「止まりなさい、止まれ!」
スピーカーの怒声がホテル街にこだまする。向かいから来る車も緊急車両に道を譲ろうと十字路で待機している。
まずい、このままでは追いつかれる。ミエルは前傾姿勢になって一層の加速を試みる。バランスを崩さんと彼の肩を掴む晶子の手にも力が入った。
「ピンチ、ピンチ、ピ――ンチ。がんばれ、ボク、がんばれ、ボク!」
やがて目の前に渋滞する車列が見えてきた。明治通りだ。晶子が海斗を追いかけていたときから今もなお渋滞しているのだ。ミエルは一時停止することなく車列に突っ込む。そして間を縫うようにして最内の車線までやってくると、そのまま中央分離帯に沿って逆走しながら直近の交差点を目指した。
渋滞の外回り車線とは打って変わって内回り側は空いていた。中央分離帯に立つ彼らの目の前をクラクションを鳴らしながら車が横切る。幸いなことにその後に続く車はいない。ミエルは未だ赤信号の交差点を一気に横断するとそのまま文化センター通りを突き進む。遠く背後では赤色灯を回したパトカーが渋滞の列に立ち往生しているのが見えた。
「ふぅ――、なんとか逃げ切れた」
二人はルナティック・インを目指して暗い夜道を進む。ミエルの火照った肩に手をのせたまま晶子が後ろを振り返ると、そこには遠ざかる歌舞伎町の灯りがあった。肌に感じる冷たい夜風と手に伝わる汗ばんだ温もりに彼女は自分たちが無事に生還できたことを実感するのだった。
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