第16話 攻撃力は、からっきし

「よし、今はここまでにしておこう。それよりもやるべきことがあるんだから」


 ミエルは秘密の通路の存在を確認するだけに留めておいた。今はまだあの部屋に月夜野つきよのがいるだろうし、無理に詮索して事を荒立てるよりも自分のミッションである「おもてなし」にまつわる証拠の品を獲得することが最優先であると考えたのだ。


「だけどせっかく忍び込めたんだ、お駄賃代わりにお茶のひと掴みでももらっちゃおうかな」


 ミエルは眉月マユヅキからのレクチャーを思い出しながらスチール棚の一台に近づいた。するとそのときだった、ほんの微かな床鳴りを感じた。同時に漂う怪しい気配、ミエルの全身に緊張が走った。


 不穏な空気のその方向に視線を向けるが早いか、目の前を手刀の突きが掠めた。ミエルは反射的に半歩後方に退く。同時に間合いを取って相手の姿を確認する。するとそこではお団子ヘアがトレードマークのメイド、眉月マユヅキが静かに息を吐きながら臨戦態勢の構えを見せていた。彼女は足音を消すためだろう、その足は靴もソックスも脱いだ素足だった。

 互いに目が合った瞬間からミエルに構える隙を与えぬよう、眉月マユヅキは手刀とパンチを織り交ぜた攻撃を続けざまに仕掛けて来る。しかし彼も負けていなかった。彼女が繰り出す連打を紙一重でかわしつつ反撃の機会をうかがっていた。

 彼はこの仕事を始めるにあたって事務所のママから最低限の護身術は身に付けるように命令されていた。鷺宮流さぎのみやりゅう当身術、それは日本古来の活殺術、ミエルはママの紹介でその道場に通っていたのだった。


 眉月マユヅキは確実にミエルを仕留めに来ている、もう誤魔化すことなんてできない、まさに殺るか殺られるかだった。守りだけでは勝ち目はない、やはり攻撃しなくては。ミエルは相手の懐に踏み込んで鳩尾を狙って拳を打ち込む。しかし眉月マユヅキはそれを余裕の体でかわしていく。


「女の子だから顔は狙いたくないけど、そんなことは言ってられないよね」


 ミエルは眉月マユヅキの攻撃を避けながらなおも踏み込んで今度はその顔めがけて拳を放つ。しかしそれもあっさりと捌かれてしまった。それからもミエルは何発かの拳やローキックをお見舞いするもすべてが徒労に終わる。


「なんなんだ、この人。動きが全然読めないよ」


 それもそのはず、ミエルが使う当身術が直線的な動きであるのに対して眉月マユヅキのそれは円を描くような曲線、そう、彼女は中国拳法の使い手だったのだ。護身術としてしか習得していないミエルに勝ち目はなかった。なにしろ彼の攻撃力はからっきしなのだから。


 それは時間にして五分も経っていなかっただろう、しかしミエルにはえらく長い時間に感じられた。ここまで眉月マユヅキは一言も口を開いていない。冷淡な薄ら笑いを浮かべてはいるが終始無言なのだ。


「ハァ、ハァ、ハァ、これってピンチかも」


 そろそろ息が上がりつつあるミエルの視界に眉月マユヅキの微笑が映る。その笑みが消えて真剣な目になったときだった、目の前から彼女の姿が消えた。同時に彼の後頭部に重たい衝撃が、間髪入れずに下腹部に膝蹴りが命中した。

 思わず息が止まる。少しでも息をしようと口をパクパクしているミエルの顔面に今度は冷たい霧が降りかかった。それは眉月マユヅキがエプロンに隠し持っていたスプレーガスだった。


辛苦了ごくろうさん新月シンゲツはもっと修行することね」


 目の前で崩れ落ちるミエルにそう言うと眉月マユヅキは倉庫のドアを開け放つ。するとそこには待宵マツヨイが立っていた。その手には手錠とロープ、眉月マユヅキが突っ伏したミエルの腕を掴んで後ろ手にすると待宵マツヨイがすかさず手錠をかける。続いて足首をロープで縛るとそれを手錠に結び付けて完全に拘束した。


「仕事が終わるまで目を覚まさないようにスプレーを使ったよ。これで夜までぐっすりね」

「さすが、こっちの手際はお見事ね」


 見事な殺陣を演じて見せた眉月マユヅキを労いながら待宵マツヨイはエプロンのポケットから穴の開いたゴム製ボールが付いた革のベルトを取り出した。それはボールギャグ、猿ぐつわの一種だった。眉月マユヅキが倒れたミエルの顎を押し上げながら両頬を指で押してその口をこじ開けると、待宵マツヨイが慣れた手際でゴム製ボールを口の中に押し込んで革のベルトを締めあげた。


眉月マユヅキ、それでこの後はどうするの?」

「とりあえずロッカールームの物入に押し込んでおく。夜になって海斗かいとが来たらトランクに連れていくね。そこで洗いざらいしゃべってもらうよ」

「そうね、この子のバックに誰がついてるのかを押さえておかないと次の手が打てないしね」

「どんな組織だろうと面倒は避けるのが賢明。こいつを生かすも殺すもその後のことね」


 拘束したミエルを二人がかりで倉庫からロッカールームに移動すると、使っていない物入に彼を放り込んだ。寝息を立てるミエルを見下ろしながら待宵マツヨイは扉を閉じて施錠する。


「さて、そろそろ『おもてなし』の時間、邪魔者も片付いたし急ぎましょう」

うんうん工作順利了仕事は順調ね


 こうして二人は互いにほくそ笑みながら何事もなかったかのように下階したに降りて行くのだった。

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