時空管理局の東京支部は、入ってすぐ右手側に男女別のトイレがあり、左手にパーテーションで簡易的に区切られた応接スペース、その奥にデスクの島が組まれている。

 一つの島は五つのデスクで組まれており二つずつ横並びで向かい合わせ、飛び出た一つは窓側に配置され、机上にはプレートで「支部長 木村春一」と書かれていた。

 悟が到着した午前七時五十分の時点で出勤していたのは支部長である木村と、久方ぶりに顔を合わせる東堂楓の二人だった。


「よぉ悟、早いな。初日だからって張り切ってんのか? 言っておくが時管(時空管理局の略)は本庁でもなければ普通の会社でもねぇ。大体就業時間ギリギリか、ギリ遅刻の出勤でも誰もなんも言わねぇし俺も気にしねぇからな。世間一般の感覚持ってる奴から潰れてくぞ。ま、そもそもそんなハウス育ちの甘ちゃんはここに配属すらされねーんだが。俺なんかほら、野性味溢れるワイルドな感じだろ? なぁ、とーどぉ?」


 木村は右手の人差し指と中指で火の付いていないタバコを挟んでいた。

 肩まである紫がかった黒い前髪を左右にゆらゆらとさせている。雑にハーフアップに結われ、小さな団子状になっている後頭部から漏れた後れ毛が妙に色っぽい。


「私に振らないで下さいよ。……私は割と普通な方だと思ってますから。木村さんで言うところのハウス育ちですよ、ハウスみかんです」


 背を向けたままの楓は振り返らず、そして嫌悪感を隠すことなく告げた。


「普通の奴は始発で出勤してきたりしねんだよ。ま、お前は不器用だからなぁ」


 胸の下で腕を組み、椅子の背もたれに一度体重をかけてぐいっとスプリングをしならせると、その反動を利用して前後に身体を揺らした。


「なら放っておいて下さい。天童くん、おはようございます。しばらくぶりですね。これから君は私と組むことになりましたのでどうぞ隣に」


 回転椅子に座る楓が軽く地面を蹴ってくるりと翻し隣の椅子に座るよう促した。


「ありがとうございます。楓さんが付いてくれるなんて幸せの極みですね。愛する人にご指導頂けるなんて興ふ……失礼。……とにかく捗りますし」


 うっかり「興奮しちゃうじゃないですか」なんて軽口を叩きそうになったのを、既のところで思いとどまった。

 いくら旧知の仲とは言えこのご時世、セクハラ発言も甚だしい。

 想い人に拒絶されたら、考えただけで背筋が凍る。


「……よく意味がわからないのだけれど。始業時間までだいぶあるからお茶するもよし、身の回りを整頓するもよし。もちろん寝てても構いませんよ。お給料が発生しない時間なので」


 木村が豪快に笑った。


「お前が真横に居んのに寝るってそりゃ、悟には無理ってもんだろ。ほれ、金やっから二人でコーヒーでも飲んでこい。帰りに俺にも一杯買ってきてくれりゃいいから。俺は神前こうざきと三島が来るまで寝る」

「はあ。分かりました。……では天童くん、行きましょうか」

「うっす」


 二人はゆっくり並んで、近所にあるチェーン店のカフェへと向かった。

 楓が注文カウンターでホットのホワイトモカを注文したのを聞いて悟は嬉しくなった。「僕も同じものを一つ」と後ろから注文すると、ギロリと効果音が出そうな目で睨む。


 ……僕なんかしたっけ?


 楓はカウンター越しの店員に向き直って、木村から渡された五千円札で支払いを済ませた。揃いのカップを持って空いている席へと足を運んだ。


「……さっきから何がそんなにおかしいの?」


 カップの縁に口を着けたまま、上目遣いで見上げている。片想いの相手が、最高に綺麗な顔を向けている。


「ん? 何がっすか?」


「さっきからニヤニヤしてるじゃない。私がホワイトモカを飲むのがそんなにおかしかった?」


「いーや、違いますよ。楓さんは覚えてないかもしれないっすけど、前にここのホワイトモカが美味しいって教えたの僕じゃないっすか。それに楓さんと二人でカフェに居られるのも、これから一緒に働けるのも、全部嬉しくって」


「……そうだったかな。そんなことよく覚えてるのね。それより初日から通常業務に取りかかるけど大丈夫? あと天童くん、貴方ちゃんと使えるのよね?」


「もちろんっすよ。きっちり今日から使えるようになってたんで」


「じゃあやってみてくれる? そうね……五分後の私たちを見てきてくれるかしら」


 人懐こい笑顔を浮かべた悟は右手首を右回転に捻りながら手のひらを握って、そのまま頬杖をついた。


 悟は存在自体が華やかだった。人の目を、心を、惹き付けてしまう。

 身長は百八十は悠に超えていて、渋川の入ったモンブランのような栗色の髪が印象的だ。パーマがかけられたようにふわふわと柔く踊っている。

 色白で頭が小さく、手足も長い。ファッション誌のモデルのような出で立ちで、テーブルの上に頬杖をついて、首を傾げている。

 絵になるようなポーズをしたのはそれを自覚しているのかは分からないが、一瞬にして店内の空気が色めき立った。



 ほんの一瞬の間を開けて悟はまたにっこりと笑った。


「……楓さんはずるいなぁ。あんなの避けられるわけないでしょう? なんなんすか、楓さんに嫌われるようなことしました?」


「うーん、そうね。貴方がもう少し自分の容姿を自覚した行動を取ってくれたなら、あんな事にはならなかったでしょうね。とにかく目立つようなことはしたくないの。だから私、今とっても腹が立っているもの」


 言いながらくすくすと愉快に笑う楓を、斜め下から拗ねたように覗き込む。


「……前から言ってるけどさ。俺、楓さん以外の女なんてどうでもいいんだよね。いつになったら俺のこと男として見てくれんの? そんなに年下は嫌? 六歳なんてほとんど差無いっすよ」


「天童くんは天童くんだよ。私の中で初めて出会った頃の天童くんとなんら変わらない。……今日からは職場の先輩と後輩、異性として見ることはないよ」


「先輩後輩の関係って、ドラマや映画もそう。少女漫画でもティーンズラブでもなんならBLでだってかなり人気なジャンルじゃないっすか? そんなつもり無かったのにお酒飲んだらいつの間にかホテルで寝てて『あれ、私なんでこんなことに…一晩寝たら急に意識しちゃって…』ってなるんすよ。だから楓さん、今日俺と二人きりで歓迎会とかどうっすか? そんで酔った楓さんを俺が介抱するためにホテルに行っちゃったりなんかして。悪いようにはしないっす。優しくするんで抱かせてください、邪魔者はいな」


 楓のビンタが悟の左頬にクリーンヒットした。

 人の頬が芯を食った音な店内に響いた。



「……これで気は済みました?」


「うん。じゃあ行こうか」


 背を向けて「天童くんは優しいね」と小さく呟いた楓の声を悟は聞き漏らしたりなどしない。


「楓さんにだけですよ」


 左頬に季節外れの紅葉を携えた悟が、頼まれていたテイクアウトのコーヒーを買い忘れて忘れて木村にドヤされる。

 そんな日々を重ねて、悟が二課の面々にすんなりと馴染んでいくのを、楓は心地よく感じていた。

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時空管理局東京支部 緒出塚きえか @odetsuka_kieka6

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