第51話 エピローグ2
火曜日の朝、今までで最も安心して眠ったせいか、目を覚ますと七時を過ぎており、龍斗のベッドは空だった。
おそらく、龍斗は先に起きたのだろう、ちなみに、今日は学校の都合で授業は午後からなので寝坊しても問題はない。
これからは龍斗と同じ部屋で眠れることが嬉しくて、紗月は思わず龍斗のベッドに視線を送った。
今まで紗月は龍斗に迷惑をかけたくない一心で、五回も逃げたことがある。
だが龍斗はその度に優しく抱きしめ、ときには頭を撫で、紗月が必要だと言ってくれた。
全てを失った自分に全てを与えてくれたのはお前だと、最後に残った、たった一人の家族だから、ずっと自分に守らせて欲しいと、何度も言ってくれた。
龍斗の言葉を思い出すだけで体が温かくなった気がして、殺人衝動が無くなったこともあり、思わず自分と龍斗の将来を想像してしまう。
そんな甘い妄想に心が揺らいだ時、紗月は龍斗の枕から僅かに見える物を発見した。
「……なんだろ?」
枕をどけて出て来たのは一冊のアルバムだった。
よほど古い物なのだろうか、えんじ色の表紙はかすれ、文字がよく読めない、そして、やってはいけないと分かっていたが、紗月はつい、そのアルバムのページをめくってしまった。
中には幼い頃の龍斗の写真で溢れていた。
まだ紗月ともカインともなんの関わりもない、本当に無邪気で純粋な笑顔に、紗月もこの写真を撮影したであろう龍斗の両親同様、「可愛い」と小さく漏らした。
写真の少年が数年後にカインとなり、最強の武力を身に付けて世界有数の軍事企業である黒門会と真っ向から戦うなど誰が予想できるだろうか、紗月は子犬を見る時のような目で幼い龍斗に釘付けになり、ページをめくり続ける。
アルバムの中ごろには紗月が会った時の龍斗と同じ位の姿の写真が載っていた。
クラスメイトなのだろうが、時々一緒に移っている女の子のことが気になりつつも、記憶の最も古い部分にある龍斗の顔を思い出して、またすぐに笑った。
この時に龍斗と出会ったから、自分は今こうしていられるのだと、感謝しながら次のページをめくった瞬間、紗月の目がとある人物の顔で静止した。
今までは龍斗一人だけ、もしくは他の子供との写真ばかりだったが、その写真だけは二人の大人と写っていた。
おそらくは、龍斗の両親であろう、優しそうな男性と女性は笑って、龍斗の肩に手を置いている。
「ッッ!」
だが、その笑顔に紗月は戦慄した。急に頭が割れそうなほどの激痛が襲ってくる。
誰かに脳髄を掻き回されている気分だった。
何かが出てくる、思い出すなと無意識的に自分に言い含めたが、一度動き出した脳は止まらず、意識の奥底に埋没させた記憶を掘り起こそうとする。
一〇歳の時、孤児院に入る前の記憶が目の前に見える。
気がつけば、紗月は寝室ではなく、暗い夜道を歩いていた。
そうだ、母親(エバ)に捨てられ、悲しみにくれていたあの時の自分は……殺人衝動に駆られていた……
それでどうなった?
楽しそうな子供と大人の声がするほうへ足を運び、熱にうなされ、自分でも抑えられない心の乾きを潤すために……
目の前に大人二人の死体が転がっている。全身に返り血を浴びる自分の顔は笑っていた。
すると目の前の曲がり角から子供が出てきて……
少年の顔は影がかかりよく見えない、それが紗月の最終防衛ラインだった。
これだけは思い出してはならなかった。なのに、影は徐々に薄らぎ、その全貌があらわになる。
両親の死体と自分に恐怖する少年の顔は、誤魔化しようもない、水守龍斗のものだった。
「……うそ……」
紗月の顔が凍りつき、こわばった指はアルバムを床に落とした。
何が全てを与えただ……
何が最後に残された家族だ……
何が龍斗を支えただ……
龍斗の全てを奪い、笑顔に満ちた世界からカイン同士の殺し合いの世界に引きずり込んだのは他でもない、自分自身だったのだ。
つまり龍斗は七年間……両親の仇を守るために命を賭したことになる……
龍斗が今まで自分に言ってくれた慰めの言葉が、自分に向けてくれた笑顔が、そして……心の片隅で思い描いていた龍斗との平穏な暮らしが、紗月の中で音を立てて崩れ去った。
黄色い双眸は壊れた蛇口のように涙を流し、灰色の髪は小刻みに揺れる。
悲嘆のみに彩られた紗月は、声にならない心の慟哭に震え、絶望した。
スッと、紗月が後ろから抱きしめられたのはその時だった。
あまりにも効き慣れ過ぎた、そして今もっとも顔を合わせられない人の来訪に、紗月は心臓が止まりそうになる。
「龍斗君……私……」
半ば錯乱状態の紗月、そんな彼女に、龍斗はさらに驚愕の言葉を以って返す。
「気付いちゃったんだな」
限界まで眼を開き、紗月は振り返る。
「……知っていたの?」
頷く龍斗に、紗月は訴えるように問う。
「じゃあ……なんで……?」
慈愛に満ちた、柔らかい眼差しで紗月を落ち着かせながら龍斗は口を開いた。
「仕方なかったんだよ、そりゃ、最初に思い出した時は驚いたけど……」
コツン、と、自分と紗月の額を合わせる。
「紗月が親の仇だって解った時には、もう紗月のことを嫌いになんてなれなかった。それぐらい、俺は……」一呼吸置いて「紗月のことが、好きになっていたから」
溢れ出した涙の量は自分でも驚くぐらいに多くて、紗月は必死に声を絞り出した。
「わた……私も……龍斗君が好き……ずっと、ずっと前から、大好きだったよ……」
「紗月……」
気がつけば、二人は唇を重ね、舌を絡めていた。
お互いの心の隙間を、一つになることで埋めて、かつて心を壊しかけた少年と少女の心は今度こそ正常に、元気良く動き出した。
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