第41話 獣王
「アァァアアアアアッッ!!」
三人は自らの視覚情報に愕然となった。
おそらくは……史上初……人に暴虐される猛獣の図、この現実、この光景をどう理解すればいいのか、狂人ですら理解に苦しむ状況だ。
血を吐き、泣き叫んで許しを請う魔獣が動かなくなると興味を失ったのか、紗月はやおらグザイの方を向いて床を踏みしめた。
「駄目だ紗月!」
龍斗の足では間に合わない、魔速の勢いで迫り来る絶対的な暴の神にグザイは恐怖で顔を引きつらせて、紗月と自分の間の空間全てに限界量まで刃を出現させて抵抗する。
龍斗ですら側面から叩き割った刃の林に真っ向から肉迫する紗月、だが彼女の体に触れた刃はなんの抵抗もなく粉々に砕け散る。
紗月の結合破壊(アルム・ブレイカー)は手や足でのみ使える力、だが刃は紗月の顔面や胴体に当たる刃まで砕けている。
つまりは、なんの力も使わず、純粋な肉体強度だけで破壊していることになる。
中国拳法の木人の廊下よりもなお険しい、通る者全てをあらびき肉に変えてしまう剣林(けんりん)を草原と変わらぬ動作で疾駆する紗月の圧力にグザイは普段の余裕やプライドなどかなぐり捨てたように腰を抜かし、悲鳴を上げながら放射状に剣の刀身を召喚した。
全方位をくまなく覆った剣はさながら刃のドーム、それでも侵入者を許さぬ鉄壁の境界へ暴神は到達した。
剣の切っ先が紗月の顔や腹、太ももに直撃するも圧倒的な力の前になんの抗いもできずに情けなく折れてしまう。
刃でドーム状に覆われたせいで中の様子はわからない、だが龍斗達の耳は確かに断末魔の雄叫びを捕らえ、刃と刃の隙間からは噴水のような血飛沫が飛んだ。
間に合わなかったと龍斗が握り拳を震わせるとホール内の刃が砕けた物も含めて虚空へと掻き消える。
原型すら分からない血肉の中で佇む紗月は、右手に持っていた生首を投げ捨て、グザイの首が床に落ちる瞬間にシグマがそれを受け止める。
仲間の首に、やはりシグマは今まで通りの堅い表情のままに小声で何かを語りかけた。
言葉を返せないグザイを抱き、シグマは目を閉じた。
「紗月!」
龍斗の声に振り返った紗月の瞳は赤から黄色に戻っていた。
「龍斗君……私……」
「悪い、俺のカバーが間に合わなくって、お前に人を殺させてしまった。でもなんでここにいるん……だ……?」
その時、唖然とする紗月にまくしたてる龍斗の視界に、一人の女性が飛び込んできた。
紗月が入ってきたのと同じ廊下から入室した銀髪の女神、その金色の双眸と武神の黒い双眸が交わり、全身の筋肉が硬直して動かない龍斗を紗月の声が呼び覚ました。
「龍斗君、あの人が私を連れてきてくれたの」
「あいつが?」
薄っすらと笑みを浮かべてホールの惨状を眺める銀髪の女性、エバは呟いた。
「どうやら、お祭に出遅れたみたいね、それと私の期待はずれみたい……」
エバが不意に指を鳴らすとグザイの首から下だったであろう血肉がいっせいに燃え上がり、何秒も経たないうちに灰燼(かいじん)に帰した。
「これであとは首だけかしら?」
哀れみのない、常人には理解し得ない悦びを含んだ声に、シグマの瞳孔は開き、グザイの首を近くのテーブルに置いて言う。
「お前の抹殺命令は下っていない、だからシグマではなく、熱海(あつみ)亮介(りょうすけ)としてお前を討とう」
シグマの名を手にいれて、おそらくは初めて命令以外の戦闘をする前に、シグマこと亮介はキックボクシングのステップでエバに近づいてボクシング最速の技、左ジャブを顔面に放つが、その瞬間、亮介の目が驚愕に開かれたまま止まる。それどころか、彼の拳すら止まっている。
渾身の力を込めて放った突きが見えない壁にでも当たったようにエバの顔、五センチ手前で止まっているのである。
「そんなに私に触れたいの? じゃあ、どうぞ」
余裕に満ちた顔で鷹揚(おうよう)に手を差し伸べる白い細腕に亮介は掴みかかり、全力で熱を吸い上げようとする。なのに彼の手は一ジュール分のエネルギーも吸収できない。
そんな馬鹿な、と亮介の顔から血の気が失せ、ならばと今度は焼き殺すために、両手に二千度近い熱を集める。
それでもエバは火傷一つせずに、涼しい顔で亮介を眺めている。
まさかと思って近くの壁に手を付けるが、触れた壁はたちまちに融解し、溶けた建築材料が床を覆う。
自分の力が発動していないのではない、エバには力が通じていないのだと亮介は悟った次の瞬間、エバの口元がわずかに開く。
「一〇年前、貴方はキックボクサーに憧れながら幼馴染のグザイ、いえ、佐藤(さとう)里香(りか)に恋焦がれる少年だったわ」エバの言葉に亮介の表情が強張る。
「私は貴方が可愛かったのと貴方の気持ちが純粋すぎたのを理由に力をあげたわ、でも、貴方は自分のヒロインを守れなかった」
「貴様何を言って……」震える言葉を搾り出す亮介の胸にエバが手を当てる。
「わからない? ゲームオーバーなのよね、貴方」
目に見えぬ衝撃に亮介の体が吹き飛ばされ、グザイの首を置いたテーブルに直撃した。
グザイの首と一緒に転がる亮介の体は仰向けに倒れたまま動く気配はない。
彼は何故自分が死んだのか理解していないだろう。
だが、龍斗達もそれは同じ、とにかく、エバの目が赤く光った途端に亮介が何かに突き飛ばされたように弾け飛んだのだ。
それを見届けたエバは優美な足取りで龍斗に近づき、龍斗の前にいた紗月は自然と道を開けてしまう。
「久しぶりね、龍斗……」
生物というよりも、芸術品に近い美貌を飾る黄金の双眸が動いたのはその時だった。
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