第36話 女帝

 とあるビルの応接室に銀髪の少女が入室した。


 それは龍斗達と一緒にいるときには片鱗も見せなかった、とても厳しい表情をした鈴村真弥だった。


「よくきたね……真弥……」


 部屋で窓の外を眺めながら待っていた人物はゆっくりと振り返り、真弥を正面に捉える。


「警備用ロボットの歓迎はどうしたんだい?」

「警備用? 殺人用の間違いでしょう? それに、あんなの一万体いたって無いのと変わらないわ」


 男の低い、無機質な声に怖じることなく、真弥は警備の脆弱さを嘲笑った。


「そのとおりだよ、君が相手じゃ一軍が相手になっても勝てるわけが無い」


 声質こそ冷たいが、どこか柔らかみのある口調の男は部屋の中央のソファに座る。


 男はまだ二〇代半ばほどの若者だが、年に似つかわしくない冷厳な目が彼の人生がいかに辛く苦しいものだったかを語っている。


 だが、その瞳の奥からは、紛れもない情を感じられた。


 深緑色のスーツに黒いネクタイを締め、眼鏡をかけてはいるが、ツルは細く、レンズも薄いため、顔の一部のように彼に馴染んでいる。


「真弥、君は本当に変わらないね、私ばかりが大人になってしまって、去年の同窓会だって、君は来てくれなかった……」


「やめてくれる? あたしは別に昔話をしにきた訳じゃないの、それと、あたしを真弥って呼ぶのはやめて、貴方にその権利はないわ」


 男の言葉を一蹴する今の真弥に、少女のあどけなさは微塵も感じられず、毅然と話す態度は真弥の少女なりの美貌に凄味を帯びさせ、さながら女帝の貫禄をかもし出す。


 それでも男は一切の感情を見せないままに真弥をソファに座るよう促し、真弥はよりいっそう強く睨みを利かせてからソファに腰を下ろした。


「葛西(かさい)、あんな子供相手に、それも、あたしの子に手を出すなんて……正直、今までの蛮行はとてもじゃないけど、許せるものではないわ」

「昔のように、正治(せいじ)とは呼んでくれないんだね」

「貴方の名前なんて、呼びたくも無いわ、それより、あたしがここに来た理由は一つ、黒門会の殺戮者(カイン)達を開放し二度と関わらないこと、それが出来なければせめて龍斗君と紗月ちゃんに手を出すのだけでもやめてもらうわ」


 葛西(かさい)正治(せいじ)は姿勢を正して言葉を返した。


「私のような一社員にそれだけの権限があるとでも?」


 今度は真弥が返す番だった。

 冷笑を浮かべて葛西を見る女帝の口が開かれる。


「笑わせないでくれる? 黒門会に入社後、僅か五年で支社の副社長を任され、事実上、社員からの支持度で言えば社長を超えている貴方にどれほどの権限があると思っているの? つい先週も、ここの社長の代理で首脳会議に出て他の社長さん達から賞賛されたばかりでしょうに」

「いつもながら、どこで調べてくるのか知りたいよ」


 殺戮者(カイン)関連のことは複数の支社が分断して行っており、ここはその一つ、そこの副社長にして指示率の高さを考えれば、葛西正治の発言力は絶大なもののはずである。


「でも、私も一応サラリーマンだからね、上の指示には従わなければならないんだ。今まで同様、これからも水守龍斗を倒し、倉島紗月を捕獲する最善の策を以って相手をさせてもらうよ」

「言いなりってわけね……貴方も堕ちたものだわ、あたしは、貴方にそんなことを教えた覚えはないわ」

「ああ、今でも覚えているよ……どんなに辛くても、どんなに逃げたくても、自分がただこうありたいと信じたものだけは捨ててはいけない……忘れた日はただの一日もなかったよ……」

「ッッ!」


 真弥の瞳が黒のカラーコンタクト越しでもわかるほど紅く光り、同時に近くの子ダンスの上に飾っていた花瓶が、花ごと見えない力に押し潰されて、破片は一片残らずタンスにめり込んで、まるで最初からそういう模様だったように見えてしまう。


「じゃあなんで黒門会にいるの? なんで紗月ちゃんを狙う部隊に貴方が関わっているの? そんなに言うなら答えてみなさいよ……」


 真弥はあくまでも余裕を保とうとしてはいるが、その声は抑えようのない怒りでかすかに震えていた。


 葛西もあくまで冷静に、そして人形のような口ぶりで応える。


「これが私の信じたもの、こうありたいと信じた姿だからさ」


 ソファの身を預けていない部分が一瞬軋んだが真弥は血色の眼光を瞼で塞ぎ、それに合わせてソファの軋みもかき消えた。


 かぶりを振ってから、開かれた瞳はカラーコンタクトという仮面を被った黒に彩られている。


「どうやら話しても無駄のようね、失礼させてもらうわ」


 スッと立ち上がり、出口へ向かう華奢な背中を、葛西正治は名残惜しそうに見つめ、すぐに自身も立ち上がり歩みを進めた。


「最後に教えて、どうして黒門会は殺戮者(カイン)にこだわるの? 人間はそんなに力が欲しいの?」


 背を向けられたままに問われた葛西は少しの間を空けてから、呆れたように嘆息を漏らした。


「どうして? 一個大隊にも匹敵する戦闘力を持った無差別殺人鬼、いや、大量殺戮兵器が日本中を闊歩(かっぽ)しているんだ。大きな力は正しい知識を持った者が正しく導いてあげるべきだろう?」

「呪受者(カイン)は兵器なんかじゃないわ!」


 振り返り、強く言い放って真弥は視線を落とした。


「あの子達はね、みんな被害者なんだよ、望んだわけでもないのに……あんな力を持たされて、でもね、みんなまだ我慢の出来ない子供だから……力の使い方がわからない子供だから、力を持ってしまうと力に使われてしまう……あの子達に必要なのは殺人衝動を抑えるための戦場なんかじゃない、救いの場こそが必要なの」


 威圧感の衰えた少女に、葛西は横目で一瞥して目を細める。


「まるで聖母のような言い草だ……あれだけの人間を殺しておいてよく言えるね」

「ッッ……!」


 銀髪が風もなくなびき、黒い仮面を破った悪魔のような血色眼光は神威が如く威光で葛西を押し潰そうとする。


 一瞬で真弥の足元から葛西の足元までの床が陥没し、両者を隔てる空間は、一般人にも感じ取れる不可視の力の塊りが占領している。


「そんなにあたしを怒らせたい? 貴方も知っているでしょう? こんなビルの一つや二つ、かんたんに潰せるんだからね」


 人ならざる圧力に、葛西は眉一つ動かさずにしゃがみ込むと、すばやく手を突き出した。


「なっ!?」


 血色の瞳は消え、真弥は慌てて力を抑え込んだ。


 しかし、一瞬でも彼女の領域に侵入した葛西の右手は無残にも潰れかけ、皮膚などどこにもなく、赤いペンキにでも突っ込んだように真っ赤に染まり動く気配が無い。


 流石の葛西もこれには苦悶の表情を薄くだが浮かべる。


「正治! あんた何やってるのッ!?」

「呼んでくれたね……」

「あっ……」


 口ごもる真弥に、葛西は今日初めての笑みを見せる。


「私にはもう……君に触れることは叶わない、だから君の力にだけでも触れたかった」


 激痛という名の悲鳴を上げる右手を愛しむように眺める。


「……この手を……君との、せめてもの繋がりにしたかった」


 泣いていた。

 涙こそ流れていないが、確かに男の目は泣いている。

 その眼差しに真弥は一瞬気圧され、両拳を震わせながら背を向けた。


「バッカじゃないの!」


 不満を乗せた足音が退室してから葛西は受話器を取り、医療班を呼んだ。

 真弥がこの部屋にいた名残である潰れた花瓶と陥没した床、そして動かない右手を順番に眺めて呟く。


「真弥……君は間違っている……君では……」


 長い間と溜息の後に葛西は、虚空に向かって禁忌の名を口にした。


「エバには勝てない……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る