第33話 回想編5
「アァアアアアアッッ!!」
爆音と呼んで差し支えない咆哮は、聞いただけならその主をどんな化物だろうかと誰もが想像するだろう。
だが実際にその正体を見ている兵士はどう解釈すればいいのか、読んだ資料には超人的な身体能力と異能力を持った人間と記述されており、誰もこんな人の姿をした魔獣とは聞いていない、悲鳴にも似た声を張り上げながら撃ち続けた弾丸は全て紗月の肉体に直撃してはアザも作れず弾かれ続ける。
自分の体がいつ爆ぜたのか、意識はどこまであったのか、それすらもわからず兵士達は散っていった。
両足を失い、這って逃げる最後の一人に紗月が迫ると、誰かが彼女を抱き抱えた。
「こんなことしちゃ駄目だ……」
紗月をつかんでいたのは龍斗だ。目に涙を浮かべながらこれ以上人殺しをさせまいと必死に彼女の体を抑えるが圧倒的な力に投げ飛ばされ、その間に兵士は殺された。
いつのまにか紗月に馬乗りにされた龍斗は思った。
カインになった時に頭を支配したあの声に、きっと紗月は負けたのだと、紗月は一生懸命に抑えようとしていた。
優しい紗月が、こんなにも華奢で小さな女の子がしたくもない殺戮を繰り返さねばならない、そう考えただけで流れる涙の量は増え続ける。
自分を見下ろす紅い双眸に笑いかけたまま、憐憫(れんびん)を含んだ声を出した。
「いいよ……紗月ちゃんになら……殺されても……」
一撃の元に龍斗の心臓は潰された。
兵士たちの血に龍斗の鮮血が上塗りされて、紗月の瞳が赤みを徐々に失い、元の黄色に戻っていく、一緒に息も落ち着き、悪鬼のように歪んでいた顔も可愛らしい少女の顔になるが、今度はその表情が悲しみに歪む。
龍斗は放心状態の紗月に語りかけようとしたが、廊下の奥から集まってくる兵士達の姿を発見し、歯噛みをしながら起き上がって紗月を連れ厨房まで行く。
そして、そこでとある仕掛けをしてから窓を開け外へ出た。
ただし、紗月はマトモに思考が働く状態ではなかったので、龍斗が彼女を抱えて窓から飛び出す形となる。
二人の後を追って兵士が厨房に詰め掛ける。
その中で兵士達はすでに逃亡済みの二人の代わりにあるものを発見した。
中央のテーブルの上で起動する四つの電子レンジ、兵達が確認出来たのはその中がスプレー缶だという所まで、あとは厨房の外の廊下で待っていた兵士ごと爆炎に巻き込まれて運の悪い者は死に、運の良い者は気を失うに止まるが、それでも重症であるには違いない。
厨房には調理用の油があったし、外にはガスボンベがあった。
さらにこの孤児院自体の建設にコンクリートだけではなく、木材も豊富に使われていたことが重なって、炎は施設全体に燃え広がっていった。
深夜の闇を、天上からは月の光、地上からは天に突き上げるような炎の赤い光が照らす。
黒煙を吐き出し燃え続ける、自分達の家だった物を丘の上から眼下に見据え、龍斗と紗月は静かに、自分達の存在が周りに迷惑をかけたことを悟った。
――あそこは腐りきっていた――
ただ機械的に子供の世話をする大人達に自分達を蔑(さげす)み陰口を言う子供達、それでも、彼らが死ぬべきだったかと聞かれれば返答に困ってしまう。
巨大な炎の世界を見守る龍斗の黒い双眸が真正の漆黒に染まり、光に背を向けて紗月の手を握った。
「逃げよう……紗月……」
大人びた声で手を引くが、紗月の足は鉛のように重く、決して動こうとはしなかった。
「どうしたの、追手が来ないうちに行くよ」
酷く落ち着いた声に、紗月の総身は震え上がった。
〈行くよ〉それはもっとも嬉しい言葉のはずなのに、一番言って欲しくない言葉でもあり、ソレに対して紗月は壊れた蛇口のように涙を溢れさせた。
「なんで……? なんでそんなふうに言ってくれるの?」
振り返り龍斗と視線を合わせて叫ぶ。
「さっきの見たでしょ! あれが私なのッ! 私は龍斗君と違って殺人衝動があるの、どうしても抑えられないの! それに今回のことだって、あの人達は私しか狙っていなかった! ……私なんかといても龍斗君幸せになれないよぉっ!」
長い、あまりに長い沈黙の後に、泣きじゃくる紗月の肩へ柔らかく龍斗の両手が乗せられた。
「それじゃあ僕はまた一人だ……」
涙を拭って、歪んだ視界を回復させると龍斗は笑っていた。
「父さんと母さんが死んで、あの孤児院に送られて……ずっと独りだった。もうあんな思いはしたくないんだよ……」
数秒前までは大人びていた龍斗の顔に、再び幼さが戻っている。
その表情に驚きながら、紗月は龍斗に悲しげな眼差しを向け続ける。
「でも……私と一緒にいたら……」
「それでも構わないよ……何度殺されたって構わない、だから……僕の家族になって欲しい……それとも、紗月は僕のことが嫌いになった?」
あの夜、龍斗は全てを失った。
最愛の両親だけではない、子供らしい生活や友人といった。ありとあらゆる希望を奪い尽くされ、もはや人間として正常な精神活動すら危うくなった。
それを救ってくれたのが紗月に他ならない、紗月が壊れそうな自分を抱きしめてくれたから、紗月が一緒にいてくれたから、紗月と一緒に過ごした数ヶ月の間に決めた。
神様が与えてくれた新しい家族を、この少女だけは何があっても自分で守り通すと。
龍斗の問いを引き金に、紗月は限りない歓喜の涙で顔を濡らして龍斗にしがみつくように抱きついた。
「龍斗君! そんなことないよ、ずっと……ずっと一緒にいたい、龍斗君と一緒にいたいよぉ……私も独りは寂しいよ……私には龍斗君が必要なの! だから……お願いだから……私の側にいて……」
最後のほうはもう、声が掠れ、一番近くにいる龍斗にしか聞き取れないものだった。
今にも崩れそうな紗月を包み込んで、龍斗は何度も頷き、二人は強く抱き締め合った。
互いに人であり人ではなく……
互いが唯一の家族であり一番大切な存在で……
唯一自分を必要としてくれる人だから……
唯一自分を守ってくれる人だから……
生きよう、この人のために……
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