第32話 回想編4


 龍斗がカインになった日からの生活は、今までの孤児院生活と比べなくても夢のような毎日だった。


 自分の体のことを打ち明けると紗月はそれに共感してか、今まで以上に龍斗と一緒にいたがったし、口数も増えて、彼の前では時々かわいい笑顔を見せてもくれた。


 空を見上げて呆けていた時間も、二人だけで昆虫採集や川での水遊びに取って代わった。


 力があっても引っ込み思案でおとなしい紗月は何度も虐めのターゲットにされたが、龍斗は大人のいない時に石を握り潰し、工作用カッターの刃を口の中で噛み砕いて吐き出すなどのパフォーマンスで周囲の子供達を威嚇し、おかげで紗月を虐めている連中も龍斗が来るや否や蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


 当然ことながら龍斗と一緒にいる時は誰も虐めないので、紗月は龍斗と一緒にいる時間がますます増え、龍斗もそんな紗月を喜んで迎え、二人はまさに何をするにも一緒にいる関係になっていった。


 二人の顔には日に日に笑顔が戻り、そんな二人を冷やかす連中もいたが、龍斗はそんなのは全然気にならなかったし、そういった時はいつも自分の横で恥じらう紗月の手を取ってその場を離れてやり過ごした。


 だから二人ともこんな日がずっと続けばいいと思い、残りの五年と半年の孤児院生活はきっと楽しいものになると信じていた。


 だが、夏も終盤にさしかかり、照り付ける太陽がその弱まりを見せた日の晩、龍斗はけたたましい銃撃音で目を覚ました。


「よし、女部屋に行くぞ」

『了解』


 短い会話の後に人の気配が消える。


 それどころか寝る前にあった気配すらない、起き上がり部屋の電気を点けて理解したのは、総身を覆う生暖かいものの正体が大量の血液であること、視界を独占するのは男子達の血肉の海、赤い、底無しに紅い世界は両親のときの比ではない、自分と違い、ただの人間であるクラスメイトは鉄の雨に耐え切れなかったのだろう。


 両親の死んだ光景がフラッシュバックするが、今まで紗月と積んできた思い出が支えてくれた。やや息を荒げて立ち上がる。


 敵の目的はわからないが女部屋に行くということは紗月も銃弾に晒されてしまう。

 彼女もカインである以上、怪我はしないだろうが痛い思いはさせたくない、龍斗は教室を飛び出して女部屋に向かう。


 この超人的な力があれば負ける気はしない、今ならば熊だろうが戦車だろうが一撃で葬る自信があった。


 子供の、フォームも何もないメチャクチャな走り方は廊下の床をことごとく踏み砕き、さきほど男部屋を出て行った黒いコスチュームに身を包んだ武装集団も後ろを振り返った。


 轟音を纏い突貫する少年の姿に全員の顔が青ざめた。


 黒いレンズのヘルメットのせいで顔は見えないがその下に潜んでいる顔は間違いなく驚き目を見開いている。


「って、あれカインだよな?」

「報告じゃカインは一人じゃなかったか? 女の子の……」

「書類ミスか? ええいとにかく撃て!」

『了解』


 黒い兵達の銃撃の嵐に真っ向から突っ込む龍斗、例えマシンガンやショットガンでも傷つかない体は鉄の雨をことごとく弾き返し、突き進む。


 その光景に畏怖した兵達は反応が遅れ、怒りに身を任せて振るわれた龍斗の拳に誰一人として防御行動を取れずに骸へ変わっていく。


 何の武も持たない子供の龍斗に、死なない程度など分かるわけもなかったのだ。


 内臓を撒き散らして死んだ兵士に龍斗は何の関心も抱かず駆けた。


 すると、何秒もしないうちに暗闇の中からこちらに向かって走ってくる紗月の姿が目に飛び込んでくる。


「紗月ちゃん?」

「龍斗くん!」


 立ち止まる龍斗に抱きつき、紗月は半泣きの状態でまくし立てる。


「あのね、急に黒い人達が来て、みっ……みんな撃ち殺されてね……」

「えっ!? 紗月ちゃんは撃たれなかったの?」

「うん、わたしだけ起こされて捕まっちゃったんだけど、力任せに投げて逃げてきたの」


 何故紗月だけ捕まえようとしたのか、疑問は残るが今はこの場をやり過ごすのが先決だと龍斗は紗月の手を取って走り出した。


「ったく、なんなんだよあいつら、とにかくどこかに隠れて、それより警察かな……」


 と、そこまで言って紗月の異変に気づく。


 息が変に荒く、瞳孔が開き、何かの禁断症状のように総身が小刻みに震えている。


「どうしたの紗月ちゃん、どっか辛いの?」


 心配する龍斗に紗月は何かに怯えるような声を絞り出した。


「ちが、違うの、くるの……来ちゃうの!」

「え?」


 わけのわからない返答に首を傾げると廊下の曲がり角から次々に黒い兵士が姿を現して「目標発見」と繰り返す。


 全員が射撃体勢に入り、龍斗は咄嗟に紗月を抱きしめ、庇うようにして兵士達に背を向けた。


 轟く銃撃音と鼻をつく硝煙の匂い、薬莢の落ちる音が止むと紗月は思わず閉じてしまった瞼をゆっくりと開ける。


「……紗月ちゃん、ケガはない?」


 おそらく、今彼らが使用したのはカイン戦を想定した対戦車武器か何かだったのだろう痛みに耐えながらも優しく笑いかけてくれる龍斗の足元が血に濡れていた。


「龍斗くん、ケガ!」

「大丈夫、僕の力は知っているでしょ? こんなのへっちゃらさ……紗月ちゃん?」


 紗月の息がさらに乱れる。

 明らかな過呼吸だ、まるで何かを抑えるように歯を食い縛り、涙を流して叫んだ。


「龍斗くん離れてッ!」


 紗月はいきなり龍斗を横に突き飛ばすと兵達に向かって走り出す。


 今までは山を降り、村で龍斗には内緒で処理していた衝動はもう抑えられなかった。


 徐々に遠ざかる小さな背中を龍斗は凝視する。


 小さくなっていくはずの紗月の背中が大きく見える、何よりも背中越しでも伝わる殺気に背筋が震えた。


 そして、当の紗月本人は悔しくて仕方が無かった。


 一歩進むごとに熱くなる体に……

 一歩進むごとに滾る血に……

 一歩進むごとに狂気していく自分の心に……


 ああ……どうしてこんなにも人を……殺したいのだろう……


「アァアアアアアッッ!!」

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