第31話 回想編3


 その夜、水守龍斗は黒い空間にいた。暗い、というわけではなさそうだ。


 自分の体は見える。両手を視界に捉えてから周囲に目を向ける。


 誰かいないか呼びかけても返事や反響音はない、まるで異空間にでも閉じ込められたような感覚だが、人の気配に後ろを振り返った。


「!?」


 龍斗は絶句した。白い人が立っている。


 銀色の髪と金色の瞳を輝かせて、艶やかに笑うその女性は女神のような神々しい美しさと悪魔のような魔性の美しさを共存させて近づき、ややかがんで龍斗の顔と向き合う。


 金色の瞳は血のように赤い、真紅の瞳に変わった。


 紅い双眸と黒い双眸が互いを見合う、吸い込まれそうな赤い眼光に、心臓が早鐘のように鳴って背中にうっすらと汗をかいた。


「フフ、可愛い、私が欲しいくらいね……それと、貴方は特別……」


 涼しげな声を理解する間もなく息が止まる、いや、止められた。

 彼女の唇が龍斗の口を塞ぎ、口の中で舌が絡む。


「っっ!?」


 羞恥で染まった顔は互いの口が離れても戻らず、白い手が龍斗の頭を撫でる。


「じゃあ、お願いね」


 龍斗の額を指先でチョンとつつくと、そう言い残して彼女は足元から消えてしまった。


 ただ、つつかれたというよりも完全に指先が額を突き通って脳にまで達したように感じたのは気のせいだろうと信じて佇む龍斗を、次の瞬間に強烈な思念が襲った。


「あああぁァアアあああッ!!」


 精神の根元を侵される感覚に絶叫するが思念はなおも浸食を続ける。


 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ、全ての人間を殺せ、逆らう者を殺せ、殺戮し虐殺し殴殺し撲殺させ圧死させ斬り殺し悶え殺し射殺し突き殺せ、抉って潰して千切って嬲って痛ぶって燃やして裂いて壊して暴虐し蹂躙し尽くして全ての内臓をその目に焼き付けろ。


 やめてくれ


 お前は最高のモノを持っている、この力で最高の存在になる。


 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ飽くまで殺せ、飽きても殺せ、万人全てを殺して命を捧げろ。


 助けてくれ


 さあ、力を発現させてなるがいいッ! 呪いを受けし存在、カインにっ! 最強の殺戮者にっ! さあなるのだ、殺戮者(カイン)にッッ!!


 膨大な知識が無理矢理頭に叩き込まれた。自らの体や能力の特性、その限界。


「うあぁあああああ!」


 飛び起きるといつもどおり、みんなと一緒の部屋で寝ていた。周囲は暗いが月明かりがあるうえに周り同様、自分の腕も暗く見える。


 安堵して胸を撫で下ろすと全身は大量の汗をかいていた。夏の暑さもあるがこれほど冷たい汗は初めてだった。


 自分の叫び声に誰も起きない鈍感さに呆れつつ、龍斗は部屋を出て外の蛇口へと向かう。



 孤児院の裏の地面から直接生えている蛇口は、あらゆる雑用を押し付けられた龍斗だから発見できた物で、他の子はこれの存在を知らない、地下数百メートルの水脈と繋がる水道からは孤児院内の水道とは比べ物にならないほど冷たくて気持ち良い水が与えられる。


 一日中日陰になっているということもあり、教室ではなく、ここで呆けて座っている時もあった。もちろん紗月も一緒にである。


 あの時、今のように心がちゃんと動いてくれていれば、少しは楽しい時間になっただろうかと考えながら、二〇世紀の匂いが強く残っている蛇口の口を上げて、頂点が三つある取っ手を反時計回りにひねり全身に冷えた地下水を浴びると大きな息を吐き出した。


 安心したのもつかの間、背後に広がっている森林の木々が気になる。


 さっきのことは夢だと割り切ったつもりでいたが、あれほど強い刺激をそうそう忘れられるはずもない、それに、あれは夢とは明らかに違った。


 現実の世界とも、夢の世界とも違う、感じたことのない第三の感覚、在り得ないとかぶりを振りつつも、足は少し太めの樹木へ向かっている。


もしもあれが現実ならば、と意を決して出血覚悟の突きを樹に見舞った。


「っっ!?」


 信じられない結果だった。


 一〇歳の少年の放った拳が大木を貫通するなど、どうやって理解しろと言うのだ。


 さすがに鋼の皮膚と言うだけあり、樹木との強い摩擦に手はかすり傷一つ負っていない。


 これでは無限瞬速再生(アンリミテッド・リボルス)とやらの力が証明できないが、自らが穿った穴に視線を移した。


 倒れないよう端を殴り、向かって左端が抉れた樹は今のところ倒れる様子はないが、何度も揺すっていれば倒木になってしまうかもしれない、この力だけでも十分化け物みたいだと思い、なくなった手足が生えてくる自分の姿を想像して、あまり見たい光景じゃないなと苦笑し、唯一自分を見守る月を仰ぎ見た。


「もしかして……」


 無傷の右拳を今一度見て気付く、極端に頑丈な肉体、これはまるで……


「そっか、紗月ちゃんも……」


 何故彼女がいくら叩かれても無傷でいられたか、昼間は抱かれた嬉しさで失念していたが、きっと紗月も自分と同じ力を持った人間、カインなのだろう。


 ならば彼女を理解してやれるのは自分だけだ、彼女を守れるのも自分だけだ、何よりも彼女は今この世界で唯一自分の側にいてくれる存在だと龍斗は確信する。


 確かに、この力のことはまだ半信半疑だ。


 明日の朝起きたら実はこれは夢で全部無かったことになっているかもしれない、しかし龍斗は紗月との接点である力を、できれば現実だと信じたいと願い月を仰ぎ見る。


 月光を浴びるその黒い双眸には、強い希望が宿っていた。


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