第30話 回想編2

 少女の名は倉島(くらしま)紗月(さつき)、ようするに、彼女は孤児院のお荷物であった。


 新入生が馴染まないのは当然だが、周囲は年端も行かぬ子供達、中には人なつっこい子や、新しい仲間を珍しがって色々と話し掛ける子がいるはずである。


 しかし、この孤児院で彼女に話し掛ける子はいなかった。


 両親を失ったせいで性格の暗くなった子はたくさんいる、だがそれは皆同じ、むしろ同じ親無しどうしという環境は、心理学的に言えば友好が深まる条件である。


 原因は彼女の放つ気にあった。全身に纏う暗鬱な気配は、まるで世界全ての不幸で武装した魔女のようで、恐ろしいものを感じさせる。


 普通の子供だったならただの暗い子で終ったのに、灰色の髪と黄色い瞳のせいで子供達には彼女が本物の魔女に見えた。


 孤児院という肩書き上、大人達が無機質にやっている遊びも、紗月とペアを組まされた子供は断固として言うことを聞かないし、虐めっ子連中はいいカモだとばかりに彼女に辛く当たった。


 問題児を増長させ、院内の和を乱す彼女を新人に押し付けてしまおうという刹那的な考えに、龍斗は黙って従った。


 子供でも疑問を持ちそうなことに龍斗は何も言わない、もとより理不尽なことを言われたからといってそれに反抗するような気力すらなかったのだ。


 周囲の大人達を和ませてきた無垢な笑顔は見る影も無く、喜怒哀楽の豊かな表情を作ってきた顔は何が起ころうとも眉一つ動かすことが無く、何処までも深く、冷えて枯れ切った眼は地獄に落ちた亡者のようだった。


 誰もが避ける紗月の容姿にも、龍斗はただ珍しい髪と瞳の色だということ意外には着目もせず、彼女の雰囲気にもなんの感慨も抱かなかった。


 作動不良を起こしている心は与えられた指示をフリーパスで受け入れ、自動人形のように動くこと一ヶ月、紗月と一緒に無感動のまま遊びと言う名詞を持った動作をして、掃除をして、皆が好きに遊んでいる自由時間は、紗月と同様、教室の硬い椅子に力なく座り、ラクガキだらけの黒板か外を眺め続けた。


 ある日の昼頃、いつもどおり教室で呆けていると、機械でいう誤作動のようなきまぐれで龍斗は席を立ってその場を離れた。


 一瞬、紗月が何かを呟いたように聞こえたが、わざわざ何か言ったかと聞き返すだけの余裕は持ち合わせていない。数分後、気まぐれで出て行ったはずなのに、龍斗はまた教室に戻って、紗月の横に無言で座った。


 誤作動で出て行ったのだから、わざわざ戻ってきたのもきっと誤作動だと、自分にはそう言い含めて消化した。





 季節は夏、人気の無い山だけにセミがやたらと鳴いている。


 じりじりと痛いくらいに照り付ける日差しの下でも、広大な山の緑が熱を吸収してくれるおかげで、日の光は暑いが気温自体はさして高くもならず。子供達は過ごしやすい夏を満喫していた。


 過半数の子供がセミを取りに行ってから、龍斗は押し付けられた雑用を済ませ、金属製のバケツを片手に回廊を通って教室へ戻ると、室内から複数の子供の声が聞こえる。


 子供ながらも下卑た笑い声は明確に声の主を物語っていた。


 戸を開ければ、いつもどおりの面々がいつもどおりの表情でいつもどおりに紗月を虐待していた。


 その様子にさして感心も示さず、これまたいつもどおりに椅子に座って空でも見ようと歩みを進める。


 数人の男子に回転箒の柄で叩きのめされながら涙も流さない紗月の目が、救いを求めるように感じたが、それは自分に対してのモノだったのか……


 龍斗はそこで矛盾に気付く、感じた? いつから感じた? 自分の心はとうに潰れたはずだ。構想、感想、予想、いずれもありえない、いや、今こうして思考が……どうして?なんで? 湧き上る疑問とそれにより生じる当惑に意識が支配されて何かが入ってくる。


「……やめろ」


 気付いたときには止めていた。数秒の間、意識が飛んでいたようだ。


 自分の座る椅子を捕らえていた視界が、テレビのチャンネルを変えたように突然男子の顔に代わった。


 これは、ズレた歯車のせいで動かなかった機械が何かしらの衝撃で偶然正しい位置に移動し、機械が動き始めるのに似ているのかもしれない。


 予測外の出来事に男子達は回転箒を止めて龍斗の顔に視線を集める。


「はぁ? どうしたんだよ水守? いつもは無視してるくせに」

「正義の味方でも気取ってんじゃないの?」

「それとも一緒にいるうちにこいつのことが好きになったとか?」

「あっ、それマジでウケる」


 一斉に爆笑する男子達の顔に黒い双眸が集中する。


「なんでこんなことをするんだよ…………」


 本当に、自分が何故こんなことを言っているのか分からない、心底自問する龍斗に男子達は物でも見るような視線と仕草で紗月を指した。


「だってそいつ本物の魔女なんだぜ」

「魔女?」


 龍斗の問いに隣の男子が応える。


「そいついくら殴ってもケガしないんだよ、そんなの人間じゃねえだろ?」


 振り返って見ると、散々叩かれ、殴られ、突き飛ばされた紗月の腕や足、顔には出血はおろか、かすり傷すらついてはいなかった。明らかに異常だ。


「………………」


 黙って紗月を見下ろす龍斗、その視線に紗月は面を伏せ、男子達は龍斗の反応を期待してニヤニヤと笑いながら汚れた目で眺める。

 しかし、龍斗は再び男子達を見据えて言った。


「だからどうしたんだ……それが殴る理由になるのか?」


 鋭い眼光に毅然とした態度は、一〇歳の少年としては異例の強さを持っていた。

 それでも、集団の強さというものだろうか、一瞬怯んだように見えた男子の一人が龍斗の髪をわしづかみにして無理に声を張り上げる。


「なっ、なんだよ水守! てめえ魔女の仲間か!? だったらぶっ殺すぞ!」


 今の一言が効いた。


 歯車が正しい位置に戻り、ぎこちなく動いていた機械のクランクやゼンマイを無理矢理回すように、ロクに使いもしなかったくせに強引に働かされた歯車は強烈な摩擦で自身を傷めながら高速作動を行い少年の脳を揺さぶる。


 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺その結果にあるのは死、死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死動けなくなって考えられなくなって喋られなくなって会えなくなって冷たくなって……それは……


 痛い、思い出すな、やめてくれ。


 自分で自分に懇願しても止まらない脳がフラッシュバックして自身に見せた映像は赤い道路に倒れて動かない、赤い二人の人間、色鮮やかに思い起こされたのは死んだ親の光景。


 無理が続いたせいで、龍斗の歯車がギシリと音を立てて軋んだ。


 途端に膝を着き、飛び出さんばかりに目を開いて両手を振るわせる龍斗に男子達は不気味さのあまり小さな悲鳴を漏らして下がった。


「なっ、なんだよこいつ」

「気持ち悪……」

「なあ、俺たちもセミ取りに行こうぜ」

「そうだな」


 多様な反応を見せながら、男子達は慌てて教室を出て行った。


 その後も龍斗の体は戻らない、過呼吸が始まり、全身で荒い息をしながら天井まで視線が上がり、やがて上半身が後ろに倒れそうになった。


「……!?」


 背中に温かいものを感じて体の傾きが止まる。


 分解寸前の機械人形に初めての潤滑油が流し込まれた瞬間だった。


 倒れそうになった少年の背を抱き止め、紗月は孤児院に来て初めて涙を流していた。


 暴虐されようと、蔑まれようと、決して流すことの無かった涙の量は彼女自身でもいつになったら止まるのかもわからず、自然と言葉を龍斗に向けていた。


「あ……ありが……とう……」


 気がつけば龍斗も泣いていた。孤児院に来て二ヶ月程度しか経っていないのに、まるで何年も泣いていなかったような気がした。


 熱い涙と一緒に溢れ出す多幸感の源を背に受けて、少年の心は今、再生を始めた。

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