第29話 回想編1


 二〇六〇年、暖かな月光に見守られながら、水守(みなもり)龍斗(りゅうと)は天上に煌く星達に興奮していた。


「おかあさーん、見て見てー、星があんなに近いよー」


 はしゃぐ我が子に両親は優しく笑う。


 普段なら呆れてしまう、一〇歳で未だにサンタを信じているほど幼稚な姿も、今の状況ではひたすら可愛く見える。


 つい先ほど、街中が謎の大停電にみまわれ、暗くて恐いと泣く息子のために父が考案したのが夜の散歩であった。


 外の様子は父の思惑通りで、人工の光が立ち去り、自然の優美なる月光と星の輝きに満たされた街は、普段の硬い雰囲気とは違い、まるでおとぎの国に来たような錯覚さえする。


 甘えん坊で、誰にでも優しくて、いつも笑顔が絶えず、小学校に入学したばかりの頃と大して精神的進歩のない少年は、背後に両親のぬくもりを感じながら走り出すと不意に角を右に曲がった。


 見る方角を変えると、そこには月こそないものの、数多くの一等星や二等星がここぞとばかりに光り、少年を魅了した。


 日頃は元気な電気の明りがまた点いても、自分達の姿を忘れるなと、星達が偉そうに語りかけているようで、龍斗はなんだかおかしかった。


「おとーさん、おかーさん、ねえ見て……」


 後ろに両親はいなかった。


 ずっと自分の後ろに付いて来ているものだとばかり思っていた少年にとって、それは不意討ちだった。


 しかし運命の女神は無垢な少年をさらなる追い討ちで突き刺した。


「どうしたのおかーさん、ねえ見て……よ……」


 曲がった角を戻り、両親がいるはずの場所に目をやって、一瞬だけ思考が止まった。


 赤い……理解が及ばなかった。


 周りに散乱する肉片……その正体を考えられなかった。


 両親がいない……何処? 誰に問えば教えてくれるだろう。


 かろうじてヒトガタと解釈できるモノが両親であろうと龍斗の脳は解釈する。


 道の真ん中で動かない両親のさらに奥に、別のヒトガタを見つけ、視線を上げる。


 そこにいたのは、バケモノだった。


 いや、正確には両親を殺した犯人だったのだろうが、ソレが放つ破格の恐怖と威光を、少年の幼い思考力では消化できず、漠然とそういう解釈をしてしまう。


 血に飢えた殺人鬼の双眸に射抜かれ、全身の筋肉が固まったような気がした。


 徐々に近づいてくるソレへの情念が絶頂に達したとき、龍斗はとめどない涙と一緒に有らん限りの悲鳴を吐き出し、視界が消えた。





 意識が覚醒したとき、視界に広がっているのは、血肉の海でも、バケモノでも、まして輝く星空などではなく、ただの白い天井だった。


 焦点の定まらない目でいくら見ても、それはどこまでも白い天井で、それ以上でも以下でもなかった。


 横で誰かが喋っているがそんなことはどうでもいい、なぜどうでもいい? なにがどうでもいい? そう自問する気力すらなかった。


 冷たい体は、かろうじて自分がベッドに寝ているということだけを教えてくれるが、それすら興味が無い。いや、自分の状態そのものに興味が無いのだろう。


 今度は隣から男性の、さっきよりもはっきりとした声が聞こえる、多分、医者か何かだろう。


 あれから二日経ったとか、両親は交通事故で死んだとか、ここは街の病院だなどと言っている。


 交通事故、あれはそんな生易しいものじゃない、何故この大人が自分に嘘を吹き込むのか、マトモな精神なら疑問に思い、問いただしただろうが、龍斗はそれを聞き流した。


 虚ろな眼差しで白い天井を見上げる少年に対して、今はゆっくり休むよう言い、それを最後に聴覚は捉える対象を失った。


 その後、両親が駆け落ち結婚だったため、彼を引き取ると名乗る親戚は現れず、天涯孤独も同然になった龍斗の孤児院行きが決まった。






 最初から外傷などなかった龍斗は三日後、すぐに退院して孤児院へと送られた。


 数時間歩き、ふもとの村まで降りても一日一本しかバスが通っていないという、人里離れた山中にその施設、通称、緑の孤児院はあった。


 元は未知の病原菌の感染を防ぐために、治療法の無い奇病にかかった者達を収容しておくのに作られたらしい、だが実際に収容されていた人達の病気は他者に感染するようなものではなく、まだ知識のない時代の研究員達が解明の出来ない病に対して抱いた恐怖心が作り出した悲劇の施設である。


 医学が進歩し、病人達を収容する必要性が無くなり孤児院に作り変えたらしいが、いくら言いがかりとはいえ数多の病人達を収容し、苦しめてきた場所を孤児の収容施設にするなど、どんな神経の持ち主ならできるのだろうかと思う者も少なくは無い。


 また、そこに収容される子供は誰もが絶望だけを背負っていた。


 子供を育てられないから一時的に預けておくのではなく、両親に邪魔だと捨てられたり龍斗のように天涯孤独となった。つまりは、絶対に親が迎えにきてくれないという保障をつけられた子供が集まる場所だった。


 先生が龍斗のことをみんなに紹介するが、龍斗はろくに自己紹介もせず。暗く淀んだ黒い双眸で周囲の子供達を眺める。


 全てが彼にとってはどうでもいい存在、興味の無い存在……しかし、龍斗の視界に一人の少女が入ると、焦点が自然と彼女に合った。


 灰色の髪、鏡で見たときの自分と同じ、絶望しか見えない虚ろな瞳は黄色く、最初は日本人かどうか疑いを持つ。


 だが彼女が漂わせる言いようの無い寂しげな雰囲気のせいで、人種ではなく病気のせいで変色したと結論づけてしまう。


 龍斗の視線に気付いた先生は、彼女のことを説明してやる。


 どうやら彼女も龍斗と同じ新人で三日前に来たばかりらしい。


 新人同士仲良くしてあげるよう言うが普通は逆だ。新しく入った者こそ、この孤児院のことを知らないのだから、長くいる子から物事を教わらなくてはならない。


 張り付いた作り笑いで頼む大人が龍斗に何故そんなことを言うのか、それはすぐに龍斗の知るところとなった。

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