第9話 格闘無双


「ヒッ! なな、なんで!? どうして!?」


 恐怖に顔を歪ませて後ずさる江口はハタとして告げる。


「まさか、お前の能力は肉体強化か? そっ、それなら俺の甲虫で貫けないのも……」


 例え自分の力が負けても相手の能力をみごと推理するという事実で少しでも精神的ダメージを軽減しようという腹だろう、しかし、一人納得する江口に龍斗はそれすら許さない。


「寝ぼけるな、俺はまだ異能を使っちゃいない、ただ降りかかる火の粉を払っただけだ」


 肉体強化ではない、龍斗の言葉に江口が笑う。


「なんだ、じゃあ当たれば殺せるな」


 刹那、龍斗の後ろ回し蹴りが大鎌の如く真一文字に最後の甲虫三匹の命を刈り取った。


 万が一に備えて天井から密かに背後を取らせた奥の手だったが、その程度の秘策で不意討てるほど龍斗の感覚は鈍くない。


「……!?」


 絶句する江口に漆黒の双眸(そうぼう)が突き刺さる。


「努力をしても報われない、それが本当ならお前は哀れむべき存在だ、でもな、だからといって他人を殺していい理由にはならない……覚悟は出来ているか?」

「あぐっ……」


 自分を支えてきた。守ってきたはずの鎧を剥がされ、恐怖と絶望の色を浮かべ、目に涙を溢れさせて江口は下がる。


「くそう、なんでだ、水守、なんでお前はいつも俺の前にいる!? なんの努力もしてないくせに、ただ毎日遊んでいるだけのくせに……」

「それはお前の妄想だ……この虫野郎ッ!」


 冷徹な怒声を浴びせて龍斗の体が一瞬で江口との距離を詰め、弾丸が如く床を踏み鳴らす脚の力を乗せて鋼のような拳が江口の薄い胸板を穿った。


 完璧なまわし受け、数百の虫全てを砕く手捌(てさば)きに今の一撃で江口は悟った。


 龍斗は遊んでなどいなかった。そうだ、ただ龍斗を怨む理由が欲しくて、自分の見ていないところでは遊んでいるに違いないと、そう信じたかった。龍斗の言うとおりだ、なんの努力も無しに幸せを掴み取っているなんて、自分の妄想でしかない……


 粉々に砕け散った肋骨が肺や心臓に深々と突き刺さり、意識が跳びそうな激痛に支配され、呼吸をするだけでその痛みが倍化する。


 裂けた心臓が血液を溜めておけずに辺りの床を濡らし、自分が殺した人間達の血肉と混ざる。


 もう、超人(カイン)の生命力を以ってしても助かる要素はなかった。


 痛みが強すぎて気絶することすらできない、秒読みの余命も死の苦しみに満たされては気が遠くなるほど長く感じられた。


 足元で悶える羽を失った羽虫を見下ろし、龍斗は淡白な声をかけた。


「よかったな、たくさんの人がお前の来訪を心待ちにしているぞ」

「……あぐぁ……」


 自分を待ってくれる人、そんな人間が何処に? 心の内で問う江口に冷酷な唇は告げる。


「あの世でお前の被害者達が待っている」

「ッッ!?」


 自分の周りを、多くの人影が囲い、こちらに手を伸ばしてくる。


 徐々に色と厚みをつけていく中には、かつてのクラスメイトがいた。同じ塾生がいた。街で殺した不良達もいた。全員の顔に見覚えがあった。


 苦悶の表情のままに死んだはずの人間全てが恨みを晴らせるという歓喜の笑みを浮かべて自分に語りかける。


「早く来い」と「歓迎する」と、それら全員に体をつかまれ地の底に飲み込まれる感覚に江口は思わず龍斗に手を伸ばして助けを請うが、どの影よりも黒い青年がそれに応じることはなかった。


「ああああぁあアアアァあああああァ……ッ!!」


 死ぬ瞬間まで断末魔の声を上げ続けて動かなくなるクラスメイトに、龍斗はもう一瞥もくれてやることなく由加里の元へ戻った。


 あまりの絶叫に驚いて暫く声が出なかったが、由加里が慌てて言葉を紡ぐ。


「えっと、不運だったねあの人、一撃で死ねたらあんな苦しまなかったのに」

「運じゃない」

「えっ……?」

「ああなるよう調整して打った」


 涼やかな声に、「なんで?」と問う由加里の視線に龍斗は自分の視線を絡ませる。


「俺なら安楽死もさせてやれた、でもそれじゃあ今まであいつに殺された人達が報われない、自分のしてきたことの重さを、みんなの苦しみを少しでも理解してから死んでもらわないと、被害者が余りに可哀相だ」


「…………」由加里は言葉を返せない。


「言っただろ、俺が正義かどうかは解釈によるって、悪い奴には相応の罰を与えて罪を償ってもらうべきだと思う奴や被害者の家族からすれば俺は正義だろう、でもどんな悪人だろうと殺してはいけないとか、更生させるべきだと考える連中にとって、俺の行為は悪でしかないはずだ……」


 解釈によって人の行為は悪にも正義にもなる、今まで考えもしなかった思想に、さすがの由加里も押し黙り、自分は龍斗の行為をどう受け止めれば良いのか迷ってしまう。


「それよりもいつまで俺を監視しているつもりだ?」


 思いがけない言葉に由加里は焦り、両手を自分の前で必死に振る。


「ちょっ、ちょっと待ってよ、監視って、ボクはそんな……」


 聞きながら龍斗の右手が数人用の一際大きな長テーブルをひょいと持ち上げ、きりもみ状に回転させながら放った。


 唸りを上げて猛進するテーブルは由加里の横をかすめ、さきほど虫が穿った壁の穴に直撃した。

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