第3話 猫を追いかけたら闇の世界へ


 二〇六七年、夜にもかかわらず、そこかしこに設置された街灯のおかげで無駄に明るい街の中を、セーラー服を着たショートカットの少女が鼻歌まじりに帰路を辿っていた。


 小柄だが手足は細くスレンダーな体型で、額を露出した髪型に無邪気な表情と大きな眼が特徴的であり、ほとんどの男子は彼女を可愛い部類に分けるだろう。


 親に帰りが遅くなる旨を伝え、学校が終わるとゲームセンターとカラオケをハシゴしてついさっき友人達と別れたばかりだ。


 現在一一時、無論、少女に今日出た宿題をやる気などなく、あとは帰ってベッドにバタンキューだと決め込む。


 こんなことが出来るのも今日が金曜日であり、公立高校に通っているおかげで明日の土曜日が休みだという週休二日制の恩恵を十分に受けられるからである。


 由加里の脳内は五月病に侵食されることもなく二連休に何をして遊ぶかでアインシュタインも真っ青のフル回転ぶりを発揮中だった。


「はにゃ?」


 彼女の足がピタッと止まり、暗い路地裏に視線が移る。


「ふっふーん、中型の猫一匹と見た。煮干なら持っているから出ておいで」


 夜の路地裏に隠れる猫の気配を察知した感知能力、これぞ彼女が学校の猫好き仲間達から羨ましがられる才能、自称猫センサーデコイ付きである。


 何故デコイなのかは謎だが今日も冴え渡る己の力量に感心しながら由加里が猫なで声で誘うと暗がりに二つの眼が現れ、続いて全身像があらわになる。


 猫は白い体に薄茶色の縞(しま)模様(もよう)が入ったタイプで由加里は満開の笑みを浮かべながら左ポケットに手を突っ込んだ。


「おー、かわいいかわいい、今なら煮干三本つけちゃう……よ……」


 途中で言葉が止まってしまう。左の後ろ足が赤く染まっている。


 怪我をしているのかと思い、目にも止まらぬ俊敏さで猫を捕獲して確かめる。


 否、その猫は全くの無傷だった。赤色のインクだと思えばそれまでだが、彼女の、それこそ猫のように敏感な嗅覚は誤魔化し様のない血臭を捉えている。


 自身の血ではない、とすればこの血の持ち主は……


 考えるよりも先に腕の中の猫が暴れ、彼女の元から逃げ出して夜の明かりの中に溶け込んでしまった。


 逃げる猫の背中を見失い、一人残された由加里の視線は自然と暗く、不気味な路地裏へと向けられる。


 夜でもはっきりと道が見える通りと違い、少しの見通しも効かない闇はまるでどこか別の世界に繋がっているようでならない。


 それでも確かめずにはいられない、冷静な大人なら危険なことには関わらず、さっさと家に帰り、明日の朝に報道されるであろうニュースを見ることで消化できただろうが、生憎と天宮由加里という少女はそれを良しとはしなかった。


 このまま見なかったことにして、後でテレビを介して事実かどうかもわからない結果だけを突きつけられるなど、彼女には我慢できなかった。


 彼女にとって理由はそれで十分、ただでさえ大きな目をさらに大きく見開き、周囲を警戒しながら足音を立てぬようゆっくりと足を運び、彼女は闇の中に姿を消した。


 幸か不幸か、路地裏に入っていく女子高生のことを気にかけるほど、心に余裕のある者は誰一人としていなかった。


 街に配備されている清掃ロボット達の清掃対象エリアから外れている路地裏は散らかり放題のため、ゴミ箱にセーラー服を少し擦ったが、無造作に投げられたゴミ袋や割れた瓶の破片を運良く踏まずに進み、やや開けた場所に出ると、人工の光こそないが、天上より差し込む月明かりで周りの様子がある程度確認できた。


 周囲をビルの壁に囲まれた正方形の空間は学校の教室ほどの広さで、いかにも不良達が溜まり場にしてそうだと思いながら、こんな無駄なスペースができるなど、大人達の行った都市開発も意外に無計画だなと由加里は呆れた。


 足元には月光を薄く反射する液体、ここ最近、雨が降った覚えはない、となれば、あまり考えたくはないが、真新しい血に相違ないだろう。


 少し先には横たわる黒い影、よく見えないが、多分死体だ。不思議と恐怖はなかった。


 偽者とはいえ、ゲームや映画で見慣れているせいだろうか、どちらかと言えば、人間の死体というよりも、映画のセットを見て、そのグロテスクさに気味悪がるのに近い。


 血は続いている。


 別の人がここで殺されてそちらへ行ったのか、そちらで殺されてからここへ来たのかはわからないが、とにかく大量の血液が別の場所に向かっている。


 暗くて今まで気付かなかったが四方を囲う壁の一面には錆び付いた扉が付いていた。


 すでに開いている。ついさっきここを通った誰かが開けたのだろう。


 路地裏に入るだけでもかなりの勇気が必要だが、まだ殺人犯がいるかもしれないビルに入るなどもはや常人ではなく狂人の域だ。


 由加里は一瞬踏みとどまって、呼吸を整え闇の中に踏み込んだ。


 

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