第2話 解き放たれた実験体


「暇つぶしよ」


 隊長の問いに、魔性の女神は優しく応えた。


「なん……だと?」

「あなた達があまりにしつこいから、捕まったらどうなるのかと思って、暇つぶしに少しの、戯れをね」


 最後の一言で兵士達の一番大切な物が崩れた。


 長い時間をかけて作り、戦いの中で常に心のよりどころとしていたソレが壊れるのは一瞬だった。


 茫然自失で自分を眺める男達を前に、彼女は自らの姿態を眺めてから、視線を兵達に戻すと口を開いた。


「そうやって、女の裸をジロジロと見るものじゃないわ、まったく、貴方達ときたら衣服も与えてくれないんだもの」


 言って、黄金率の均整を備えた完璧な体を持った裸体の女神は、近くの壁まで歩み寄ると右手で壁に触れる、それに反応し、一帯が液状化して彼女の首から下を包み込んでいった。時間の経過とともにそれは形を成し、ギリシャ神話の女神を思わせる白い、無地のドレスへと変化した。


「こんな感じかしら」


 今更驚きはしない、呆れもしない、隊長の心の中には、ただ膨大な問いがあるだけだ。

 彼女の視線がこちら見据える。

 薄くほほ笑む口元を見て思う。(何故お前はそんなにも楽しそうに人を殺す……)

 彼女の指が音を鳴らす度に数人の兵士の体が爆ぜた。

 僅かに緩んだ目元を見て思う。(何故お前はこんなにも人を殺して笑っていられる……)


 自分以外の仲間を全て失い、絶望する隊長の頭を強い衝撃が襲い、ヘルメットが砕けて彼の泣き顔を曝け出した。


 もはや軍人としての誇りを失い、ただの男に成り下がった自分を眺める彼女に、心の中でなんども「やめてくれ」と懇願するあまり、背後からの呼び声に気付くこともなかった。


 廊下の床を滑るようにして走る、彼女の存在に対抗するべく極秘に製造されていたソレは、もはや強化スーツではなく、小型の兵器と呼ぶに相応しく、その巨躯は神話のゴーレムを彷彿とさせるが、そんなことはどうでもよかった。


「っっ、酷いですね」

「隊長、安心してください、あんなやつ、このGⅢにかかればイチころですよ」

「あいつがどれだけ強いかは知らないが」

「こいつの性能を試す良い機会だな」


 四機のGⅢに乗る隊員はいずれも彼女との戦闘経験がなく、故に恐れを知らなかった。


「……逃げろ」


 新型兵器に乗れたことに興奮する若き兵に隊長の声は届かず、GⅢの肩に装備されているロケットランチャーが唸り声を上げて特大の砲弾を吐き出した。


 戦車を鉄屑に変える業火と衝撃波に四人の兵が歓喜するが隊長はかぶりを振った。


「……無理だ、逃げてくれ」


 爆炎の中でほほ笑む女神の姿に絶句する四人に、やはり隊長の声は届かない。


「ちっくしょうっ!」


 一機のGⅢが彼女に直接殴りかかった。


 搭乗者の脳内電気パルスを読み取り、機体自身がその通りに動くGⅢの腕力は装甲車を軽く粉砕する。


 ましてこの機体は人間が彼女と戦うために作り出したのだ。


 人間の英知が生み出したこの鬼人が負けるはずがないと、絶大な自身を持って突貫する部下に隊長が声を張り上げる。


「やめろっ!」


 結果はあまりにも無残だった。


 GⅢの鉄拳は指先で止められ、二メートル半にも達する巨躯が一七〇センチメートルほどの女性の細腕で持ち上がり、子供が人形で遊ぶように振り回された。


 壁、天井、床、あらゆる部位に全身を強打し、急激なGの変化に中の兵士は意識を失った。


 子供の玩具のように扱われた兵器は、やはり最後も玩具だった。


 飽きたと言わんばかりに軽く放り投げられた機体は隊長達の前に打ち捨てられ、動く気配が無かった。


 ……あまりに美しすぎる彼女はその所作の一つ一つに優美さがあった。


 ……彼女にはまばたき一つでも大気が揺れるような存在感があった。


 隊長の眼から流れる涙が限界に達するのと同時にGⅢ四機、全てが縦にひしゃげながら床にめり込んだ。


 まるで四機を支配する重力だけが何百倍にも増幅されたようにGⅢは潰れ、原型を崩していく。


 悪魔のように残忍でありながら、女神が如く美しさは損なわれず、鷹揚(おうよう)と歩み寄る彼女の表情に身動き一つ取れず、隊長はただただ泣くばかりだ。


 彼女の白い指先が頬に触れる。


「残念だわ、あと二〇年若かったら参加者に選んだのに……」


 彼女の言っている言葉の意味は理解できない、だが、真っ白な頭の中に一つだけ残っていた問いだけは口にすることができた。


「何故……」


 真紅の瞳が隊長の黒い瞳を見据える。


「何故お前はそんなにも美しい……」


 搾り出された問いに彼女は応えず、優しくほほ笑んで彼の耳元で囁いた。


「あなたは綺麗に殺してあげる」


 最後の言葉が隊長の耳から神経へ、神経から脳へと伝わり理解すると、彼の心臓は一度大きく脈打ちその活動を停止した。


 苦しみはなかった。


 本当に、抗えぬ眠気に誘われて、最後の兵は命を失った。


 途端に全ての廊下の隔壁が一斉に下りる。


 さきほど彼女に破られた廊下を除いた三本の廊下は見える限り奥まで幾重もの壁に遮断され、完全な袋の鼠になってしまう。


 隊長が死んだ今、唯一、彼女の姿を視認する、監視カメラの向こうにいる男達が会議室で苛立ちながら声を張り上げる。


「あいつは化物か!? GⅢがまるで歯が立たん」

「まあいい、奴がいるのは地下三階、地上に出るための階段やエレベーターには既に爆薬を仕掛けてある。」

「奴を外に出すくらいなら地下の研究施設が使えなくなるほうがマシか」


 男の言うとおり、彼女を行動不能にするだけの爆発ともなれば、間違いなく地下施設の全てを葬り去るだろう。


 でもそれは、彼女が階段やエレベーターに近寄った場合での未来でしかない。


「もう、ここの駒と戦うのは飽きたし……階段も、エレベーターも、面倒ね」


 視線を天井に刺すと、水面に一滴の水を垂らしてできる波紋のように穴が空いた。


 始めに小さな穴が、それがある程度まで広がるとそのさらに上の階の天井に穴が空き広がっていく。


 そうやって、とうとう一階まで穴を貫通させると彼女の体はゆっくりと浮かび上がり、地下三階から消失した。


『……!?』


 絶句した。人ならざる神にとって階段やエレベーターとは気が向いた時にしか使わないらしい、彼女からすれば階段を上るとは、車を持っている人が気まぐれで歩いて行くというのに等しいのだろう。


 一階に上がった彼女は何の迷いもなく右の壁に手を添える。


 今しがた天井で起こったことが今度は壁に起きる。


 トンネルの一番奥にある暗闇を確認すると、一年間過ごした研究所には何の未練も馳せる思いもないと言わんばかりに、一瞥もくれてやることなく彼女は出て行った。


 背後からは研究所内全域に放送されているであろう命令声がやかましく聞こえてくるがそんなものに興味は無い、何せ、ここに存在する愉悦は全て堪能し尽くしたのだから。


 研究所内からはわからないが、ここは絶海の孤島である。


 眼前に広がる大海原を肉眼で見るのは捕獲されたとき以来なのだろうか、どこか懐かしむように眼を細め、両手をいっぱいに広げて潮風を全身に浴びる彼女は背景と重なり、一枚の絵のように見える。


 海が震えた。


 まるで彼女の到着を待っていたように海が盛り上がり、楕円形のドームを形成しながら生物のように動めく、深海の覇者たる鯨や大王烏賊(だいおういか)でもこれほどの巨体は誇りはしないだろう、それこそ彼女の姿同様、神話上にしか存在し得ない常識ハズレの物体だ。


 彼女の体がふわりと浮かび、ソレの上に着地する頃には既にはっきりとしているが、見たことのない水棲獣の形を成している。


 研究所からはおびただしい量の迎撃用ミサイルが放たれ、目の前には、兵器について余り詳しくない彼女には細かい種類は判別できなかったが、軍艦と呼ばれる戦闘用の船が五隻向ってきている、だが恐れることはない。


 彼女にとって人類の生み出した兵器など塵芥に等しく、取るに足らない存在なのだから。


 彼女の僕(しもべ)がミサイルを弾き、軍艦を潰す光景に絶望しながら所長室で男が叫んだ。


「あれを世に出すな! あれを解き放つな! 人類が、人類が滅ぶ! あれを、あれを……エバを捕まえろぉおおおお!!」


 自身の拳が砕けそうなほど強く机を叩き、狂気する所長の叫びも空しく、エバは軍艦の残骸から遠のき、これから起こるであろう愉悦に胸躍らせて微笑んだ。



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