第35話 わがまま③

「それは、あの日部活中に突然帰ったことか?」


 これは、八神のためにも、どうしても訊いておきたかったことだった。


「わたしは、虎太さんと愛守さんを見ていて、すごくお似合いだと思ったんです」

「な……」


 急に何を言うんだ。俺は思わず言葉に詰まった。


「お二人はわたしをみちびいてくれました。お二人が仲良くなっていく姿に嫉妬もしましたが、いつしか、愛守さんならしかたがないと思うようになっていたんです。

 わたしの大好きなお二人が恋人になれば、なんてステキなことだろうと思いました。すると、不思議と自分の気持ちにも諦めがついたんです。

 失恋の思い出。これが、わたしの青春です」


 こずえはめちゃくちゃ言っている。なんで俺と八神が恋人になるんだ。お互いそんな気持ちを持っていないんだぞ。


「こずえ……妄想が過ぎるぞ。俺と八神はそんなんじゃない」

「そうですね。これはわたしの憧れなんだと思います。お二人にそうなってほしいという」


 あの時、八神はこずえの気を引こうと、俺と手を繋いだ。それで、まさかこずえがそんなことを考えていたなんて、想像もつかなかった。


「告白してフラれて……本当はそこで終わるはずでした。でも、そのあとに虎太さんが話しかけてくださって、愛守さんと優さん、勇美さんと一緒に部活動ができました。

 一ヶ月という短い時間でしたが、写真部で過ごした日々は、もうずっと忘れないと思いました。

 わたしの中で、奇跡みたいな時間だったんです。だから、納得することができました」


 奇跡みたいな時間。この一ヶ月は、こずえの中で、もう思い出として消化されている。俺にとっては、まだ進行形のことだというのに。


 こずえは、あの日までで思い出にしようとした。青春の日々を、そこで区切ろうとしていたのだ。だから、あれから誰とも連絡を取らず、そのままアメリカへ行こうとしていたのか。


 すでに、こずえは決意ができているようだった。俺はそのことで悄然としてしまう。

 もう、俺にできることは何もないのだ。


「……じゃあ、もうお別れなんだな」

「はい。明後日の午前の便で発ちます。来年には一度学校にあいさつに行くとは思いますが、ゆっくりお話することはこれで最後になります」


 そう言って、こずえは立ち上がった。すると、ちょうど目の高さが同じくらいになる。


「暗くなる前に帰ると母に言っていたので、そろそろ帰ります」

「そうか」


 これで最後。俺はまだ、そのことが信じられなかった。

 街灯の明かりで、こずえの表情が見える。屋上の時と同じようなそれは、涙を流す直前の顔だった。


「今までありがとうございました。

 虎太さんは、わたしを変えてくれました。虎太さんを好きになって、告白して、本当に良かったです。虎太さんのおかげで、自分を変えられました」


 こずえは大きく頭を下げる。顔を上げた時には、こずえの目から涙がこぼれていた。


「……変えたのは、お前の意志だよ」


 俺は、そう言ってから立ち上がろうとする。しかし、なぜかこずえは、俺の両肩を掴んでそれを制止した。やたら顔が近い。


「……なんだ?」

「未練が残りそうなので、何も言わずに行くつもりでしたが、最後にこうして虎太さんと、話せて良かったです。

 ……これだけ、許してください」


 そう言って、こずえの顔が近づく。あっけにとられた俺は、無抵抗だった。

 くちびるが合わさる。それは、かすかに甘い香りがした。


 不恰好に合わさったのは一瞬のことで、こずえはすぐに走って距離を取った。


「お、お前!?」

「さ、最後なので!」


 こずえの顔が真っ赤なのは、これだけ暗くてもわかる。こずえらしい、度胸溢れるキスだった。


「それでは、さようなら」


 また明日、ではなく、さようなら。この意味は大きい。

 俺は今度こそと立ち上がる。


「待て、こずえ。一つだけ言っておきたいことがある」


 逃げるように去ろうとするこずえを、言葉で引き止める。こずえは三メートルくらい離れているところでこちらへ向く。


「……お前ら親子は、もう少し会話をしろ」

「え?」


 まさかそんなことを言われるとは思ってなかったのだろう、こずえは驚いていた。


「決定的なコミュニケーション不足だ。お前も、お前の母親も、どっちも悪くないんだ。お互いを思いやっている。

 泣かせたとか、辛い思いをさせたとか、それは全部、ちゃんと話をしていないからだ。

 だから、もっと母親と話せ。それは、今後一緒に暮らす上で必要なことだから」


 今さらとは思いつつも、このことだけは伝えたかった。

 二人のすれ違いがなければ、こずえは母親を安心させられただろうし、朱美さんも自信を失わなかっただろう。今日、二人と話をしてそう思ったのだ。


 そうしていたら、こずえもまだ学校にいられたはずだ。もっと早く、このことに気付いていたら、こずえのアメリカ行きも無かったかもしれない。俺は悔やんでいた。


「……それだけだ。悪かったな、逃げようとしたのに引き止めて」


 最後に意地悪を言ってやる。すると、こずえはまた顔を真っ赤にした。


「虎太さん!」

「じゃあ、またな」


 軽く手を振る。俺からさよならは言わない。

 こずえは、顔を赤くしたまま、悲しそうな表情になる。これでお別れなのだ。


「……ありがとうございます。それでは、また」


 こずえも、今度はさよならではなく、次に繋げる言葉で締めた。そして、こずえは小走りで公園から出ていく。


 この瞬間、こずえの青春に一区切りがついたのだった。

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