第34話 わがまま②
冬なので、五時くらいになると薄暗くなってきた。すでに街灯も灯っている。
中は着込んでいるが、上着はブレザーのみなので、そこそこ寒い。それでも、俺はひたすら待っていた。
すると、予想通り、目的の人物が現れた。俺はやつが自転車に乗って駐輪場に入るのを見て、それを追いかける。
「待っていたぞ。このサボり魔め」
「え? と、虎太さん!?」
こずえは、俺を見て大きく声をあげた。私服の彼女は、上はダッフルコート、首にマフラーをしていて、暖かそうだった。
朱美さんの小さな嘘。それは、本当はこずえが部屋で寝ていないことだ。
最初、朱美さんは俺たちが来たことに驚いていた。あの時、俺たちにではなく、見舞いということに引っ掛かっていたのだ。
朱美さんに悪気があったわけではない。こずえが担任に風邪だと嘘をついたことを隠したかったのだろう。それは、俺たちの見舞いを無駄にしないための気遣いでもあったと思う。
こずえのスニーカーが無かったことから、外出していると推測できた。だから、待つのが正解だったのだ。
「ちょっと話したいことがある」
「……はい」
こずえは観念したように目を伏せた。
俺はこずえを引き連れ、信号を渡り、公園へと入っていく。周回コースの脇にはベンチがあるので、二人でそこに腰を下ろした。
こずえを見ると、目が合い、彼女はすぐに視線を落とした。気まずいのだろう。
「今日はどこへ行っていたんだ?」
「図書館です。借りていた本を読みきって、全て返しておかなければならなかったので」
「それは、アメリカへ行くからだな?」
「……はい」
アメリカのことを言っても、特に驚いた様子はなかった。俺が待っていたことで察したのだろうか。
「……この前のことを、八神はずいぶん気にしていたぞ」
「すみません……」
「あの日のお前は、アメリカ行きのことで悩んでいたんだな? それなら、なんで言ってくれなかったんだ?」
心ここにあらずだったこずえ。その頭には、当然、アメリカ行きのことがあったのだ。
「虎太さんやみなさんがいろいろしてくださっていたのに、申し訳ないと思い、言い出せなくなってしまいました」
「申し訳ないと思ったのなら何で――」
そこを責めるのは、説教になってしまう。そんなことがしたいわけじゃない。訊きたいことは二つである。
「……いや、それはいいんだ。こずえは、アメリカ行きに納得できたのか?」
まずは、朱美さんにも訊いた疑問だった。どうしても、俺の中で納得できなかったのだ。
「……せっかく高校生活が楽しくなってきたのに、と正直思いました。でも、納得はしました」
朱美さんの言ったとおりの答えが返ってきた。俺は質問を続ける。
「……どうしてなんだ?」
「わたしが悪いんです」
今度は、答えになっていなかった。俺は黙って、こずえが続きを言うのを待った。
「……元はと言えば、わたしが高校を辞めようとしたことが原因なんです。それで、母はわたしのためにと、アメリカ行きを決断しました。わたしは母を困らせるばかりで、申し訳なくて……」
あのことで、朱美さんを心配させてしまった。アメリカ行きには、俺も遠からず関わっていたと言えるかもしれない。
また、申し訳なくて、か。朱美さんも、こずえに悪いことをしたと嘆いていた。本当に、この親子はよく似ている。
「お前は、部活のことも母親に言ってなかったんだな?」
「はい。心配すると思ったので」
朱美さんは無口な人なのだろう。こずえは、話しかけると懸命に答えるが、普段は物静かだ。だから、親子の会話が少なく、普通なら伝わるようなことでも伝わっていない。
こずえのがんばりを知らない朱美さんは、こずえがずっと苦しんでいたと思い、自分の仕事を諦めてまで、アメリカ行きを決断したのだ。
「……お前は本当にいいのか? やっとお前の望む青春に近づいていたのに」
「わたし、母を泣かせてしまったんです」
「え?」
こずえは空を見上げる。まだ星も見えない空は、深い藍色になっている。
「母はいつも凛としていて、わたしの目には、なんでもできる人に見えていました。怒ることもなければ、笑うことも少ない。感情的にならず、いつも理路整然としている人なんです。
アメリカ行きを伝えられた日。わたしがそれを嫌がると、また以前のように口論になりました。突然過ぎます。なんで相談してくれないんですか? って。わたしは強く反抗してしまいました。
そのあと、わたしは一度自分の部屋に戻ったのですが、またリビングに戻ったときに、母は泣いていたんです。
きっと、今までもいっぱい泣かせてしまっていたのだと、わたしはそのときにやっと気づきました。母はずっとそういうところを隠していただけだったんです。
だから、アメリカ行きを受け入れられたんです。もう、母を泣かせたくはありませんから」
母の涙。それが決め手だったのか。
こずえは思いやりのある子だ。母の涙は、自分の目標を諦めるには十分だったのだ。
こずえは、今度ははっきりと俺の目を見て言う。
「それに、青春はもういいんです」
「いいって……?」
「虎太さんとみなさんのおかげで、この学校で良い思い出が作れました。あのとき、わたしはもう十分だと思ったんです」
「あの時?」
「最後に学校に行ったときです」
最後の日。それは、俺が訊きたかったもう一つのことに繋がるものだった。
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