第33話 わがまま①

 こずえ宅から出た後、俺たちは無言で公園の中に入った。周回コースに出ると、八神は、まだ明かりの灯っていない街灯の下で立ち止まった。


「……教育ママって感じじゃなかったね」


 八神は神妙な面持ちだった。悲しみや寂しさは、こずえの家に置いてきたらしい。朱美さんの話を聞いて、自分には手の届かない問題だと感じたのだろう。俺もそうだった。


「そうだな」

「優しいお母さんだった。アメリカ行きもこずえちゃんのためなんだね」


 そう言う八神も、優しい顔をしている。こずえのためにそうすべきだと思ったから、朱美さんの判断に納得したのだろう。


「お母さんの愛には敵わないね。私もかなり愛を持って接してたと思うんだけどなー。こずえちゃんを撮ることが、私の生きがいになってたのに」

「……だからといって、更衣室を盗撮するのはどうかと思うがな」


 俺は、今まで指摘することができなかったことを、このタイミングでようやく言うことができた。


「あー! あの写真見たの!? 虎太くんのエッチー!」

「見たくて見たわけじゃない。それに、責められるべきは俺じゃなく、お前のほうだ。犯罪だぞ」

「女の子の下着姿を男の子が見るほうが犯罪ですー。隠してたのをわざわざ見たくせに」


 言い掛かりである。あれで隠せていたと思っていたのか。


「あんな置き方してたら逆に見たくもなるわ。そして、撮るやつのほうが500%悪い」

「私は女だから、いつでも見られるもん」

「撮影許可は撮ったのか?」

「撮れるわけないよ。私、その頃はまだこずえちゃんと話せなかったし」

「じゃあやっぱりダメだ。すぐに処分しろ」


 八神がほおを膨らませる。ひょっとすると、こずえはこいつの真似をしていたのかもしれない。

 俺は八神の勢いに負けず、思い切り睨みつけてやる。すると、やはり後ろめたさがあるのか、八神は目を逸らした。


「なんであんなのまで撮ってたんだ? まさか、売ったりしてないよな?」

「そんなことするわけないよ!」

「だろうな。お前は、こずえの傷つくようなことはしない」


 そう言うと、拍子抜けしたのか、八神は顔を赤くした。

 こずえの写真を八神が売ってる説について、俺はすでに否定的だった。こいつは、本当にこずえを大切にしていた。だから、盗撮について問いただすことも急がなかったのだ。


「……世界ってさ、すぐに変わっていくよね」


 突然、八神はやたらスケールのでかいことを言い出した。それは、俺のもう一つの質問に答えているのだと、なんとなく気づいた。


「そうだな。万物は流転する」

「だからさ、目で見て、良いなって思うものは、全部箱の中に入れて大切に保管したいんだよ」

「まさか、それが盗撮の理由か?」

「盗撮っていうか、写真を撮る理由、かな」


 それは、もっと大きな、八神の存在理由にまで繋がりそうな答えだった。


「ひたすらこずえを撮ることも、そういう理由なのか?」

「うん。こずえちゃんは、貴重な存在ってこともあるけど、特別な魅力を持った女の子なんだよね。子どもだけど大人の心も持っていて、時折子どもの顔を見せてくれる。

 そんなこずえちゃんは、まだ一〇歳だから、これからもどんどん成長するんだよ。その姿を一瞬でも見逃したくなかった」


 なかなか狂気的である。でも、盗撮以外は悪いと思わない。俺は、二人のことをよく見ていたから、八神なりの分別について、理解しているつもりだった。

 それに、八神の感性についても、ある程度理解していた。あるいは、共感と言えるかもしれない。俺も、こずえの個性が魅力的だと思っていたのだ。


「こずえちゃん以外でもね、素敵なものやびっくりするものは、なんでもデータ化したいんだよ。それこそ、写真部で過ごした時間とか、ね。

 ……思い出ってさ、どうしてもぼやけちゃうの。楽しかったことでも、今はもううっすらとしてる。それは、一〇年、二〇年経つともう見えなくなってるかもしれない。私は、そういうものを出来るだけはっきり残していたいんだ」


 そう言い切ると、八神は少し恥ずかしそうな顔をする。心の中を開いて見せたようなものだ。当然かもしれない。


 俺は、こずえとの会話を思い出していた。

 思い出の積み重ねである青春に思いを馳せたこずえ。八神とこずえは、もっと深いところで繋がっていけたのかもしれない。


「……こずえちゃんとの時間は、本当に楽しかった。いっぱい写真を撮ったから、この思い出がぼやけることはないかな」

「……足りないな」


 俺はそうぼそっと呟く。八神は黙って俺を見る。


「こずえは、この短い期間で大きく変わった。それが成長と言えるものかはわからないが、素の姿を多く見せてくれたと思っている。そして、これからもまだまだ変わっていくんだ。

 ここで終わりじゃ足りないだろう? やっとここまで来たんだ」


 それは、八神の代弁でもなんでもなく、俺の気持ちそのものだった。


「でも……」

「俺はちょっと用を思い出したから、お前はもう帰れ。また連絡する」

「え……?」


 俺は手でしっしと追いやる。八神はそれを見て、にっこりと笑った。久しぶりの満面の笑みだった。


「うん。じゃあ、お願いね」

「ああ。また明日な」

「うん。また明日」


 八神が去っていく。強引だと思ったが、やたら物分かりがよく、あっさりと受け入れてくれた。


 八神もわかっていたのかもしれない。このモヤモヤを晴らす方法が一つだけあることを。

 そして、俺には秘策があった。それは、ことである。

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