第31話 母親として③

 こずえのマンションに到着した。俺の手には、お見舞いのケーキがある。

 一度ここへ来たものの、手土産が必要であるという話になり、わざわざ買いに行ったのである。手痛い出費だった。


 八神は、今はもう落ち込んでいない。ただ、緊張しているようだ。


「オートロックだな」

「何番だっけ?」


 俺が番号を言うと、八神はそれを打ち込んだ。呼び出し音が鳴ると、すぐに女性の声がした。こずえの母だ。


「はい。星名です」

「こんにちは。長居高校の者なのですが、こずえさんのお見舞いに来ました」

「お見舞い? ……ああ、すみません、ご心配をおかけしました。ただ、今こずえは寝ているんです」


 変な間があったな。こずえに声を掛けることなく寝ていると知っているということは、ずっと看病でもしていたのだろうか。


「そうですか。お見舞いにケーキを持って来たので、それだけでもお渡ししたいのですが」

「わざわざありがとうございます。どうぞお入りください」


 扉が開く。俺たちはなんとなく急いで中に入った。

 それなりに新しいマンションだけあって、中は綺麗だった。俺たちはエレベーターを見つけると、それで七階まで移動する。


 星名家の前に来ると、俺と八神は一度顔を見合わせてから、チャイムを押した。

 俺もさすがに緊張してきた。俺たちが会うのは、こずえの母親なのだ。


 物音が聞こえると、ゆっくり扉が開かれた。こずえの母は、相変わらず美少女だった。


「こんにちは」

「こんにちは。いつもこずえがお世話になっております」


 こずえ母が頭を下げる。こういう丁寧さは、こずえによく受け継がれている。


「これ、ケーキです」

「ありがとうございます。……あなたは、この前もお会いしましたね」


 覚えていたか。前のことを思い出すと、余計に緊張してきそうだ。


「せっかく来ていただいたのに、こずえが出てこれなくてすみません」

「いえ、突然来てしまってすみません。……あの、アメリカへ行かれるんですか?」


 八神が唐突にそんなことを訊いた。こずえに会えないなら、この件は母親に訊くのが正しいかもしれないが、あまりにも脈絡が無さすぎる。もう少し相談しておくべきだった。


「はい。夫の住むサンフランシスコへ引っ越します……それは、先生から?」

「はい。私たち、こずえちゃんと仲良しなんです。だから、信じられなくて」


 八神の言葉に、こずえ母は申し訳なさそうな表情になった。


「……そうでしたか。すみません、突然になってしまって。

 仲良くしてくださっていた方がいらっしゃったなんて、知りませんでした。あの子はそういう話をしないもので」


 こずえは、学校でのことを母親に話さないらしい。それを聞いても、やっぱりそうなのか、という印象だ。あの時も、そういう関係性に見えたのだ。


「寂しいです。こずえちゃんに会えなくなるなんて……」


 こずえ母は、八神の顔を見ながら困っているようだ。これで、アメリカ行きが取り止めになったりしないだろうか。俺はそんな甘いことを考えていた。


「……よかったら、少しお話していきませんか?」

「え?」

「中にお入りください。立ち話もなんなので」


 思わぬお誘いだった。驚いて八神を見ると、同じ思考だったのか目があった。


「……それじゃあ、お邪魔します」

「お邪魔します」


 こずえ母が、扉を大きく開いてくれたので、俺たちはそのまま中へと入った。

 中は整然としている。無駄なものは置かない主義なのか、玄関にはこずえ母の靴しかなく、こずえがいつも履いているスニーカーは見当たらない。


 リビングまで案内されると、俺たちは並んでテーブルについた。こずえ母はダイニングキッチンで飲み物の用意をしている。

 無意識に辺りを見回す。カーテンは全開で、公園が見渡せる。


 リビングには、テレビこそあるものの、家庭の色を感じられるものは少なかった。唯一あるのは、一枚の写真くらいだ。


 写真には、今よりもさらに幼いこずえとこずえ母、そして男性がいた。この人がこずえの父親だろうか。

 しかし、こずえ母に比べて、かなり年上のように見える。祖父の可能性も考えるが、家族写真のようにここに置いてあるのは不自然だ。そして、家族写真にしては、こずえ母もこずえも表情が硬い。男性だけが、満面の笑みを浮かべている。

 不思議な写真だ。気になる。


 しかし、ここには気軽に質問できる相手はいない。俺は訊くことを諦めた。


 こずえ母は、俺たちの前に紅茶と、俺たちがお見舞いに持ってきたケーキを置いた。


「すみません、お客様用のお菓子を切らしていて。私たちも一つずついただきますので、お二人も食べてください」


 二つだと味気ないと思い、俺たちはケーキを四つ購入していた。二つずつ食べてくれればいいと思っていたが、まさか、自分たちの前に出されるとは思ってなかった。


「いただこっか?」

「そうだな」


 俺たちは、それを食べることにした。その方が、気を遣わせないと思ったのだ。


 こずえ母は、俺たちの正面に座り、食べる様子を静かに眺めている。幼く見える彼女だが、その表情は、子どもを見守る母親にしかできないものだった。


 緊張しながら食べるケーキは、味がよくわからなかった。俺たちがひとしきり食べ終わると、こずえ母は口を開いた。

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