第30話 母親として②
職員室は一階にある。ろくに委員会にも所属せず、かつそこそこ真面目な俺は、めったに来ない場所だった。
「失礼します」
ノックをし、扉を開けてからそう言った。中学校の頃の礼儀そのままだが、このくらいしておけばいいだろう。俺は担任を見つけ、近寄っていく。
担任は女性だ。俺好みの、特徴を絞り出すのが困難な、ルックス、人気共にメチャクチャ普通の先生である。
「沢渡くんに、八神さん。どうかした?」
「星名さんのお見舞いに行きたいのですが」
俺は単刀直入に用件を言う。すると、担任は俺と八神の顔を見回す。妙な間だ。多分、なぜこの二人なのかと疑問に思ったのだろう。
「ああ、こずえちゃん、部活動をしていたのよね?」
「はい。私たちは写真部です」
八神が返す。担任は、俺たちから視線を外し、どこか宙を見ていた。何か考えているらしい。俺はそれを待った。
少ししてから、担任は「そっか」と小さく呟いてから話し出した。
「……じゃあ、あなたたちには言っておいたほうがいいわね」
担任は悲しそうな表情を作る。
「実は、いつ頃かがはっきりとわからないんだけど、こずえちゃんはアメリカで暮らすことになったの。だから、最悪、このまま学校に来ないかもしれないのよ」
「アメリカ……?」
俺は固まった。それは、あまりにも突然で、予想外なことだったからだ。
「それってもう決まったんですか!?」
八神の声に、ほとんどの教師がこちらへ向く。八神は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「お、落ち着いて。そうね、仲良しだったなら、寂しいよね。
こずえちゃんのお母さまの都合みたいなの。私もびっくりしたけど、こずえちゃんのお父さまもそちらにいらっしゃるみたいだし、元々、いずれは向こうで暮らす予定だったんじゃないかしら?」
そんなことは知っている。でも、それはあいつが高校を卒業してからのはずだった。何で早くなったんだ。
「じゃあ、こず……星名さんは、風邪で休んでるんじゃないんですか?」
「こずえちゃんは風邪って言っていたわよ」
「それなら、やっぱりお見舞いに行きます。住所を教えてください」
「……そうね。うん、お見舞いに行ってあげて」
担任はうんうん頷きながら、メモ用紙を切り取る。部屋番号だけで大丈夫だと伝えると、わずかな時間で書き終えた。
俺たちは職員室の外に出てから、顔を見合わせた。八神はまだ泣きそうな顔をしている。
「虎太くん……」
「……思ったとおり、何かあったわけだ。もっと早く担任に訊くべきだったな。アメリカ行きが決まったから、俺たちに顔を合わせづらいのかもしれない」
「もうどうしようもないのかな……」
震える声。八神は、ついに涙を流してしまった。
「おい、落ち着け」
辺りにいた生徒が、何事かとばかりにこちらを見てくる。校舎の一階だけに、人どおりが多かった。
「……ちょっとこっちに来い」
俺は八神の手首を掴み、そのまま引っ張るように歩き出した。廊下を進み、人がいなくなったところでその手を離す。
「お前のせいじゃなかったんだ。もう泣くな」
「……だって、こずえちゃんがいなくなっちゃうんだよ?」
「とりあえず、本人に訊こう。俺には、こずえがすんなり受け入れたとは思えないんだ」
高校を辞めようとしたときも、最後には自分自身で納得させたものの、こずえは母親としっかり戦っていた。
せっかく自分の目標に近づいていたんだ。こずえが簡単に折れるとは考えがたい。
「でも、こずえちゃんはまだ一〇歳だよ? お母さんの都合なら、どうにもならないよ」
「そうかもしれない。それでも、こずえと話す必要があるし、俺とお前にはその資格と責任がある。行くぞ」
「資格と責任……?」
「そうだ。これは俺たちにしかない」
八神は俺の勢いに押されるままに頷く。涙を拭うと、何も言わずに俺の目を見てきた。行こう、ということだろう。
俺たちはそのまま校門を出て、公園へ歩き出した。俺にとっては、いつもこずえと歩いた道を、八神と進んでいく。
「……こずえちゃんが私たちに言わなかったのは、この前のことがあったからかな?」
黙って歩いていた八神が、ふいにそんなことを訊く。
「わからんが、お前はもう気にするな」
「だって、こずえちゃんならちゃんと言ってくれると思うし。いまだに返信もないし、やっぱり嫌われちゃったとしか……」
八神はまだ気にしているらしい。俺から見ると、もはや被害妄想に近いものに感じる。
思えば、八神からすると、一方的にこずえを追い回していた感覚なのかもしれない。案外、いつか嫌われるんじゃないかと不安だったのだろう。
俺は、八神の背中を少し強めに叩いた。
「――いたっ!」
「八神はかわいい。そして、明るくて優しい。女性としての魅力に溢れている」
「ええっ?」
八神はびっくりしている。当然だろう。そのためにこんな伝え方をしたのだ。
「これはこずえの言葉だ。こずえは、お前のことが大好きなんだよ。お前は、もう少しこずえと過ごした時間に自信を持て」
珍しく、八神は顔を赤くした。こいつは、こずえのことはよく見ているくせに、自分がどう見られていたかなんて考えていなかったのだ。
「……う、うん」
うろたえている八神は見ものだった。まあ、今はおもしろがってる暇はない。またそのまま、俺たちは無言で歩き続けた。
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