第25話 騒がしい昼休み④
その後、八神は不安になったのか、俺には目もくれず、ずっとこずえに話しかけていた。
こずえはそれに対して、いつも通り丁寧に返している。特に変わった様子はなかった。
優が勇美を連れてジュースを買いに行ったため、俺は一人でスマホを見ていた。暇である。
ふと塔屋の扉が開く。優が忘れ物でもしたのかと思ったら、出てきたのは違う人物だった。
学内で白衣を着た女性なのだから、多分、化学の教師だ。ひょろりと背が高く、短めの髪もあって、後ろから見ると男だと思ってしまいそうだ。
顔は美形で、どこか取っつきづらそうな雰囲気が漂っている。それは、多分目によるところが大きい。いかにも眠そうな、やる気のなさそうな目が、人を近づけないのだ。
「愛守、ここにいたのか」
「あれ?
「申請書を渡しそびれていた。今週中に書いてくれ」
申請書、ということは、この人が喜多山先生か。八神は彼女と親しいようだ。
「わざわざ持ってきてくれたの? ありがとー」
「職員室は居心地が悪いから、気分転換がてらにね」
先生はそう言って、俺とこずえを見る。その時間は、俺がコンマ一秒くらいで、こずえが五秒ほどだった。まあ、何の変哲もない世界一普通の男子生徒と飛び級天才少女が並んでいたらこんなものだろう。
先生が、八神に何やら耳打ちしている。手は自然と八神の背中に触れる。この二人がただの教師と生徒という関係ではないことは一目瞭然だ。
「まあそんな感じかな」
八神の返事は普通の声量だった。先生の手はさらに下がっていく。
「……げ」
俺の声にこずえが反応し、不思議そうな顔でこちらを見る。こずえが気づいていないなら、そのまま気づかせないほうがいい。俺はなんてことないとばかりに、明後日の方向を見る。
先生の手は八神の尻へ移動し、そこで卑猥な動きをしていた。さながら、痴漢を目撃した気分だ。
八神が無反応だったため、俺からは何もする必要はないだろう。チラチラと様子を確認するが、まだなで回している。この人は、なぜ俺たちがいることを気にしないんだ。
「そうだよね。訊いてみてもいいかもね」
八神はよほど慣れているのか、尻を触られているとは思えないほど自然に話している。
すると、先生はこずえのほうへ歩いてきた。俺は少し警戒する。
「星名くん」
「はい」
しかし、さっきとは違い、普通の距離で会話を始めたため、俺は警戒を緩めた。どうやら、保護者についての話らしい。やはり、一六歳と一〇歳では勝手が違うようだ。
俺はゆっくり八神のほうに近づき、耳打ちする。
「おい、さっきのはなんだ?」
「さっきの?」
「触られてただろう? 普通じゃないぞ」
「あ、気づいてた?」
八神がイタズラがバレたような顔をして笑う。
「いくら同性でも、あれはいいのか?」
「まあ慣れっこだからね。たまに胸も触られるし」
俺は思わずぎょっとする。それはさすがに嫌じゃないのか。
「ふふふ。虎太くん、こういうことなら動じるんだね」
「いや……何か弱みでも握られてるのか?」
だとしたら言うはずもない。俺は言ってから気づく。しかし、八神は「そうじゃないよ」と言いながら首を横に振った。
「楓ちゃんって、私のいとこなんだよ。昔から、会う度に体の成長具合をチェックしてくるんだよね」
とんだ変態だった。顧問の先生まで変人がついてしまうのか。これは俺のホイホイのせいなのか。八神のいとこだからだと考えると、芋づる式に引き寄せてしまうということかもしれない。
「……なんで嫌がらないんだ?」
「まあ女の人が相手なら、別に嫌じゃないよ。それに――」
ふと、八神は怪しげな笑みを浮かべると、声を潜めようと俺への距離を詰める。
「いざというとき、何かと使えるんじゃないかなって。楓ちゃんの車って、親のおさがりだから結構大きいんだよね。写真部で遠くまで撮りに行くのもいいでしょ?」
なんと、これが逆に弱みを握っていることになるらしい。身内相手にとんでもないことを考えているものだ。やはり、こいつは要注意人物だ。
「……まあ、それなら別にいい。でも、同性になら触られてもいいからって、優に解禁するなよ。あいつは結構ガチだぞ」
「なに? 心配してくれてるの?」
今度は、上目遣いでにんまりとほほ笑む。俺は即座に目をそらした。
「……別に。優の欲望が満たされてほしくないだけだ」
「照れちゃってー。虎太くんってそういうところは紳士だよねー」
照れているつもりなんてない。それに、俺は紳士などではなく、見知った女が食い物にされるのを嫌うのは、極めて普通の思考なのだ。
しかし、そう言い返しても無意味だろうから、何も言わなかった。
「それに、優ちゃんってそういう線引きはできる人だと思うよ。友達は友達」
八神が言うならそうなのだろうか。短い付き合いだが、八神はそういうことに鋭い気がする。優を信用するわけではないが、当事者が言うなら、俺の口出すところではない。
「そう思うならいい」
「ふふふ。あ、こずえちゃんがチラチラ見てるよ。また嫉妬してるかな?」
見ると、確かに先生と話しながら、視線をこちらに送ってきていた。
「……あんまりこずえで遊ぶのもやめてやれ。俺もしんどい」
「だってー……かわいいもん」
八神がカメラをこずえに向ける。緩んだ口元からは、何度も吐息がこぼれ出ていた。
この瞬間は、優と同じくらい危険に見える。萌え撮影モードの八神は、見るからに常軌を逸しているのだ。
ふいに、先生がこずえの尻を見ていることに気づいた。俺と八神は一瞬目を合わせると、慌てて間に入った。
「……どうした?」
「いえ……」
先生が何でもないような振る舞いをする。まあ、いきなり触ることもないか。
「話は終わった?」
「大体はな。そういえば、星名くんは普段何を撮っているんだ?」
先生は、こずえでも八神でもどっちでもいいというような訊き方をする。こずえと八神がパッと目を合わせると、八神が口を開いた。
「植物が多いね。コンクールもあるし」
「そうか」
そう言って、先生は八神からカメラを奪う。八神も、それに合わせてネックストラップを外しやすいように頭を下げた。
先生は、八神のカメラをこずえに手渡す。
「コンクール用もいいが、星名くんも愛守のようにとは言わないが、人を撮ってみたらどうだい?」
「人、ですか?」
「自分に合っているのが人物か風景か。そういうことを見定めるためにも、色々撮るといい。それに、写真撮影は記録だ。コンクールのためよりも、自分が見ていて楽しいと感じるものを撮ることのほうが重要だと、私は考えている。
それらはきっと、良い思い出になるからね」
こずえは目をパチパチとさせる。先生の言葉は、まさにこずえの求めるものだったからだ。
「コンクールに悩まず、まずは楽しむようにしたまえ」
「は、はい!」
喜多山先生、この人は何者だ? セクハラをする変態かと思えば、キザなカッコつけでもあり、それなりに芯をついてくる。不思議な人だった。
先生はこずえを見ながら、俺と八神のほうへ手を差し出した。意図を察したこずえは、俺と八神にカメラを向ける。
撮られるのは苦手な俺だが、この時は無抵抗だった。撮られなれていない八神と共に、少し驚いたような顔をした姿が、こずえのカメラに収められたのだった。
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