第24話 騒がしい昼休み③
「よーし! じゃあ行くよ!」
五メートルほど離れたところで、八神が腕を回している。
昼食が終わると、八神は再び俺の反応を見たいと言い出した。今度こそ動かしてやる、とのことだ。
そう気合いを入れられたなら、俺も応えてやらねばなるまい。
動かざること山のごとし。北岳ほどもある、俺の壮大な山っぷりをとくと見せてやろう。
「来い。でも当てるなよ」
「当たったら何でもしてあげるよ」
何でも、だと。俺は男だぞ。どうなるのかわかっているのか。
「虎太! わざと当たれ! エッチなことしてもらえるぞ!」
「黙れ」
優の野次が飛ぶ。俺の思考が優と被ったのが恥ずかしくなってくる。
いや、俺は本気ではなかったつもりだ。だからこずえよ、変な目で見るな。
「わざとは無しだよ! とう!」
八神は三歩ほどステップを踏み、腰の入ったパンチを繰り出す。それは寸前で止まると、俺の鼻にふわっとした風が来た。しかし、俺は微動だにせずに耐えてみせた。
ふわっと花の香りが漂う。女というのは拳からもいい匂いがするのか。
「動いてないですね」
こずえが軽く拍手しながら言う。
「ちぇー。……よしっ、もう一回」
「何度やっても変わらんぞ」
八神が再び腕を回している。そして、チラリとこずえの顔を見た。
「行くよ!」
「来い」
八神は再びステップを踏む。一歩、二歩、三歩、と進むと、今度はさっきよりもゆったりした動きになった。緩急をつけようというのか。
すると、そのままとことこと歩いて目の前に来ると、八神の顔がグッと近づいてくる。
「きゃっ!」
悲鳴はこずえだった。俺は思わず後ずさる。同い年の女子とこんなに顔が近づいたのは初めてのことだった。
「はい動いたー!」
「いや、それはずるいだろ! 当たりそうだったぞ!」
「当たらないようにしてたもん。それに、ファーストキスをこんな形であげないよ」
未経験か。いや、そうではなく!
「はははははっ!! 愛守ちゃん、童貞にそれはきついって! やめたげてー!」
見ていた優が爆笑している。しばいたろか。
その隣のこずえは、ほおを膨らませ、なぜか俺をにらんでいた。怒るなら、それは八神に向けるべきだろう。理不尽だ。
「動いたし、虎太くんの負けだからねー」
「……じゃあ、今度は耐えてやる。もう一度来てみろ」
「次はこずえちゃんがやりなよ」
八神がカメラを構えながら言った。すでに、さっきのこずえの反応は撮影済みのようだ。
「……わたしですか?」
「ちょいちょい」
八神がこずえに耳打ちしている。その声はこちらに全く聞こえないが、嫌な予感しかしない。
「じゃ、じゃあやってみます!」
「がんばれー!」
こずえは顔を赤くしながら俺を見ている。さっきと同じことをやる気か。それとも……。
「や。俺はもうやらない」
「えー! なんでですか!?」
「さっきの八神みたいなことをやられたら、俺は動いてしまう。もうわかりきっていることならしないでいいだろう。俺の負けでいい」
「わからないじゃないですか!」
「だから、負けでいいんだから、もういいだろう?」
「ダメです!」
さっきよりも赤面しながら苦情を言うこずえを、俺は突き返す。八神に何を言われたのか知らないが、俺は絶対に負ける勝負なんてしないのだ。
八神はここぞとばかりに写真を撮っている。こずえよ、お前は完全に八神の手のひらの上にいるぞ。
それを見て、優も勇美も笑っている。まったく、俺たちを娯楽にしやがって。それもこれも、この天才少女が普段おとなしいくせに、俺の前だとリアクションが大きいからではないか。
「はぁ……」
俺は大きくため息をついてから、こずえにグッと近づく。距離的に八神には聞こえてしまうかもしれないが、内緒話であるというのはこずえへのポーズであり、八神に聞こえていても構わないのだ。
「……こずえ。お前はもう少し隠せ」
すると、こずえは顔を真っ赤にしてしまう。これで治まるかな、などと気を抜こうとするが、今度は唇を震わせ、目が潤んできた。
ヤバい、泣くのか。無意識だが、俺は救いを求めるように八神を見た。
「あー、虎太くん、こずえちゃんに酷いこと言ったんだー」
すると、八神は俺を煽ってきた。怒っているようだが、口元は笑っている。つまり、こずえの泣き顔を撮るチャンスであると踏んだのだ。俺より八神のほうがよっぽど悪意がある。
「い、いえ……」
「ちゃんと謝らせたほうがいいよ。ほら、虎太くん」
今にもよだれが垂れ落ちそうなその顔。口調こそしっかりしたお姉さん風だが、表情は変態そのものである。こいつの言うことは聞きたくない。
しかし、少し言いすぎたのも事実だ。さっきのは、お前の気持ちはみんなにバレバレだ、とでも言ったようなものだった。
「……悪かったな。嫌な言い方をしてしまった」
「いえ、わたしも感情的になってしまって――」
「ごめんなさいのちゅうは?」
せっかく解決しそうだったのに、嫌な茶々が入る。もちろん、八神である。その表情から察するに、「ここで終わらせるのはもったいない! もっとこずえちゃんを照れさせて、かわいい顔を撮らせて!」と思っているのだろう。
その野望通り、こずえは沸騰しそうなほどに顔に熱を帯びている。
「ほら、仲直りにはちゅうだよ! おでこがいいとお――いたっ!」
俺は思わず八神の頭を叩いた。もちろん軽くだが、漫才師のツッコミくらいの勢いはあったかもしれない。
「いったーい! 酷いよ虎太くん!」
「絶対に今のはお前が悪い」
「叩くことないじゃん! お父さんにも叩かれたことないのに!」
「本当に痛かったらそのセリフは出てこない」
今度は、俺と八神の言い争いになる。俺たちの勢いのためか、周りは静かだった。
「DV夫だよ! こずえちゃん、虎太くんは暴力するダンナさんになっちゃうよ!」
八神がこずえを煽る。しかし、こずえは何も言わず、じっと俺を見ていた。
見れば、優と勇美も興味深そうに俺と八神を眺めていた。優はニヤニヤとし、勇美は包み込むような表情をしている。
「……あれ?」
「愛守ちゃんと虎太が、こずえちゃんの両親に見えた。子どもを挟んでの夫婦喧嘩」
優が言う。俺と八神は視線を交える。
「仲良いよね、二人って。短い付き合いなのに、優と同じくらいの距離感になってるのにびっくりしたよ」
今度は勇美が言う。どこかほっこりしているような顔が気に入らない。
「おばあちゃんみたいな温かみを醸し出しながら言うな。別に、俺と八神は仲良くない」
「まだ仲良くなって間もないのに、あたしと同じような扱いだもん。二人って相性良いんじゃない?」
優も勇美も、俺とこずえの関係がわかってないはずもないのに、なぜわざわざこずえの前で変なことを言うのか。こずえを見ると、なぜかずっと無表情で、俺と八神の間くらいを見ていた。
「それを言うなら、こずえちゃんとのほうが相性良いと思うよ。ね?」
ここに来て、ようやく八神がこずえのフォローをし始めた。さすがに気にしたらしい。
しかし、こずえは八神の言葉にも無反応だった。
「こずえ?」
「――え? いえ、何でもないです」
こずえは、さっきまで自分が怒っていたことも恥ずかしがっていたことも忘れたみたいに、よく見る愛想笑いをした。
慌てるように、八神が俺にアイコンタクトをする。しかし、俺にもわからないだけに、首を横に振って応えるしかなかった。
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