第18話 コスモスの少女④

 俺たちは、八神に連れられるまま移動する。客が少ないと思っていたが、白とピンクの花が咲き誇るその場所には多くの人が集まっていた。


「今、コスモスフェアやってるんだよ」

「そうそう。あたしもコスモス見に来たんだよねー」


 なるほど、ここに咲いてるのがコスモスか。ん? 今何か凄い違和感があったぞ。


「嘘をつくな。お前が花を見るために休日をつぶすわけがないだろう」

「失礼な。あたしだって花は好きだよ」

「虎太くん、女の子って花が好きなもんだよ。ねー、こずえちゃん」

「そうですね」


 変人二人と女児一人が同調する。八神はともかく、優が花を見に来るなんてありえない。しかし、ここには俺の味方はいないらしい。

 そういえば、男は俺だけだ。なんと居心地の悪いことだろう。勇美よ、早く来てくれ。


「ここは季節によって植え替えられてるんだよね」

「そうそう。あたし、夏にヒマワリも見に来たよ」

「あれも良かったよねー」


 そうなのか。近所に住んでいて何度も来ているが、そんなことも知らなかった。それにしても、優は本当にここへ花を見に来ているらしい。信じられない。


「キレイですね」

「まあ、そうだな。これなら確かに写真に収めたくなるかもな」

「あ、それなら虎太さんも撮りましょうよ。愛守さん、貸してくれますよ」


 いかん、余計なことを言ってしまった。単にこずえに勧めるつもりで言ったのだが、俺が撮りたいみたいに聞こえてしまったようだ。


「いや、いい。俺は脳内のネガに焼き付けておくから」


 そのデータは明日にでもごみ箱に捨てられ、そのごみ箱は容量を空けるためにすぐに空になるわけだが。この俺が、キレイというだけで見返すことはないだろうからな。


「写真同好会ですし、虎太さんも写真を撮ってみましょうよ。やってみると楽しいですよ」

「俺はまだ入ると決めたわけではない。俺が撮ってる時間があるなら、こずえの練習に使えばいいさ」


 こずえは唇を尖らせる。こいつが怒ったとて、かわいいだけでまったく怖くない。

 それにしても、こずえは、俺に対しては結構文句を言うようになってきた。単に慣れてきただけで、いつもの丁寧さが緩んでいく過程ならいいのだが、それが俺にだけなのは気になる。


「あれ、また痴話ゲンカ?」

「痴話!? ……違います」


 そしてこの通り、痴話ゲンカ扱いされるのである。言ってくるのが、俺とこずえの事情を知っている八神だからたちが悪い。こずえの顔を赤くして楽しんでいるのだ。


「気を抜くと二人でイチャイチャしてるんだもん」

「い、イチャイチャなんて……」

「あんまりこずえをいじめてやるな。写真を撮るんだろう?」

「そう! それで、こずえちゃんにモデルになってほしいんだけど」


 八神は俺の問いかけに指をビシッと突き立て、そうこずえに懇願する。


「モデルはちょっと……」

「ちょっとだけ! 一〇枚くらいでいいから!」

「少ないのかそれ?」


 こずえは俺にチラチラ視線を送ってくる。応えてやりたいところだが、こうしておおっぴらにお願いするならまともな写真だろうし、俺はむしろ撮った写真を見たいとすら思っていた。ここはスルーしておこう。


「ちょっとだけだからあ!」

「先っちょだけ! 先っちょだけだから!」


 ここでアホが割り込んでくる。すると、俺の脚が反応した。


「――っおうふ!!」

「優さーん!!??」


 優がふっ飛ぶ。八神のノリに合わせて下品なことを言う、という渾身のボケだったらしいが、俺の脚はそれを許さなかった。こずえの前で下ネタは厳禁なのである。


「虎太さん! 女の子をけっちゃダメです!」

「これは蹴ったんじゃない。反射的に振り回した脚が優に当たっただけだ」

「それはけったってことですよ!」


 こずえが懸命に注意する横で八神はニヤニヤと笑みを浮かべている。よく見ると、こっそりこずえにカメラを向け、シャッターを押している。欲に忠実なやつだ。


「いってえな虎太!」


 立ち上がった優が俺に詰め寄る。こずえよりは迫力があるが、俺は動じない。


「悪いな、お前が変なことを言うと自動的に動くようになってるんだ。俺にはどうにもできない」

「お前にしかどうにもできないだろ!」

「しょうもないことを言うお前が悪い。こずえ、優は変なことを言って激しく突っ込まれるまでがネタなんだ。スラップスティックな笑いが信条なんだ。そういうものだと思っていろ」

「違うわ!」


 そうじゃないならそれもどうかと思うぞ。むしろ、その笑いに命をかけるくらいの気迫がほしい。


「やっぱり、虎太くんっておもしろいわー」


 いつの間にか、八神はこずえじゃなく俺にカメラを向けていた。俺は思わずそれを手で遮る。


「なにがだ?」

「一〇歳の女の子と痴話ゲンカするわ、同級生の女の子を蹴るわで、もうメチャクチャだもん。やっぱり、虎太くんが一番変だよね」


 八神は大笑いしながら、逃げるように一歩下がって俺を撮影する。

 一番変、だと。近所でも、「近ごろはあまり見ないほど普通なやつだ」と評判の俺に、なんてことを言うのか。


「俺は普通だ。極めて標準的だ。撮るな」

「虎太くんを普通だなんて思っている人はこの世界にいないよ」


 八神がニコニコと言う。そんなはずはない。俺は助けを求めるようにこずえを見る。


「虎太はメチャクチャ変だよ」

「お前には訊いてない。こずえ、お前はどう思ってる?」


 こずえは優をチラっと見て、困ったように微笑む。


「えっと……個性的なのは長所だと思います」

「なんだ、その無理にフォローするみたいな言い回しは」


 こずえが言うと、八神がまたゲラゲラと笑いだし、今度は俺とこずえをまとめて撮り始めた。俺は煙を払うように手を振ってそれを遮った。


「もういい、八神はこずえを撮りたいんだろう? さっさと撮れ」

「ええっ!?」


 俺はこずえを押しやる。すると、こずえは、驚きと怒りが入り雑じったような表情を浮かべながら俺を見つめる。


「あれ、いいの?」

「えっと――」

「構わん。良い写真に仕上げろ。こずえが最高にかわいく見えるようにな」


 こずえの返答を遮り、俺が代わりに許可する。


「おー! 私に任せてよ!」


 燃える八神がこずえの手を取った。こずえは、今にも「ぐぬぬ」と聞こえてきそうな表情で俺をにらむが、八神に手を引かれるまま遠ざかっていった。俺を変人扱いした罰である。


 八神とこずえ、ついでに優も花畑の隙間の通路から中に入っていった。俺は二人に撮影されるこずえを遠巻きに見守る。

 こずえは照れながらも役割をまっとうしている。時折、俺のほうを見てくるが、見ていることを示すために、俺はただ頷いて返してやった。


 優はこずえに対して意外と優しい。普段の下品でアホなところを隠そうとしてまで、こずえに嫌われまいとしているようだ。これは思わぬ副産物だった。


 そして、八神も今のところ変なことはしていない。あの盗撮写真は酷いものだったが、普段はこずえにメロメロなだけではなく、こずえを楽しませようとしているようにも見える。


 今のままなら、理想的な形でこずえに青春を感じさせてやれるんじゃないか。俺はそう思い始めていた。


 八神に更衣室盗撮について問いただし、俺と八神の間でそれを解決すれば、このままでいけるんじゃないだろうか。あいつが写真を他人に流したりしていなければ、それは可能だと思っていた。


 これが平穏な日常になるためにも、八神と話してみよう。重要なのは、こずえが目的を果たすことだけなのだ。

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