第16話 コスモスの少女②
さっと着替えて自転車を使えば、一〇分ほどで植物園に到着することができる。急ぐつもりはなかったが、勢いですぐに着いてしまった。
優は植物園に入ってすぐのところで待っていた。もうずいぶん涼しくなってきたというのに、ショートパンツの出で立ちで、その長い脚を惜しみなく出していた。
「おっそいぞ」
「いや、かなり早いだろ。このスピードで来れるのは俺くらいだぞ」
「なんだあ? あたしと会いたくて急いで来たのか?」
優は一瞬で口撃方向を切り替えた。そのバカにするような笑い方を見て、なぜか俺の右脚が跳ねる。それは、もう少しというところで優にかわされてしまった。
「おおいっ! ナチュラルに蹴り入れようとすんな!」
「悪い。脚が勝手に動いた。責めるなら脚を責めろ」
「虎太の条件反射だろ! お前の脳でなんとかしろ!」
無茶言うな。俺の脳は、かなり前から、優の言動に対して研ぎ澄まされているのだ。
「で、俺になんの用だ?」
「ちょいちょい、こっち来なよ」
俺が訊くと、優は思い出したように張り切りだし、俺を誘導する。
十一月始めの植物園は、初秋の匂いは感じるものの、まだ紅葉も色づいておらず、客も少なく落ち着いている。
植物園は、幼い頃からよく訪れた場所だ。小学生なら併設されている博物館の入場料まで無料のため、暇な休日によく来ていた。
真ん中に大きな池があり、虹色の橋が架かっている。俺たちはその橋を渡り、向こう岸へショートカットした。
「ほら、あれ」
「ん?」
優の指さすほうを見ると、一人の少女がいた。こずえだ。
こずえはスマホカメラを使い、池に浮かぶ鳥を撮影しているようだった。
「熱心だな」
「いやー、かわいいなあ。こずえちゃんって絶対将来美人になると思うんだよなー。ああいう真面目な子、良いわー。早く六年後が見たいわー」
優がこずえを見てとろけている。おかしい。こいつは幼女には興味がないはずだが。
「お前は八神みたいな女が好みだと思っていたが」
「愛守ちゃん? いや、あれもかわいいけどさー。愛守ちゃんはキラキラしすぎなんだよね。磨けば光るタイプのほうが好みなんだよ」
それだと、俺が優を写真部に連れてきた意味がまったくないではないか。むしろ、こずえに悪影響を与えるやつを引き合わせたことで、より状況が悪くなっている。なんてことだ。
「よし、お前は部活を辞めろ」
「どういう思考でそうなったんだよ!?」
優に俺のプランがわかるはずもない。俺は思いっきり後悔していた。
「……で、こずえがかわいいってだけで俺を呼びつけたのか?」
「だけってなんだよ。いや、話しかけたいけど、あたしだけだとこずえちゃんが困ると思ったから、虎太を呼んだんだけど」
優は、案外こずえに気を遣っているらしい。まあそれはいいのだが。
「お前だけでも平気だろう。それに、別に俺はこずえの保護者じゃない」
「じゃあ虎太はこずえちゃんのなんなんだよ。保護者ってか、マネージャーみたいに思ってた」
「なんだそれは」
ツッコミを入れつつ、俺は少し納得していた。俺がこずえをマネジメントしていたのは、あながち間違っていないのだった。
「よし、じゃあ行くぞ。こずえちゃーん!」
優は、一度気合いを入れてから声をあげた。こいつは、俺が思っている以上にこずえを気にしているのかもしれない。
「え? 優さん……虎太さん!!??」
こずえは危うくスマホを池に落としそうになるが、何とかことなきを得た。
休日のこずえを見たのは初めてだ。白いロングティーに黒いロングスカートという組み合わせはずいぶん大人っぽく見える。
しかし、サイズの問題もあり、育ちのいいお嬢さんがいいところだった。
「ずっと鳥を撮ってたのか?」
「…………」
俺の質問に答えず、こずえはじっと俺の顔を見ている。
「どうした?」
「あの! ……お、お二人はデートをしていらしたのでしょうか!?」
顔を真っ赤にして言う。また嫉妬か。
すると、優が俺の右腕を両手でガッチリ掴んだ。
「そうだよ」
「やっぱり!?」
「いや、違うから」
俺は優の手を払って言う。こずえはまだ疑っているのか、じっと俺の顔を見ている。
「これがデートに見えるか?」
「見えます。優さん、とてもオシャレですし……」
確かに、優の服装はデートでも通用するだろう。しかし、これはいつものことで、普段着がこんな感じなのだ。
「俺はこいつが何を着ようと、服を着た変態くらいにしか思わん」
「ちょいちょい。さりげなく酷いぞ」
優が肘を突きだしながら静かに怒るが、俺はそれを無視する。
「それに、俺はこのとおりの軽装だ」
「虎太さんは……虎太さんですし」
「どういう意味だよそれは」
俺のことを全部理解しているような言い方をしやがって。俺だって、デートならもう少し気合いを入れる。多分、きっと。
「で、こずえちゃんはいい写真撮れたの?」
「え? あ、いいものはないと思います。スマホカメラだと、まずズームがいまいちで……」
珍しく、優が軌道修正してくれる。こずえはようやく抜いた刀を鞘に納めた。
「土日も撮るなら、八神から予備のカメラを借りておけば良かったな」
「い、いえ……提案していただいたのですが、高価な物ですので、こちらが萎縮してしまい、お断りしました」
カメラはかなり高いため、その不安はよくわかる。さっきスマホを落としそうになっていたので、借りてなくて正解だったようだ。
「まだ撮るのか?」
「いつまで撮るか決めていませんでした。習いごともありますし、お昼までには終わろうかと」
「じゃあ習いごとまであたしらと遊ぼうよ! せっかく会えたんだしさ!」
優が提案する。多分、これを言うために俺が呼び出されたのだろう。悪くない提案だ。
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