第15話 コスモスの少女①
春眠暁を覚えずと言うが、秋も大概である。ほどよい気温の中、布団に包まれる安心感を味わっていると、飽きるほどに惰眠をむさぼれる。休日など、永遠に布団にくるまっていたいものだ。
写真同好会に乗り込んで数日。ようやく土曜日がやってきた。
休日に活動をすべきではないと何度も論じてきた俺の意見が通り、土日は部活動の名目で集まることはなくなったのだ。
つまり、今日は一日暇なのである。退屈過ぎるのは問題だが、流れで毎日部活動に顔を出すことになったため、この暇な休日がいとおしかった。
このまま腹が減るまで寝ていよう。そう決意し、人類の至福五選にも選ばれると噂の『二度寝』へと移行する。
しかしその瞬間、侵入者が現れた。妹の
「お兄ちゃん。おきろー」
俺は無視を決め込む。昨日の時点で惰眠に精を出すと決めていれば、部屋の鍵をかけていたのに。まあ、後悔しても遅いが。
「兄ちゃーん」
「…………」
音子が近づいてくる。何をされるんだ。俺は密かに身構えた。
「だーいぶ」
「ってえ!!」
俺の背中に、二つの鉛が落ちる。これは膝である。
「こら! ダイブってのは膝からするもんじゃありません!」
「そこなんだ?」
音子は俺の背中の上で正座している。俺は圧迫されながら苦情を言う。
「正座だと膝が刺さるだろう? 体重が二点に偏るから、これじゃあ重すぎる」
「女の子に重いとか言っちゃダメだよ」
「ちゃんと形式に沿ったものなら俺もこんなこと言わない。お前が俺にしたのは、ダブルニードロップという必殺技だ。妹布団ダイブというものは、全身を広げて行わなければならないんだ」
妹布団ダイブは、本来かわいいはずだ。音子バージョンの欠点は明らかだった。
「それじゃあ抱きついてるみたいじゃん。おっぱいがお兄ちゃんに当たっちゃう」
「なに急にませたこと言ってるんだ。無いものは当たらん」
「いや、あるし。お兄ちゃんえっろ」
音子はそう言って体を上下させる。膝二点の重みが背中に突き刺さる。
「うおおっ……起きるから下りろ!」
「さいしょからそう言えばいいのに。よいしょ」
最初からそう言えばよかったさ。まったく、いつの間にこんなに生意気になったんだ。
「ふう」
「朝ごはんできてるよ。っていうか、もう高校生なのに、お兄ちゃんって彼女とかいないの?」
やっと解放され起き上がった俺に、音子が訊く。やっぱり、このくらいの歳になると、こういうことが気になるのか。
「そう簡単にできるもんじゃない」
「小学生だって恋人いる子いるよ」
「それはレアケースだ。……まさか、音子は彼氏がいるのか?」
音子はにやりと笑う。……マジか。
「おい。ダメだぞ、彼氏なんてまだ早い。今すぐそいつを連れてこい」
「うわ、シスコンだ。お兄ちゃんキモっ」
「キモくない。言っておくが、一〇歳と付き合う男なんてろくでもないぞ。そいつのほうが気持ち悪い。今すぐ死ぬべき人間だ」
「やっぱりキモっ!」
音子は扉のほうへ逃げていく。俺はそれを追いかけて肩をつかもうとするが、音子はスルリとかわした。
「こらっ、音子」
「うっそー。お兄ちゃんシスコンキモーい」
音子はあかんべーをして、部屋から出ていった。
嘘か。正直、かなりホッとしていた。こずえのこともあったし、小学生で恋愛というのも、今どき普通なのかと思った。
音子は、ここ最近になってませたことを言うようになってきた。
一〇歳の、特に女の子は、ちょうどそういう年ごろなのだろうか。一〇歳の同級生と妹を持つ、日本でも五本の指に入るほど一〇歳女児に詳しい男子高校生であるはずのこの俺でも、その辺りの事情はわからないのだった。
俺にとって、七つ年下の妹、音子は目に入れても痛くない……は言い過ぎだが、いとおしい存在だ。歳が離れている分、純粋にかわいく感じていた。
そんな妹に彼氏ができようものなら、いったいどうしてくれようか。とりあえず毒物についてネット検索することは間違いない。
まあ、俺とて罪人になるつもりはない。芽が出た段階でやんわりと取り除くのが大人だ。これから頻繁に音子にお伺いを立てよう。俺はそう決意し、音子の待つ食卓へ向かった。
朝食が終わってのんびりしていると、電話が鳴った。相手は優だった。俺は取るべきか悩んだが、とりあえず取ってみることにした。
「この休みになんだ?」
「虎太暇だよね? 今すぐ植物園に来て」
「は?」
切れた。拒否させないまま電話を切るのは、優の常套手段だ。
「なに? おんな?」
「その言い方はやめなさい」
ベッドに腰かけ、俺を背もたれにしながら漫画を読んでいた音子が口を挟む。どこでそんな言い方を覚えたんだ。
「お兄ちゃんこそ、女の人にあの言いかたはないよ」
「性別が女というだけの人間と女性は違う生き物だ」
「まーたわけわかんないこと言って。ホント、お兄ちゃんって変な人だよね」
変な人、だと。人類の平均を取れば俺が出来上がると自称する、この俺が変人だと。まったく、妹のくせになんて酷い観察眼をしているんだ。
「音子よ。俺に変な人は禁句だぞ」
「お兄ちゃんへーん。変な人ー」
音子が言って笑う。俺の必殺技、くすぐり地獄で笑いっぱなしにしてやろうか。
「……俺を変と言うってことは、変な人の見極めがついていないということだ。このままでは兄として心配だな。人間を見極められるような目を今から身につけなけれ――」
「わけわかんないんだけど、行かないの? 女の子にさそわれたんでしょ? もったいないよ」
音子はめんどくさいとばかりに、俺の話を途中で切る。いつの間にそんな目をするようになったんだ。お兄ちゃん悲しい。
「……強引な誘いだからな。わざわざ行く必要はない」
「わざわざって、お兄ちゃん、今めっちゃひまじゃん。行ってあげればいいのに」
音子が冷たく言い捨てる。
「俺は別に暇じゃない」
「いや、ひまでしょ。お兄ちゃん、さっきからなにしてたの?」
「何ってお前……」
俺は優からの電話が来るまでの時間を思い起こす。しかし、その時間の記憶は真っ白だった。
「ん? 俺はさっきまで何をしていたんだ?」
「行ってきたら?」
「……そうだな」
一〇歳にして呆れ方が堂に入っている音子を部屋に残し、俺はしぶしぶ、優のもとへ行くことにしたのだった。
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